2023年。

2022年はまったくこのブログに向かっていなかったのだと、今日知ったくらいに離れていました。

2023年のことを考えながら、徒然なる思いを文字に乗せてみたら少しは考えもまとまるかなという他力本願的にキーボードを叩いてみました。

 

 

11月の終わりくらいから、どんな2022年だったのだろう、どんな2023年にしたいのだろうとずっと考えているけれど、2023年は、2020年に足を踏み入れたPJを形にすべく、さらに困難な日々になることが必至であるためか、あまり2022年と2023年という暦の境目に意味はないように感じています。

 

ひとつ、明確に言えることはこの1年で視力が大きく低下したこと。単に年齢によるものなのか、PCや本に向かう時間が2年前とは比べるべくもないくらい増えたからなのか。

事業というものについて、次々課される難題に夜中も向き合いながら、定常業務でも激動だった2022年。ただ、忙しいとかハードだという思いはなく、時間の自分の能力の足りなさを痛感する日々でした。

と言っても、下を向く暇すらもったいない。自分の力不足はどうでもいい、足りなかったら頭を下げて、足で稼いで、他者の力を借り、とにかく形にすることにこだわった日々だったのかもしれません。

 

 

紅白を見ながらふと浮かんだワードは「ほどく」。

  -もつれてしまったものをときはなすこと。

  -迷いや疑いを晴らし、正しく判断すること。

 

 

何年か前の書き初めは「雲外蒼天」でした。今年も、その文字を娘と一緒に書こうと思いますが、数年前のそれとは意味合いが違う。数年前の雲なんて、今思えば薄雲です。今年の雲も、振り返ればおぼろ雲でしかないかもしれない。

 

 

娘の名前の由来を聞かれ、娘にはいつも空を見上げてほしいんですと伝えたときに、「雲の上はいつも晴れているんだよ。宇宙はいつも晴天なんだよ。」と教えてくれた大先輩の言葉がふとよぎります。

 

 

晴れを感じられる1年にできますように。

再始動。

今日から、PJが再始動します。

約半年のハードなPJが一時停止して約1ヵ月半。あまりにもそれまでの社会人生活と違う半年だったので、そう、法務ほぼ一筋20年の社会人生活とはあまりにも頭も手の動かし方も、そしてハードさも段違いに違う半年だったので、この1ヵ月は本当に自分が一時停止してしまってすっかりだらけてしまいました。業務は繁忙期で、忙しくはしていたものの、「だらけた」という感覚がとても強いのです。

 

会社で自薦のPJ募集があると聞き、迷いながらも手を挙げました。管理部門ではなく事業部門宛てのPJだろうと思いつつも、法務や管理部門の仕事がどこかピッチ外の安全圏から声をかけているだけの気がして、ここは手を挙げないという選択肢はない、と思って手を挙げたのです。おそらく、かなり不格好な日々になるだろう、と思っていたものの、半年で自分の無知さ加減に辟易する日々でした。

 

それでも、事務局ではなくメンバーとして手を挙げたときに「法務から入ってくれると、事業を考えるときに、いいね。」と言われたことは今も強く覚えています。どんな風に「いい」のだろう。何が、事業に、経営に、社会に活きるのだろうか。

 

自社、競合、市場のこれまでを踏まえて、「事業」というものを徹底的に考えて、これからを考える。ごく簡単に言うとそんなPJです。今日からは「これから」パートです、おそらく(何も知らされていない)。

 

 

とある若手に、PJメンバーとして「PJの活動が、法務の業務に活きたことはありますか?」と聞かれて、困ってしまいました。はて…?

経営を考えるときに、日々の法務の業務が直結する感覚はない。散々自社事業のあれこれを調べ、分析し、洞察しても、そこに「法務」という観点はない。もちろん、自社事業が「あらゆるグレーを衝く」という観点はあれど、それが経営の根幹にどこまで近いのかというと、ピンとは来ない。周辺のところで、安全な経営を、そして逆に、もっと攻めた経営を。思いとしてはあるけれど、やはり”ピッチ外”という感覚。

 

