2009-12-05 この国は“無駄”で食っている
“格差”を絵で表すと下記のようになる。左側の水色さんは、丸々太って若干メタボ気味だし、コートも来ているし、両手に貯金も持っている。しかし右側の黄緑さんは、皮下脂肪の蓄えもないし、コートもなければ貯金もない。
恵まれている人は二重三重のセーフティネットに守られている。正社員で、病欠も認められ、貯金もあり、助けてくれる家族もいる。しかし、寒空に凍える人は雇用も不安定で貯金もなく、親族も皆がそういう状態だから頼ることもできない。
そういう二種類の人がいる世の中が、大不況に陥った。寒風が吹き、仕事もなくなった。でも水色さんにはそんなに痛みはない。ぬくぬくしたコートを着ているし、食べ物もある。ボーナスが減っても貯金もある。でも黄緑さんには不況は死活問題だ。寝るところ、食べるもの、生きる意味、すべてが危機にさらされる。
さて、とある社会において100人の人がいるとする。ある社会では、左側の水色の人が一人で、残り99人は黄緑さんだとしよう。たとえばルイ王朝とか帝政ロシアのイメージだ。水色の人はマリーアントワネットやエカテリーナなどの王族、貴族達だが、そんな人の数はごくごく限られている。
社会の大半の人は黄緑の状態だ。そしてこれがいきすぎると革命が起る。フランスやロシアのように。
一方で、社会の全体100人のうち、95人が水色さんの状態だとする。これを「総中流社会」という。一部にはもちろん貧しい人もいる。しかし95人が経済的に困っていないから、たった5人を助けるのは難しくない。自分の痛みをほとんど感じることなく弱者を助けることができる。高度成長期に日本が作り上げてきた社会はそういう社会だった。
今の日本社会はどうだろう。おそらく、3割くらいが黄緑さんになりつつある社会なんだと思う。7割の水色さん達は、今までは見えにくかった黄緑のような人が社会に増えてきたことに衝撃を受けている。
お金が払えなくて修学旅行に行けない子供、お金がないから病院に行けない人達、アパートで餓死する若者、公園に溢れる人の群れ。テレビで特集されるそれらの悲惨な黄緑さんの人生を目の当たりにして、多くの水色さん達は衝撃を受けた。
そして「こういう世の中はなにかがおかしい」と強く感じ、政権を変えるべきだと思った。世界で勝つことを目指す小泉・竹中路線ではなく、社会の底辺にもう少し温かい目線と手をさしのべる政権が望ましいと思った。これが福祉志向、底辺志向の民主党政権につながった。
しかし、3割の黄緑の人達を助けるためには、自分達に回ってくるべきお金の一部を差し出す必要があるのだと、水色の人達はずっと後から気がつく。この国には、打ち出の小槌も、生産性が高く国際競争力のある産業も、さらに多額の借金を積み上げる余地も、ない。
資金を捻出するには、「事業仕分け」という方法で「不要不急の予算」を削るべきだという方法論しか残っていない。しかし、ここがポイントなのだが、水色の人達はそれらの「不急不要の事業」のおかげで、まさに収入を得ている。
事業仕分けの次に「公益法人の仕分け」という言葉がでてきた。遠からず特別会計の様々な分野も「仕分け」対象となるだろう。
そうなれば、日本経済がもつひとつの特徴が明確に浮かび上がるだろう。それは、水色の人達のうち、おそらく半数近くが「仕分けされるべき無駄な事業」に携わって生計をたてている、ということだ。この国の経済は「無駄によって支えられている経済」なのだ。
要らないダムや空港を造ることで多くの人達が食い扶持を得ている。どうでもいいような政府キャンペーンを推進するための多額な予算が、多くの準公務員達を養い、広告業界にもお金を流している。政府のスパコン研究費でIT企業は研究者(社員)を雇用している。
「無駄を削り弱者を助ける」という言葉は甘美だ。是非無駄を削り、社会の底辺で困っている黄緑さんたちを助けてあげたい。そういう水色さん達の言葉に嘘はない。水色さん達は善意で、心の底から、そう思っている。
しかし、水色さんらは、自分達の半数近くは「仕分けされるべき対象である」ということに気がついていない。善意に溢れる水色さんに足りないのは“リアリティ”だ。
ダムや道路だけではない。多くの役所は役所ごとに重複する、ほとんど使われない多数の制度を設計し、そのための特別なシステムの構築を民間業者に発注している。それらのITプロジェクトの仕事は、NTTデータや野村総研を窓口として、幅広く裾野のSIerに流されている。IT産業のうち公的部門が(発注量に)しめる割合は非常に高い。それらが大幅に削減されれば、多くのIT関連企業の仕事量(雇用&売上額)に多大な影響を与えるだろう。
過剰な検査体制もこの国の特徴だ。世界で一番優秀な車に、あんな頻繁に車検をやる必要はないから、無駄を削減して行政コストをさげようと言えば、多くの水色の人は賛成する。しかしそれは、日本中の車検事務に携わる人達の仕事が半減するを意味している。この国では水道の蛇口にまで「規格シール」が張ってある。そんなものをイチイチ検査する必要があるのか?と言い出せば、それらの検査機関に勤める人達の雇用はどうなるのか。そんな例はいくらでもある。
もう一度繰り返しておこう
この国は「膨大な無駄で生きている」ということを。
本当に無駄を省いて資金を捻出し、底辺の人を救いたいと思うなら、覚悟が必要なのは水色の人達だ。少なくとも両方の手に持つその貯蓄袋の一つは手放す必要がある。持ち家か、子供の大学進学か、安定した老後か、そのうちのひとつくらいは諦める必要がある。
「仕分けられる」のは、私であり、あなたなのだ。
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