風土記の魅力(1)

出雲国風土記から

この土地を意宇(おう)と名前をつけたいわれは、次のようなものでした。


八束水臣津野命(やつかみず・おみずの・の・みこと)が
八雲立つ出雲の国は狭い布のような若い国だなあ。国を小さく作ったものだ。だから、作って縫い上げよう」
とおっしゃいました。そして、
新羅の岬に、国(=土地)の余りがあるかなと思って見れば、国の余りがあるぞ」
とおっしゃって、乙女の胸のように広い鋤をお取りになり、大魚のエラを銛で衝くようにその土地を衝いて、切り裂いて、三本合わせた綱をその土地にうち掛けて、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船のようにそろそろと、国来(くにこ)国来(くにこ)と引き寄せた土地は、去豆(こず)の入り江から杵築の岬までです。そして、綱を結わえた杭は、石見の国と出雲の国との境にある、さひめ山(今の三瓶山)です。そして、引いた綱は、薗の長浜がそうです。


 次に、
「北門(きたど:隠岐の島か?)の佐伎(さき)の国(=土地)に、国の余りがあるかなと思って見れば、国の余りがあるぞ」
とおっしゃって、乙女の胸のように広い鋤をお取りになり、大魚のエラを銛で衝くようにその土地を衝いて、切り裂いて、三本合わせた綱をその土地にうち掛けて、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船のようにそろそろと、国来(くにこ)国来(くにこ)と引き寄せた土地は、多久(たく)の入り江から狭田(さだ)の国までです。


 次に、
「北門の農波(のなみ)の(=土地)に、国の余りがあるかなと思って見れば、国の余りがあるぞ」
とおっしゃって、乙女の胸のように広い鋤をお取りになり、大魚のエラを銛で衝くようにその土地を衝いて、切り裂いて、三本合わせた綱をその土地にうち掛けて、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船のようにそろそろと、国来(くにこ)国来(くにこ)と引き寄せた土地は、手染(たしみ)の入り江から闇見(くらみ)の国までです。


 次に、
「高志(こし)の都都(つつ:能登半島珠洲市?)の岬に、国(=土地)の余りがあるかなと思って見れば、国の余りがあるぞ」
とおっしゃって、乙女の胸のように広い鋤をお取りになり、大魚のエラを銛で衝くようにその土地を衝いて、切り裂いて、三本合わせた綱をその土地にうち掛けて、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船のようにそろそろと、国来(くにこ)国来(くにこ)と引き寄せた土地は、美保の岬です。引いた綱は、夜見(よみ)の嶋です。綱を結わえた杭は、伯耆の国にある火神岳(ひのかみたけ。今の大山)がそうです。


命(みこと)は
「今は、国は引き終えた」
とおっしゃって、意宇の社(やしろ)に御杖(みつえ)を衝き立てて、
「おゑ」
とおっしゃいました。


それで、意宇というのです。