王様とキャラクター 物語の価値 シミュレーターの価値

はっきりと見えないままに、書き出してみます。
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/hiroette/770
http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040227#p2からの発想・・・

女性とは・妻とは・母とは・・・こういうもの!という、日本人のひとりひとりの思い込みが、雅子さんというシンボルに投影される。
「期待される役割」が、現実とそぐわなくなっている部分が、圧力として、生身の人間にのしかかる。

  • 南米でのディズニー批判

ミッキーやドナルドは、アメリカのシンボルと言える。
アメリカがどのように世界を捉えているか・・・が、彼らの映画には投影される。
時代をリードしたり、追い越されたり、批判されたり。

  • 生身の人が、シンボルになるのと、キャラクターが、シンボルになるのと

後者のほうが健全かも。だってドナルド・ダックは鬱にならない。
キャラクターは一種のバーチャルリアリティ。シミュレーター。
キャラクターの意義は、そこにあるのかも。

  • 物語

登場人物に・物語世界に、作者の世界観が投影される。
読者は、その世界に入り込んで、自らの世界観と照合し、自らの世界観を投影した解釈をする。

決まったストーリーをプログラム通り提供するのではなく、環境を提供し、ストーリーはユーザーに描かせる。
コンテキストをセットし、コンテンツはユーザーにまかせる。
中で活動することで、ユーザーは自分がどのような世界観を持っているのか・が観えてくる。どのようにあれば、価値観に沿った結果が得られるのかも観えてくる。
時代の要望が変わってきたら、コンテキストを変化させて対応する。

  • コンテキスト

あ!キャラクター設定も、コンテキストか。ふむ。
ミッキーやドナルドは、キャラクター設定を都度、微妙に変化しながら活躍してきた。
生身の人間のキャラクター設定変更って、難しいよね。アイデンティティを同一に保持しておきたいと言う反応が、強く生じる。本人にも、周囲にも。
でも実際は、場によって、時によって、微妙にキャラクター設定を変えてるんだよなぁ、生身の人間も。