殺人犯神田司ブログの意味(1)

Download

殺人犯神田司ブログの意味(1)

 磯谷利恵さん殺し(名古屋闇サイト殺人事件)の裁判中に、3人の犯人のうちのひとりである神田司が、インターネットでブログを開いた。裁判中に、殺人犯(当時は容疑者だが、犯人であることは認めていた)が「本当はこうだったのだ」とブログを書いていたのだ。
 神田司は、収監されている名古屋拘置所から手紙を出し、受け取った知人(ブログの管理人)が、それをそのままどんどん打ち込んでアップしていったのだ。ライブドアやミクシーなど3〜4カ所で同文を公開していた。

 神田司は、本当の話をWEBで書きたい、それを世間に判断してもらいたいと書き、また、遺族に犯行のほんとうの内容を知らせたい、とも書いていた。
 さらに、神田司は、被害者遺族の磯谷ママさんが死刑嘆願署名を集めていたその法廷外闘争の対抗手段としても、そのブログを位置づけていた。
 神田司のブログは、現在は閉鎖されている。求刑前に本人の告白部分が消され、死刑判決確定後に証人尋問速記録が消去されている。


 神田司は、今まさに裁かれている自分の犯した犯罪を、おもしろおかしくブログで告白した。人殺しをお遊びのように書いていて、それは酷いものだったが、わざとそうやって書いたふしがあるし、犯行自体がそのようなノリであったのも事実だろうと思う。そして、被害者への謝罪はひとこともなかった、と僕は記憶している。それは、死刑を回避しようとする命乞いが一切なかったことを意味する。

 ひととおりの犯行告白が終わると、神田司は、僕の提案に同意して、証人尋問の速記録(証人尋問調書)を全て公開しはじめた。
 公開された調書は、神田司がもっていた書面そのものの画像で、神田司の書き込みがところどころにあった。

 この証人尋問速記録の真偽を疑う人もいたが、僕は本物だと考えている。僕は、同じ名古屋裁判所で行われた複数の裁判の証人尋問速記録(証人尋問調書)の複写を持っていて、時期によって微妙な違いがあるものの、その書式や空白のとり方、フォントや言葉使いなどが、神田司ブログで公開されたものとほぼ同一だったからだ。掲載はjpg画像で、あれを似せて打ち込んだとしたら大変な作業だし、内容は傍聴人にも公開されていた証人尋問そのままであり、傍聴していた人には聞き取れなかった箇所さえある。わざわざ偽造する理由がないだろう。


 重要なのは、神田司のブログの告白がなければ、裁判関係者以外には、事件の中味が全くわからなかったということだ。いや。裁判書面にすら書かれていなかったことも混じっていた。

 残忍な殺人の責任は変わらないとしても、僕は、悲劇的な「はずみ」だったと感じた。あんな「はずみ」は、普通は「はずみ」とは呼ばないのかもしれないし、殺人は全て「はずみ」だとも言えるのかもしれないが。


 川岸が被害者に性的暴行を加えようとした。このとき、神田と堀は車外で煙草を吸いながら思案していた。川岸に襲われて、被害者は悲鳴をあげた。神田は、川岸の暴行をやめさせ、被害者の首を素手で絞めた。神田は、失神させるだけのつもりだったと書いていた。それを堀と川岸が、おそらく「殺し決行」と見た。川岸がハンマーを堀に渡した。堀が被害者の頭をコンクリート破砕ハンマーで殴った。
 問題は、ここだ。神田と堀の話し合い。川岸に襲われた被害者の悲鳴。そして神田の首絞めから、川岸のハンマー渡し、堀のハンマーの一連の流れ。ここに悪魔の真空地帯があった。どういうわけか、神田の告白からも、この部分はよくわからなかった、と僕は記憶している。
 そこは、事件の核心部分ではないか。命乞いになるからやめたか。考える間もなく、するりと行動したのか。するりと行動したということは、計画的ということになるか。素手での首絞めについては、柔道の締め技に触れていたので、失神目的であったことの信憑性は高いと感じた。

 このとき、川岸が暴行しようとしなかったら、神田が首絞めをやらなかったら、川岸がハンマーを堀に渡さなかったら、堀がハンマーで殴らなければ、あるいは、違った結果になったのではないか。堀のハンマーをみて、神田は堀と被害者の首をロープで絞め、ビニール袋で窒息させ、神田はハンマーで殴り続けた。何故、どこかの時点でやめなかったのか。

 なんという思考回路か。なんという感情のなさか。僕はもっとも重罪であるべきは、殺害をはじめたチンピラ堀だと感じた。確実な殺害へエスカレートさせたのがオレオレ詐欺の神田。強盗殺人を作りあげたのが覚醒剤常習者の川岸。
 これらの感想は、新聞報道からは絶対に出てこない。裁判を傍聴していてもわからない。傍聴人には、裁判で提出される書面は見れないからだ。


 この神田司ブログの重要性を論じたものがあったなら、是非とも、お知らせ頂きたい。

※次稿に続く