昨年もらった系図の話、
上黒岩伊藤家、一条政親次男を祖とする。
一条政親って、土佐一条家なんだが、関が原の合戦後、上京し行方不明なんだが。
江戸末期、
志津川諏訪家寛平−柳谷土居家フサ、
 次女カメ−大川土居家通保
  長女道衛−勘太郎
 四女キサ−大川土居家三保太
 長男鷹次郎−ステ
  次男壽次−大川土居家茂喜(キサ−三保太の三女)
で、いとこ同士の結婚。本家の住人が親戚から**呼ばわりされたのがよくわかった。キサさん亡くなった後古文書かってに燃やしたらしいし。
不明なのが通保と勘太郎と三保太の関係、勘太郎は大塚よりと書かれてるし、通保の次は勘太郎通長で妻がサエのはずだし、三保太の幼名を勘太郎といったと聞いたりしたし、通太がいたはずなんだが、よくわからん。

『必要な情報は必ず手に入る...』−Augerが言った言葉、続き忘れてるし、うそと真実は反証によってとか、いるべき場所にちゃんといるとか、定めとあらばとか...後で思い出したらまた書くとしよう。