ふと、「Uberならば、法務がもっと経営の中心に近いかもね。」という会話をしたとき、自社事業における法務の活かし方や組織としての置き方は事業領域と事業性質によるのだろうとあらためて思います。ごくごく、あたりまえの話ですが。法務をどう活かすか?なのではなく、法務が活きる領域なのかを考えたうえで、法務メンバーのリソースを純・法務分野に割くのか、法務の思考をベースとして、もっともっと事業に足を踏み出させ越境させることで意味を喚起するのか。大きな企業は別として、中小の法務はここを考えたほうがよいのではないかというのが現時点での思いです。

 

それでも、経営を考えるPJに参加した後は、一つひとつの製品・サービスが、案件に強い違和感を抱えるようになりました。今まではそうはなりたくないと言ってもやはりどこか「正しさ」を旗印に物を語っていたような気がします。経営というフィルターを通し、今まで知らなかった経営観点という”言語”が少しわかるようになってしまったら、一つひとつの案件が”法務への相談案件”ではなく、”事業上の課題を法務というフィルター「も」通して考え、事業に選択肢を渡す”という感覚にシフトしました。というより、もう、そうとしか見えない。なので、法務外の観点でも「それって、儲かるのか?」と口を出すことに躊躇がなくなる。

言葉にするとある意味当たり前感が強いのですが、わかることとできること、とくにどんな政治案件であってもこれをできるということは圧倒的に違う。そういう私も、わかるからちょっと爪先を出したくらいなのですが、自分がこれまでやってきたことへの強烈な違和感を感じたことは大きな成果です。

 

法務も事業部門の経験があるといい。確かにそうなのですが、”どちらもわかる”という横の視点ではなく、日々の現場の観点も、トップの上から見下ろす感覚も”どちらもわかる”という「上下の両方」が今、強烈に必要。少なくとも、市場変化が激しい、私が所属する組織においては。

 

 

再始動に向けて、家を出る前に何か書いておこうと思ってふと出てきたツブヤキは、こんなことでした。

 

  

毎度のことながら抽象的な、徒然なる内容です。さて、今日は何時に帰れるでしょうか。いや、きっと今日中には帰れない。そう思いながら、今日はどんなカオスがチームにも自分にも起きるのか、ワクワクしています。

 

 

いってまいります。

2021年。

1年前のブログを読み、その平和な文章に、本当に想定し得ない日々を過ごした2020年だったのだと、あらためて思う。

 

チームでふと2020年のふりかえりを話し始めたとき、思わず何分も言葉が出なかった。何をしていたのか、忙しかった気がするけど、どこに進んだのか。結局数分後に出た言葉は「成果が出なかった1年だった。」の一言。

当たり前すぎるほど当たり前ですが、成果は出るものではなく出すもの。チームを率いる立場になって、そこに一歩も二歩も腰が引けていた。

 

それでも、例年とは違う過ごし方をせざるを得ない中で、明らかに成長したメンバーやグループもあるし、何も成果が出なかったわけではない。ただ、足下からの積み上げでは辿り着けないんだという事実に対し、自分もチームメンバーも、今よりもずっと自覚的でないといけないというのが、2020年をふりかえっての強い思いなのです。

 

 

2021年、人の手に自由を手渡すために、成果にとことんフォーカスする。「自由を」、なんて青臭く、壮大だけど、それぞれが、誰かからかけられて、そして自分でかけてしまっている「呪い」から解放することが、私たちの仕事なのだろう。決して一般化するわけではないけれど、保守的な地方企業においては、薄く体に染みついた呪いが大きいように思う。法務や人事の仕事は、成果が見えにくい。だから目の前の数字に逃げないようにと意識してきたけど、間接部門における意味のある数字というものに、今年はとことんこだわってみたい。

 

随分タフな雰囲気が漂うけれど、日常は、とことん楽しく。楽しさとタフさを両手に過ごすのではなく、楽しいチームにしか成果は生まれない。

人事として、人と組織について探求してきたこの数年ですが、学び続けている人と組織の成長を一番体現しているのは、子供たちのチームだと思う。成長に雑味がない。大人のチームには変数が多すぎてその構造が複雑すぎるのですが、子供たちのチームは人の成長、チームの成り方、在り方を非常にクリーンな形で示してくれる。

