Comments by Dr Marks

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三流大学の大学院についてのコメント

小谷野先生がまた刺激的な言葉を使って書いていた。(その前日の歌も新婚家庭を垣間見た気がして面白かった。)刺激的な言葉「三流大学の大学院」ではあるが、大学院など(とくに文系)いい加減に増やすな、という提言は至極もっともと考える。

人口の減った日本で今、大学を卒業する者、修士を修了する者、博士の学位を取得する者の当該年代層に占める割合はどのようなものであるのか、よくはわからないが、年々高くなっているであろうことは想像に難くない。諸外国でも、またこのアメリカでも、割合が増えている傾向は、日本と変わりがないであろう。

しかし、日本は極端らしい。本来、ろくに指導する教官もいそうにない大学で(国公立も私立も)博士課程を遅れてならじと創設し、しかも文部科学省の御墨付きで学位の正式英語名を Doctor of Philosophy (Ph.D.) としているそうだ。以前に検索したところ、そういった大学には(一部は旧帝国大学を含めて)地域研究などという不思議な研究科があることを見つけたことがある。もちろん、名称はともかくその分野の総合的な能力を養っているなら問題はないが、多少見聞きした範囲で言えば、その名のとおり、かなりローカルな研究程度で Ph.D. と称するらしい。

実は、学位の内容やその保有者の実力のほどを言えば、各国まちまちである。日本の Ph.D. でも、猫猫先生の力とその他の Ph.D. が皆同じと思ってはならないように、ヨーロッパのある種の博士と称する学位などもよく吟味しないで鵜呑みにしてはいけない。その意味では、学位などより実力である、という正論が文字通り正しい議論である。

ただ、小谷野先生の議論は、オーヴァードクター(OD)で若者の未来を潰すようないい加減な大学院を作るなということであり、その意味では東大さえ例に漏れないと語っておられる。つまり、作りすぎだ。作りすぎるとどうなるか。悪貨が良貨を駆逐する現象さえ現れる。つまり、実力よりも血縁・友縁・師弟縁がのさばるのだ。

私が2006年の夏に初めて宗教学系の日本語ブログを漁りだした頃、東大で学位を取られて、しかもその研究がある団体から表彰されながらも大学に就職できずにいる若者 (Dr. K) のブログによくお邪魔した。私の少し前の記事に書いた David みたいに「職がねーよー」というわけだ。確か、表彰された研究であるにもかかわらず、その学位論文は出版もされなかったと思う。そう、就職活動で大事なのはコネであると私が書いたように、日本で学位論文を出版するのもコネであるか、どこかの出版助成金をひったくって自費出版する以外にないだろう。(英語で書いてあれば国際出版社が探し出してくれる可能性はある。逆に、今南山大学にいるカトリックのボブ・キサラなどは、日本語で書いた東大の修士論文を出版してもらったが、ありゃ話題性だね。)

なお、Dr. K. は実力もありそうだったから、そのうちどこぞの専任になるさ、と励まし祈っていたら、風の便りに日本女子大学に納まったらしい。Dr. K おめでとう! 死んでたブログも再生したらしいね。そのうち読みに行きます。

最後にアメリカの学位について。アメリカでもこれからは(あるいは既に)大学院の時代であることに変わりはない。しかし、多くはスペシャリストとしての修士の学位か職業博士号取得のためであり、Ph.D. という博士号(特に文系の)を取得するのとは話が違う。博士号が何でもかんでも Ph.D. になってしまう日本の学位とは内容も訓練もまったく違う。直接、大学で教えることを基準にしているのがアメリカだ。もちろん、職業博士号でも教えるのは構わないが、原則は Ph.D. である。LAの兄と甥の一人はそれぞれ職業博士号であるJD(法律職業博士)を持っているが、日常的にはドクターとは呼ばれていない。呼んでも構わないのだが(実際に、儀礼的文書では Dr. と付けることもあるが)、そのように呼ばないのは微妙な違いが社会で認識されているからだ。
 また、アメリカの Ph.D. は Accreditation があるので、三流大学には事実上設置できない。聖書学を例に取ると、このアメリカ第二の都市であるLA地域(Greater Los Angeles and Southern Califonia)でさえ5校(Fuller, Claremont, UCLA, UC San Diego, UC Santa Barbara)しかないはずだ。USC は今は無理かもしれない。神学プロパーなら(哲学と結びつければ別だが)Fuller と Claremont だけだ。北のSF地域では、幾つかの神学大学が共同で設置したユニオン (GTU: Graduate Theological Union)と UC Berkeley、それに Stanford も可能だろう。(それにしても Fuller あたりでも授与しすぎ―神学聖書学系年間15人前後―で、近頃の3割近くは教職を取れないらしい。)