米国映画「CHE: PART ONE/THE ARGENTINE(「チェ 28歳の革命」)」(2008)


・「CHE: PART ONE/THE ARGENTINE(「チェ 28歳の革命」)」スティーヴン・ソダーバーグ、米国(2008)

 すでにニホンにて公開され、すくなからぬ方々もご覧になっている本作、メキシコでも昨日から公開ということで、さっそく足をのばした。

 真摯で力のこもった意欲作であり、期待をすこしも裏切らない。

 カストロらの蜂起以前、禁酒法の米国からお金持ちは週末になるとハバナに飛行機で飛んで、どんちゃん騒ぎに耽ったという。
 それはいわば表面的なことで、キューバの腐敗のきわみのバチスタ政権は、米国と密接につながっていた。

 カストロ、チェらがバチスタ政権をつぶそうと試みるとき、最終的には米国との関係の再検討をどうしてもせまられるが、すくなくとも初期においては、社会正義および民主主義を志向し、米国の存在なしではキューバの正常化はありえないものとカストロらは考えていたとわたしは理解している。
 しかし米国の「過剰反応」により、キューバの革命政権は左傾化していくというのがわたしの認識である。

 したがってカストロらは蜂起時から、最大の目標をバチスタ追放にしぼってきた。
 カストロらは、いわゆる前衛であり、前衛が大衆を引っ張って革命が成就したというのが、オフィシャルな史観である。
 カストロらが試みる山岳ゲリラ戦は、山間部での農民からのゲリラ参加者をもとめることも意図していた。
 モノカルチャー社会においてそれだけ農民は疲弊し、反バチスタの機運は盛り上がっていたということだろう。

 もちろんチェらのゲリラ戦は熾烈であり過酷であり、参加者すべてがそれに堪えられる精神力なり体力をもちえていたとはかんがえられず、時宜、ついていけないものには自由をあたえていた。
 いっぽう、ルールをやぶるものには粛清も辞さなかった。
 チェの人道性がそこで証明される。
 それにしても戦闘シーンは熾烈である。

 しかしチェ、カストロらは社会にしだいに受け入れられ、加速度的にその存在感をましていく。
 都市部を解放していく。

 しかしここでいくらかの疑問、散在する農民たちはゲリラに合流する機会があたえられたが、都市部の市民にはなにもなすべきことがあたえられていなかったのか。
 都市部では官憲による支配・管理機構が充実していたので、虐げられるばかりで抵抗はあまり考えられず、チェらが現れたときとか歓声をあげたりするのみであったのだろうか。

 いまだオフィシャルとはいえない史観では、都市部の中間ブルジョア層もすでにバチスタ政権に愛想をつかしていて、ゼネストやら抵抗の度をましていたといわれる。
 官憲層にも厭戦ムードがひろがっていたことは本作品で描かれているが、都市部のはたした役割が描かれる日はくるのだろうか。

 チェが人道的、民主的に描かれている一方で、カストロは戦略家、知将といった面、わるくいうと内実よりは政策にこだわるところがかなりはっきりと描かれていて、じっさい、そういうことなのだろう。
 評判のわるい弟のラウルもとくに劣ったところは描かれていない。

 映画からはなれたことをべらべら綴ってしまってもうしわけないが。

 さいごのシルビオの唄も冴えた締めくくりを形づくっていた。

 とにかくこの作品をみると元気になれる、なぜならどんな苦難があっても、自分のただしいことを信じて実行すればかならず道は開ける、という気にさせてくれるから。


(2009/01/18)