エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(1):ドーリス人の植民
古代、エーゲ海に拡がっていったギリシア人は北から南へ順に、アイオリス人、イオニア人、ドーリス人、の3つの種族に分かれていました。これまでイオニア人の都市ミレトスとアイオリス人の都市ミュティレネの物語を書いてきたので、今度はエーゲ海のギリシア人の中で残りの種族であるドーリス人の都市ハリカルナッソスについて物語りなさい、と、どこからか(といっても、どうせ私の頭の中でのことなのでしょうが)お達しがあったので、今回、書くことにしました。まずは、ハリカルナッソスの位置を示します。
ハリカルナッソスのほかにもドーリス人の植民市を併せて示しました。ハリカルナッソスは、現在ではトルコのボドルムという名前の町になっています。
ドーリス人というのは端的に言えば、英雄ヘラクレスの後裔を称する種族のことです。まずは、ドーリス人の移動についてお話しします。
ギリシアの伝説ではトロイア戦争が終わって80年目に、ヘラクレスの後裔を称する人々に率いられたドーリス人が北からペロポネソス半島に侵入して、そこに住んでいたアカイア人を追い出したことになっています(左図の赤矢印)。このアカイア人というのはギリシアの神話伝説で主に活躍する種族です。トロイア戦争のギリシア方はホメロスの「イリアス」と「オデュッセイア」ではアカイア人と呼ばれていました。このアカイア人は追出されてペロポネソス半島の北側に移ります(左図の紫色の矢印)。そこにはイオニア人が住んでいました。
(と、ここまで語りながら私は自分で納得がいきません。ドーリス人が北から侵入したというのならば、先にペロポネソス半島の北側を占領するのが自然なのに、なぜそこは手付かずだったのだろう、という疑問がわきます。さらに、イオニア人がそこに住んでいた、というのにも驚きます。イオニア人というのはギリシア神話にほとんど登場しないのです。本当にそこにイオニア人が住んでいたのならば、なぜギリシア神話に登場しないのでしょうか。ほとんど登場しない、という点ではドーリス人も同様です。ただし、イオニア人についてはアテナイ人をイオニア人に含めるかどうかで話が変わってきます。というのはアテナイ人はギリシア神話に登場するからです。このようにイオニア人だとかドーリス人だとかの話になると、すっきりした話になりません。)
この点を追求せずに話を進めますと、今度はアカイア人がイオニア人を追出し、ペロポネソス半島北部に定住します。ギリシアの古典時代にはここがアカイアと呼ばれていました。一方、イオニア人はアテナイに避難しますが、アテナイは避難民を全部収容するだけの余裕がないので、その後彼らはアテナイからさらにエーゲ海の島々や小アジアに植民しました(上図の黄色の矢印)。以前、お話ししたミレトスの建設もこの流れの中での出来事です。
次に、ペロポネソス半島のドーリス人の人口が増えていき、今度はアッティカ*1に向いますが、アテナイに敗れてしまいます。「エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(2):ミレトス建設」で紹介したアテナイ王コドロスの伝説は、この時のことです。この時ドーリス人は、アテナイのそばにメガラ市を建設しています。
ドーリス族のものがアッティカに到来したのは、これで四度目であった。(中略)最初の侵入は、ドーリス族がメガラ市を創建した時のことで、この出征を当時アテナイの王位にあったコドロスの名にちなんで呼ぶのは、多分正しいのであろう。
ヘロドトス著 歴史 巻5、76 から
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アッティカ侵入に失敗したのちドーリス人はエーゲ海に向かい、島々や小アジアに拡がっていきました。私は、ハリカルナッソスにやってきたドーリス人は、それ以前はコス島にいたのだろう、と最初想像したのですが、ハリカルナッソスにやってきたのはトロイゼン人とアルゴス人であり、一方、コスはエピダウロスからの植民だそうです。トロイゼン、アルゴス、エピダウロスはみなドーリス人の市です。