成果を着実に残していく子供やチームは、とにかく楽しげで仲がよい。いつもキャッキャしながら稽古している。同じ目的をもって、絶対に結果を手にするんだという負けん気があって、うまくなるためにお互いに声をかけ合う。真面目な話も不真面目な話も、とにかく会話量が多い。だから多様なアイデアが場にどんどん出るし、失敗したねと笑い合いながら色々試し、それでいてふとしたときに先に進む子の背中を凝視して吸収する。コートに足を踏み入れると、別人のような表情で会場全体の空気を変える。”豹変”という言葉がよく似合う。

 

 

会社のチームも、家族のチームも、チームはいつだって時限的。だったらいつだって、楽しい方がいい。でも楽しいだけでは、本当の楽しさは手に入らない。タフに努力して、努力を求めて、成果を手にする喜びをもっとありありと感じる1年にしよう。

 

 

できない自分。

そうか、LegalACが始まっているのね。

今年は、法務以外のPJに手を挙げてしまい、9月から怒涛の日々が始まっています。いつもなら興味深く読む各エントリも、時々眺めるしかできておりません。現在進行形のPJ、主に事業部門を対象としたPJでしたが、「できない自分と向き合う」を自らのテーマに、経営というものにかすってみようと思ったのであります。

 

20年も同じ会社でほぼ法務一筋で働いてくると、社内で起きる大体のことは対処できるようになってしまいます。それは、決して「仕事ができる人」になったということではなく。できる仕事とできない仕事を何となく見極める嗅覚が発達し、できない仕事から離れる術を覚えてしまった故かもしれません。

 

地方に暮らす身として、ひとつ強く思っていることは、娘ーズが18歳になれば親元を離れていく、その後ろ姿に心の底からエールを送りたい。その日があと数年に迫っている中で、いくつになってもチャレンジすることや学ぶことに四苦八苦する不格好な姿を見せておきたいし、たとえ娘と離れていても気持ちだけは伴走できる自分でいたい。

 

PJが始まってみると、わかった気になっていた自社の商品や販売網について何も知らないということに愕然とし、したり顔で事業部にアドバイスらしきことをしていた自分が恥ずかしくなる感覚に襲われます。経営を考えるとき、法務的な観点はほとんど出てこないし、今のところ、これまでのキャリアは何ら役に立たない。

法務として会計や税務などの周辺領域も多少わかっておかないとね、、と浅く勉強していたときと異なり、具体的なケースを前提に、短納期で財務諸表を読んで言語化することを繰り返してはじめて、財務諸表の意味や使い方がおぼろげに見えてきました。取締役会で何となく数字を眺めていた自分にグーパンチな気分です。

PJはまだまだ続くので、この後に法務での経験が何らか役に立つのかもしれません。そして、法務全般が役に立たないというわけではなく、あくまでも、「私のキャリア」が有効ではない、というだけです。

 

 

でも、もし、今のところ、少しだけ役に立っているかもしれないということがあるならば…

  • 「書く」ことが圧倒的に必要。

戦略は、それを組織内に伝え、受け手に真に伝わってこそ意味がある。とするならば、まずは抽象的な思考を言語に変換すること、その上で受け手に理解可能な表現に再度変換する必要がある。ロジカルである必要がありつつ、ロジカルだけでは感情を動かさない。

正しく文章を作成することは、法務の業務の根幹でもある。そして、法的な正しさだけでなく、「法務がそういうなら、じゃあ、やろう」と思ってもらえるように変換することに、いつも気を使っていると思う。この”言語を扱う”ということは、経営において非常に重要な要素だと、今のところ思う。

 

  • いつも「疑う」姿勢が効く。

答のない、経営や事業を考えるとき。チーム全体が高揚して一定の方向に走る瞬間がある。「本当にそうなのか?」「見落としていることはないのか?」「この違和感は何だ?」

この思考は、事業部からの相談を受けるとき、いつも立てているアンテナ。場の空気をあえて読まずに、チームの議論の軌道を変えることは時に重要だと思う。

 

 

法務はピッチ外から声をかける存在だと思われがち。今は、ピッチで活躍はできないけど球拾いくらいは役に立っている感じです。

PJの夜中mtg.中に「あ、Caracalさんって法務だったね、忘れていたよ。」と言われたとき、初めて「中の人」に近づいた気がしました。「法務じゃない」、今は最高の賛辞です。

 

 

