『トムは真夜中の庭で』
この誰も読まないブログ、今回は誕生日スペシャルです。
大学のゼミ教官は青春の日々にオランダに留学し、なにごともオランダかぶれている。「誕生祝いを人に準備してもらおうというのが分からない。オランダじゃ自分でケーキを持って行って祝ってもらうんだ」ほんまかいな、自分だけじゃないのか、と疑ってしまうけど、あの面白い国ならあるかもしれない。
去年はすき焼きの材料とケーキを持って押しかけ、人の家でむりやり祝ってもらった。オランダ流だ。お金もとった。今年は何もない。仕事が終わってから猿投温泉に向かう。近所すぎてありがたみもない。猿の絵のバスが市内中の老人たちを運んでいく。
「夜は庭園を300本のライトアップ」先入観を差し引けば頑張っている温泉だと思う。車で15分なのに「山の温泉に来た」気分になれる。ラドンが今日も良い放射線を出している。ライトアップも温泉も素通りして裏の山を登っていく。目的地は「鈴ヶ滝湖」という湖。温泉から遊歩道を200メートル登ったところにある。
ここが僕の「秘密の場所」です。夜の鈴ヶ滝湖。こうオープンに書いたらふつう秘密にならないけど、何の見どころもないし、誰も来たがらないのでずっと自分だけの場所だと思っている。
「200メートル登ったところに湖があって四方を山に囲まれてる」のがポイントで音も光も下界からは隔離されている。遊歩道は猿投山への登山道でもあり街灯はない。たった200メートル歩いただけで高山の湖へ来たような気になる。夜の高山の湖のほとりに立つことなんかふつうできない。下の明かりがかすかにでも見えたらダメだし車道が走ったら台無しだ。
「ない」ことがここの価値なので秘密は守られている。人工の音と光がない。風もない。湖を囲む山の木々が風を受けて低い音を立てても湖面にはさざ波が立つ程度だ。昼来ると湖は濁っているし、月に白く照らされていた中州はオフロードファンの轍で汚れている。でも夜になると、月が出ると世界が変わる。
200メートル、遊歩道の段差が作る闇に目をこらしていると勝手に暗さに順応する。湖が見えるころには、月が照らす自分の影が昼のように濃い。所定の場所で湖にうつる月を眺めて、中州へわたって、たまに茂みで用を足して帰ってくる。降りてくると300本のライトアップが毒々しい。でもそれなりにきれいだ。この対比が楽しい200メートルです。
むかし兄弟が、ライトアップされた塔と桜の木がきれいなんだと言うので、家族でどこかの寺に出かけた。兄の記憶では、目が覚めるような鮮やかな眺めに感動したそうだ。悪くなかったが、兄は「こんなんじゃない。何かちがうぞ」とずっと言っていた。一回目は歩いていって暗順応していた、二回目は車だった。
美しさは絶対的なものじゃなく、見る人との関係だと湖が教えてくれる。月の名所とか夜桜の名所とか場所にこだわると、実はガッカリしていることにも気づかなくなる。香○渓みたいに。最近ライトアップが人気なのはコンビニと車のせいかも。弱い光でものを見ることに慣れてない。
結論めいたことを書かないと気がすまないのは歳をとったせいかな。本当は、湖から戻って読み終えた本について、むりやり「秘密の場所」と結びつけて書こうと思った。
- 作者: フィリパ・ピアス,スーザン・アインツィヒ,Philippa Pearce,高杉一郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/06/16
- メディア: 単行本
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真夜中のある時間に古い屋敷の裏のドアを開けると、昼間なかった美しい庭園に出られる。親戚の家に預けられ一人退屈していたトムは、そこで不思議な少女と出会う。
ラストを読み終えたら感想なんか書けそうになくなった。ラストでそれまでの出来事がすべてつながる。つじつまが合うという意味じゃない。長い物語を通して言いたいことが一つあって、それは最後まで分からない。それが何となく分かっても、全てがつながっているから言葉にしようと思うと最初から全部読みあげることになる。こういう本はあまり読まないのでどう感動してよいか分からない。読み終わっても何かがずっと引っかかっているのでまた読み直すだろう。傑作とはそういうものかもしれない。
ひとつ分かるのは、誕生日に読むべき本だということ。そう気づいたのは、たまたま誕生日に物語のラストを読んでいたから。これから誕生日を迎えるごとに読む楽しみもある。元旦には「母よ!殺すな」を読んだ。出会うべきときに出会うことができている。いい年になりそうだ。
というわけで、ひとりで誕生日完了です。