広島電鉄 654号 ラストラン

広島電鉄 654号
 今日の広島は雨でした。強く降ったり、弱く降ったり、夕方まで傘がいらなくなることはありませんでした。そう思う人には涙雨、そう思わない人には梅雨時のありがちな一日、広島電鉄被爆電車のうち653号と654号が通常の営業運転から引退する日です。653号は休車扱いで江波車庫に保管ということで、貸切運行等で走る含みがあるのに対し、広島市立交通科学館での展示が決まった654号にとっては、文字どおりの最終運行でした。653号は横川で何かの撮影に借り出されていて、ときどき横川から出て、十日市町の渡り線で折り返して、また横川へ戻るという動きを昼過ぎまでしていました。最終日にそういう特殊な仕事をあてがわれた653号とは対照的に、654号は、3号線宇品から己斐間で、通常の営業運転として走りました。両車には、653号は撮影の間は外されていましたが、特製の「ありがとうヘッドマーク」が取り付けられました。今まで広電で廃車になっていった電車はたくさんあるけれども、ヘッドマークを付けて最終運行をしたのは、彼らがはじめてではなかったでしょうか。とにかく特別の計らいが感じられました。
広島電鉄 654号
 雨の降る中、何箇所かで写真を撮ってから、15時過ぎに宇品から654号に乗って、己斐で折り返し、広電前で降りました。車内ではテレビが何社か乗って撮影をしていて、被爆電車被爆体験を語っている方のインタビューを車内で収録していたりしました。しかし、それ以外は、マニアの姿が目立つわけでもなく、いつもどおりのお客さんが乗った、不思議なほど普通の車内でした。しかし、それが彼のラストランにふさわしいと感じられました。彼は立派に最後の勤めを果たしました。 
広島電鉄 654号
 デビューから64年間で、新聞記事によると約260万km走ったそうです。地球を何周といってみても無意味に感じられる途方もないその数字は、彼らが毎日、お客さんを乗せて、ひたすら走り続け、積み重ねたものです。だから尊いと思います。だから彼らには何かを語る資格があると思います。決して声高には語らないけども。
 「余生」という言葉は好きではありません。「生」に「余り」などありはしないから。交通科学館へ行ったら、あなたを訪ねてくる人がいます。もう数年も経てば、あなたが現役であった頃を知らない子供たちがやってきます。語ってあげてください。あなたの見た60年あまりの間の広島のことを。あなたの感じた広島のことを。あなたの思いは、時代も世代も超えて、きっと通じると私は信じます。
 今日取り付けられたヘッドマークには、広島のみなさんの感謝の気持ちがこめられていました。
 お疲れさまでした。そして、ありがとう。

 T.Kazeさんが今日の654号のことを書いておられるので、あわせて紹介させていただきます。
 ご苦労様・・ 被爆電車654号: 雑記帳@F-Page広島