法務が目指すべきは「法務をバックグラウンドにもったビジネスマン」だとよく言われますが、今はイメージではなく、リアルにそこを目指しております。

離脱勧告ありのPJなので、勧告を受けないように今日もひとり夜中学びタイム。課題もかなりハードで夜中帰宅も続いておりますが、受験生のようで、働き始めてから一番楽しい。これを、単なる楽しさではなく、具体的な価値に変えたい。

 

さて、学ぶとします。

書く。

文章を書かねばならない。

修士論文を書いて以来、まとまった文章を書いたことがない。今回のお題は「自説を妥協せず、展開せよ。」なのである。

 

思えば、Twitterをはじめ、SNSでは思考の展開を意識的に避けてきた。浅い思考は自らの恥を晒すようで、当たり障りのないことだけをひっそりとつぶやいてきた。思考を表明することは、リスクを伴うものだとあらためて思う。

恥をかくべき40代にするのだと意気込んではみたものの、それまでの思考が急に変容するわけもなく、やはり当たり障りのない範囲で、当たり障りのないことにだけ時間を費やしている。

 

 

法務とは関係のない領域にえいやっと踏み出してみたら、まだ準備段階だというにもかかわらず、随分と自分の負の面と向き合っている。きっとこれからの1年は、いやというほど自分と向き合う日々なのだろう。

 

法務という枠の中で、それなりにできているだけでは通用しない。法務という仕事は、ともすると「法律」という虎の威を借りることができてしまうので、素の自分になったときにどれだけ耳を傾けてもらえるのか、今までの関係性や自分の力量が露になる。

 

 

とはいえ、今の自分にないものは、これから身につけるか、誰かから借りるしかないので、ひたすら一歩ずつ。

新しく我が家に入社したチビ猫たちを吸って落ち込んだ気持ちを振り払い、空を見上げて心の中で相談しながら進むほかないのであります。

 

 

現実逃避の、夜中のつぶやき。 さて、書く。

この頃とこれからと。

7月から自分の身の周りに少々変化が生じ、カバーする範囲も増えていきそうです。法務というものとの距離感に悩んだ数年ですが、右往左往しようとも日々は進んでいくわけで、法務から離れたくないと思うならば、どんな距離感であろうとも離れないようにいるほかない。

 

大きくない組織では、法務だけでは専門屋になってしまう。無資格で専門屋というのも不思議な気もするけれど、法的知識だけではない社内のルールやあれこれを含めた、知恵袋的な存在になってしまう。もちろん、それも役割の一つ。でも、自分がそれでよしとするか否か。

 

組織の中で働く以上、その知識を通じてインパクトを出せないならばそこに存在する意義はないと思うので、与えられた職責を全うする一方、その職責の既存の意味を変えていくこともまた大事だと思う。

 

と、徒然に思うのですが、愛すべきメンバーと、上機嫌に、世界を広げていきたいと思うのであります。

娘ーズが社会に出ていくときに、Welcome!と両手を広げて笑顔で待っていたい。いつも、私の原動力はここにある。

画する。

メーカー法務の私にとって、サービスは難敵のひとつと言えます。モノがないということは、サービス仕様と顧客との期待値にギャップが生まれることがリスクになり得るのですが、それ以前に社内での認識の相違の方が大きいように思えます。なので、社内でサービス案件を整理する場面をイメージしながら、自分の思考をちょっと整理してみようと思います。

モノにおけるハードウェア比率からソフトウェア比率が高まるにつれ、アプリケーションにおいては規約やプライバシーポリシーなどが重要であるという意識は社内でも徐々に定着してきました。が、会社全体が元々ハードウェアメーカーエンジニア思考なので、サービスになると、なんというか、まだまだ素人感が出てしまう…。

ただ、この“素人感”こそが大事であり、こんなこともできたらいい、あんなサービスも…とわいわい語り合うある種のお祭り感を残しながら、キモを落とさないように交通整理をし、そのサービスが狙っている価値の提供を阻む壁を目の前に置く必要があるなと感じているこの頃です。

 

法務としては、[(Web)広告+申込導線記載事項+利用規約]の三位一体で無体を有体に格上げし、期待と実体のGAPを埋める作業を粛々と進めていきます。そこで、無体であるサービスを可視化するには、“角を決める”という行為が必要なのかなと最近感じています。

