『神になった人びと』

神になった人びと (知恵の森文庫)

神になった人びと (知恵の森文庫)

この本の原稿が執筆されたのが2000年、そして単行本化されたのが2001年。ちょうど前首相が爆発的な人気に支えられて登場した時である。そして5年間の任期の中で最後まで解決できなかったと言っていい問題が“靖国問題”であったことは衆目が一致する意見であろう。この本が扱う問題は、まさにこの“靖国問題”の精神的背景である。5年の歳月を経て文庫化されたのもうなずけるところだ。


文庫化にあたって、著者である小松和彦氏は異例とも言える長大な序論とあとがきを書いている。全ページの約5分の1を費やして書かれた書き下ろしの部分は、まさに本論と“靖国問題”とを直結させるための要旨展開であると言ってもいい。この問題に対する意識の高まりが、ここまで長い序論とあとがきを書かせたのであろう。巻末の解説で梅原猛氏(これまたこの種の本では破格の人選である)が指摘しているように、日本人の宗教観の重要問題にもかかわらず、敢えて触れることがなかった問題を真正面から取り上げたことは意義のある考究であろう。著者が並々ならぬ意欲を見せるのも、納得のいくところである。


僕個人の意見であるが、靖国神社は非常に特殊な成立背景を持って現在に至る神社であるにもかかわらず、古来より成立した人神神社の概念を集大成した神社でもあると思う。国事(主に戦争)で非業の死を遂げた者を神として顕彰することが当初の目的であったものが、戦後は慰霊の対象とみなされることが多くなり、更にA級戦犯合祀によって“現実の(政治的)敗者を祀り、過去を清算する”ことまで執り行ってしまう(合祀がおこなわれた1978年は、奇しくも旧・巣鴨プリズン跡にサンシャイン60ビルが開業している。建設当時から人魂目撃などの怪現象が起こっており、合祀に至るまでのプロセスが過去の“祟り神”と似通っていることを指摘しておきたい)。とにかく国家による唯一無二の施設であったが故に、すべての関連事項をまとめておこなったために、さまざまな問題を孕んでしまったように思う。


そういう観点からこの本を読むと、なかなか興味深いことが浮かび上がってくる。人が神になる条件の変遷、それぞれの神社が成立するに至った過程、そして時代背景。それらを探っていくと、結局“靖国の問題”に行き着いてしまうように感じる。文庫版序論で靖国神社自身の成立過程が克明に描かれているので、その感触は非常に生々しい。靖国神社の祭祀方法の特殊性を考えるにあたって、参考になると思う。


靖国は政治的・外向的問題としてしかクローズアップされていないのが現状である。だが問題点の源泉を遡れば、そこには日本文化の特殊性が顕在している。この本はその特殊性の存在を明らかにし、冷静にその将来を示唆しているように思う。如何に現在の問題点が表層的な部分で語られているか、如何にグローバルスタンダードと理屈で言っても民族的精神を覆すことが困難なものであるのか。多分今のままの論議では、どちらかの文化が否定されるまで、平行線をたどり続けるのだろうと思ってしまった。そしてこの本が靖国問題とリンクして大いに注目もされずに見過ごされてしまったという事実に、精神的に不毛な時代の「魂」の悲しさを感じざるを得ない。