無駄を描く、無駄を活かす、それが志賀直哉が「小説の天才」たる所以『暗夜行路』

暗夜行路〈前篇〉 (岩波文庫) 暗夜行路〈後篇〉 (岩波文庫)
普通、物語には無駄がない。
関係ないと思われた序盤の事件が後半に効いてきたり、ミステリーの謎を解く鍵であったりと精密に組み立てられた論理がある。
ところが、我々が生きる生はどうか。
一年前の出来事と、今の自分との間に明確な因果関係を見出せる人がどれほど居るだろう。そう、人生とは何気なく、意識せずとも、ただただ無為に流れていくものなのだ。
しかし、それは即座に無意味であるとはいえない。

あなたが今もし人生を焦っているとしたら、それは高校時代の怠惰な日々の所為かも知れない。 あなたが誠実であろうとすることを心に命じるのは、最早わすれつつあるいつぞやの放蕩の日々がその影にはあるかもしれない。

過去は明確に意識の留まる処とならずとも、黄昏時の影のように忍び寄りながら、あなたの行動論理を支配している。その流れに身を委ね、素直に筆を落としたのが『暗夜行路』。

泣き処で泣かせようとし、山場で読者のボルテージを上げようとする。それは安易な方法だ。
志賀直哉はそれを安易にはしない。
何もない無駄な日々がひたすら続く、それを主人公と同じペースで追体験せねばならない。そうするうちに、訪れた尾道の美しさに心打たれる準備ができる。その後の「結局は何も解決していないんだ」という虚無感に襲われる準備ができる。

「小説を読むことは、一つの体験である。」この言葉が最も似つかわしい。