 

角はひとまず、3つか4つ。

角の内側が、サービス範囲。角の外側が、免責範囲or オプション範囲。すなわち、角をつないだ内側の面積がサービスとして対価を請求できる範囲。規約というと「免責、免責!」と叫ぶ人もいるのですが、その「免責」ではなく、私は「面積」をイメージしています。まずは何をユーザーに約束できるのか、“できる/できない”を分ける角を決めていかないと。もちろん、免責=できない範囲を考えることで、角を決めるという方向の思考と行ったり来たりしながら。もし、めっちゃとがっている形になったら、それは新しい視点での検討が必要なサービスなのかもしれない。

 

このできる/できないの視点はいくつかあるけれど、

  • 法律
  • 常識(組織ポリシー?)
  • 技術
  • 外部要因
  • コスト

などを考えます。

 

抽象ではイマイチわかりにくいので、自分がユーザー側に立つサービスで考えてみる。煩雑な契約書管理。これを外部にお願いできるサービスがあったならば。

 

 

あえて整理せず、思いつくままにあげると…

  • 原本そのものも保管してほしい。確実に。ファイリングすら面倒。
  • PDFファイルはいつでもどこからでも見たい。
  • と言いつつ、誰でも見られるのはNG。参照権限を多段階で設定したい。
  • PDFファイル自体にも自動で鍵をかけてほしい。
  • PDFファイルや管理データがクラウドだけだと、不安。人質にとられるようなもの。一定期間ごとにローカルに自動保存したい。
  • 顧問弁護士とDBを共有できたら、トラブル発生時に都度セキュリティに配慮しながら送らなくてもいいから助かる。
  • 契約の更新管理は必須。ライセンス契約においては、ほんと、必須。ここをミスると事業上のインパクト大。
  • 交渉→決裁→押印→管理までがワンストップサービスだとよい。ここの情報の整理(一致性の確認)に結構な時間がかかるんです…。
  • 契約概要+リスクが簡単に可視化できたらいいな。
  • 締結契約全体のリスクの変化&傾向が分析できたら最高。でも、なんちゃってではなく、価値ある分析じゃないと。
  • 売上/調達等の上位取引先だけでも、毎年契約上のリスクを再検討できたら、いいのに。
  • 経営情報と取引先DBが紐づいたらなおよし。
  • 上記契約について、定期的に契約変更方法のアドバイスを自動で送ってくれるとか?
  • 何だったら、AIが定期的に自動で契約変更の交渉メールを相手企業に送ってくれるとか…。
  • 他言語の契約は和訳が自動生成されたら本当にありがたい。
  • 法人番号で同期とって、社名変更や組織変更が自動化できないものかしら。信用情報×契約リスクから、対策案(変更覚書案)も自動で送られてくる世界。

 

などなど、ワガママなユーザーの思考からすると、角になり得るのは、個人的には以下の3つ。なんだか当たり前のことだけど。

  • 確実な管理であること
  • 契約をしっかり活用ができること
  • 楽になること

もちろん、価格が採否の決め手ではありますが、上の雑多な要望をすべて実現できるサービスなら、上司に採用を強く訴えます。

 

雑にイメージすると、こんな感じでしょうか。本当に、ささっと書いた雑なイメージですが。 求めることが違う以上、各社各様の形になるんだろうなと各種リーガルテックのデモを受けながら感じていました。実際にはもっと凸凹でしょうけど。

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上記のワガママな要望を書き連ねてみると、今までやってきた法務の仕事の一部は確実に自動化されていくのだろうという思いをあらためて強くしました。その一方、非定型なケースについてまで機械的な判断になることの怖さを、便利になりすぎることで失うものへの漠然とした不安を感じます。そして、思考の対象を今までとは違うフィールドに持っていかないといけない…など、期せずしてこれからの法務の仕事というものを再考する機会になりました。

 

 

本エントリを書いてみて、法務の仕事は、ふわっとしたビジネス案件の、パズルの外側を決める=外郭を画することでもあるのではないかなと思っています。

 

徒然なるままに書いてみると、自分がどこに躓いているのかなど整理できるので、2020年は自分の思考の整理のために、ちょっとずつ、ブログを更新しよう(たぶん。)