トマール


トマール夜景
背後の山頂にライトアップされているのがキリストの修道院

TOMAR
位置●リスボンの北140Km
人口●1万4000
MAP ●p.7・A4

交通〈鉄道〉リスボン, サンタ・アポロ一二ア釈からエントロンカメントEntroncamiewntoで乗換えで約2時間30分。
〈バス〉リスボンからRNのバスが出ている(所要2時1330分)。
TI●Av. Dr. Cândido Madureira ℡(049)322427修道院の登り口にある。
マヌエリ一ノ様式によるボルトガルの代表的建築モニュメン卜のある修逍院とタブレイロスの祭で知られる,ナボン川の清流影を落とす美しい町。

キリス卜の修道院
Convento de Cristo
入場:9時30分〜12時30分,14時〜17時15分。祭日休み。有料。
トマールの町を見おろす丘の上にある。丘の登り口には,そのつくりが、いかにも宗教の町らしい、落ちつた感じの観光案内所がある。
坂を登りつめたところに修道院の人口の門があり,その奥に小さな城跡がある。テンブル(聖堂)騎士団を率いたグアルディン・パイスGualdim Pais (Amares, 1118年 〜 Tomar, 1195年),が1160年に建てた城で,エンリケ航海王Infante de Sagres/Infante Don Enrique (Oporto, 1394 - Sagres, 1460)も住んでいたことがある。そのアーチをくぐり,広い前庭を抜けると前面に階段があり,それを登ったところが修道院の入口になっている。
この修道院は,テンブル騎士団がイスラム教徒の手からこの地力を奪回し,アフォンソ一世D. Afonso I de Portugal, 俗称Dom Afonso Henriques (Guimarães / Viseu, 1109 年(?) 〜 Coimbra, 1185年)から恩賞として与えられた土地に建立したとされている。やがて,パリを本拠地とするテンブル騎士団は,フランスのフィリップ四世 (美貌王Philipe IV、1268年〜1314)がその財力と権力をうらやむほどに発展していった。そのため,14世紀以降は政治的圧力が加えられるようになり、時のボルトガル王ディニスも,この修道院をテンブル騎士団の手からキリスト教騎士団に移してしまった。現在,「キリストの修道院」と呼ばれているのはこのため。入口を入った右手が「テンブル騎士団の円堂Oratorio dos Templários」と呼ばれるところで、いちばん占い部分。平面が八角形で,ビザンチン風ロマネスク様式。内部装飾の多くは後のマヌエル一世時代のもの。黒く見えるのは,1810年,ナボレオンポの焼き討ちにあったためである。
人口の左手,すぐ横の小さな扉を抜けると大回廊 (ドン,ジョアン三世回廊) Claustro de D. Joân III.へ出る。イタリア・ルネサンスがマヌエリーノ様式にアレンジされて16世紀に建てられた回廊で,別名フェリペ家の回廊。スペインのフェリペ二世Felipe II, 1527年〜 1598年)がここでポルトガル王フェリベ一世として1580年戴冠したからである。
その先に,この修道院最大の見ものである大窓がある。これは,マヌエリーノ大航海時代を象徴する海藻、綱、鎖といったモチーフが盛り込まれたダイナミックな彫刻で飾られ,シュール・レアリスティックな表現さえみられる。
その他にも,大小さまざまな回廊力がある墓の回廊Claustro de Cemiteiroとその右の沐浴の回廊Claustro de Abuçâoは、エンリケ航海王子が建てたもので、17〜18世紀のアズレージョスが美しい。
エンリケ王子はキリスト教騎士団の団長になり,ここに住んだ。後サグレスに移転したが、大航海時代の幾多の航海や調査に要した莫大な費用は、キリスト教団の収入でまかなわれた。また帆船の帆に描かれている十字架は、この騎士団の紋章でもある,

ブルーガイド・ワールド
ポルトガル 1997年版より
pp.114, 115
(データーは発刊当時のもの)


トマールの街並み

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