エーゲ海のある都市の物語:ミュティレネ(4):アルゴー号の冒険


アルゴー号の冒険の物語の基本的な構造は、娯楽物語の王道を押さえています。つまり、イアーソーンという男が、この世の果て(当時のギリシア人にしてみたら黒海東岸のコルキスはこの世の果てと感じたことでしょう)にあるという宝物を手に入れるため、仲間を集めて船(船の名前がアルゴー号)で冒険の旅に出る、そしてその途中にはさまざまな困難が待っていて、それを仲間とともに克服して、ついに宝物を手に入れる、というものです。


そこにもう一つの要素として、王位争いの話がからみます。争われた王位はイオールコスというアイオリス人の港町の王位です。
 ここにアイソーンという年老いた王がおりました。彼はアイオリス人の祖アイオロスの孫に当ります。それを異父兄弟のペリアースが無理に隠居させ、自分が代わって王位につきました。アイソーンにはイアーソーンというまだ少年の息子がいましたが、アイソーンとその妻はイアーソーンにいち早くイオールコスを脱出させ、ケンタウロス族の賢者ケイローンに養育を頼んだのでした。
やがて年月が経ってイアーソーンが成人した時、彼は王位の返還を迫りにイオールコスに向いました。イアーソーンがイオールコスの宮殿に着いたちょうどその時は、ペリアース王は神事の後の饗宴を開いているところでした。イアーソーンが王の前に進み出ると、ペリアースはそのりりしい姿に目をとめました。しかし、イアーソーンの足元を見たときに片足にサンダルがないのを見て顔色を変えました。実はペリアース王はこれより前に「王位はいつか片足だけサンダルをはいた若者に奪われるだろう」という神託を聞いていたからです。


イアーソーンの片足にサンダルがないのはこういうわけでした。彼がイオールコスに向う途中、大雨が降ってきて、前途には水かさを増した川がありました。その岸辺に近付くと、ひとりの老婆が渡るに渡れず困っている様子です。そこでイアーソーンは彼女を助けるために背中に背負って川を渡り始めました。ところが流れの中ほどに来たところ、急にこの老婆の体重がおそろしいほど重くなったのです。それを歯を食いしばって一歩一歩進むうちに、片方のサンダルがぬげて、あっというまに流されてしまったのでした。やっとのことで向こう岸までたどり着き、その老婆を降ろすと、その姿は消えてしまいました。実はこれは女神ヘーラー(ゼウスの正妻)が姿を変えていたもので、これ以降、ヘーラーはイアーソーンの味方をするようになりました。一方、ペリアース王はヘーラーに憎まれておりました。それは以前ペリアースはヘーラーの神殿で殺人を犯したことがあったからです。その相手は自分の母親の仇だったのですが、それでも神聖な神殿でその敵討ちをすることは神々の許し給わぬことだったのです。ヘーラーはイアーソーンに味方することでペリアースに罰を与えようとしたのでした。


さて、イアーソーンは怖れるふうもなくペリアースに対して父の王国の返還を求めました。するとペリアースは、「国民の一人に殺されるであろう、という神託があった場合に、お前ならどうするか?」とイアーソーンに尋ねました。イアーソーンは、その場の思い付きからなのか、それとも女神ヘーラーからのインスピレーションによってか「自分ならばその国民に、コルキスにある黄金の羊の毛皮を持ってくるように命じるだろう」と答えました。するとペリアースはまさにお前がその国民なのだ、と言い、王位が欲しければ黄金の羊の毛皮(略して金羊毛)を取って来い、と命じたのでした。

私が思うに、イアーソーンはなんでこんなことを承知するんだろうと思うのですが、ここで承知しないとお話はおもしろくなりません。また、黄金の羊の毛皮、というのが、日本人の考えるお宝とはちょっとイメージがずれているような気もするのですが、こういうお話なので仕方がありません。コルキスに何で金羊毛があるのか、そしてペリアースやイアーソーンが何でそのことを知っているのか、ということについても物語(プリクソスとヘレーの物語)があるのですが、この話は私の気に入らないので、ここでは述べません。とにかくこの世の果てのようなところに珍しい宝がある、ということです。ところで、この金羊毛は星座のおひつじ座がそうだとも言われています。また、中世ヨーロッパではこれにちなんだ騎士団である金羊毛騎士団があり、これはブルゴーニュ家で発足し、ハプスブルク家に伝えられ、スペインのブルボン家にも伝わりました。



アルゴー号というのは船の名前です。アルゴスという当時の有名な船大工がイアーソーンの依頼に応じて作った当時としては巨船です。金羊毛を得るためには、いまだ人の知らぬ海を越えて、長い航海をしなくてはなりません。そのために作られた船がこのアルゴ号でした。この船を作る際には女神アテーナーがみずから、神託で有名なドードーネーの森から霊力を持つ樫の木を切り出しました。その木材から作られた船の舳先は人の言葉を話すことが出来ました。またイアーソーンは全ギリシアの冒険を好む英雄たちに、この遠征に加わるように呼びかけました。その呼びかけに応じて有名なヘーラクレースを始めギリシア神話に登場する英雄たちが総勢50名もイアーソーンの許に集まってきました。かつての少年ジャンプのようなノリですね。私が思うに、この段階で金羊毛を求める遠征なんかやめて、50名の英雄豪傑たちとそのままイオールコスの宮殿に攻め寄せれば、王位なんて簡単に手に入るのに、と思うのですが、そうではなくて、ここはやはり海に乗り出し、冒険の旅に進まなければ物語が成り立たないですね。

アルゴーは、アルゴナウタイのひとり楽人オルペウスの竪琴のしらべにつれて進水した。舵をとるのは、高名な船乗りティーピオスであり、見張りをするのは九里先のかすかなものも見分けるという千里眼のリュンケウス、その他、ゼウスの子で豪傑の聞えも高いヘーラクレース、医術にすぐれたアスクレーピオス、(北風の神)ボレアースの子で翼を持つ兄弟カライスとゼーテース、カリュドーンの英雄メレアグロストロイア戦争の勇将アキレウスの父のペーレウス、以下五十余名の勇士がアルゴーに乗り組むことになった。
(中略)彼らは航海の平穏を祈って神々に生贄を捧げ、酒宴を開いた。その翌日の早朝、港につながれていたアルゴーは、声を発して前夜の酒宴に酔い伏した人々の目をさまさせ、早く出帆しようとせがんだ。そこで人々は船に乗り込み、テッサリアの港パガサイを船出してコルキスに向った。


呉茂一著「ギリシア神話(下)」より

ギリシア神話 下 (新潮文庫 く 6-2)

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