『銀色のフィレンツェ』

 花の都フィレンツェレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロラファエロらが活躍したイタリアルネサンスの街。オレンジ色の屋根と白い壁の建物が広がる風景が目に浮かぶ。もちろん写真やテレビで見た映像だが。

 若きヴェンネツィア貴族マルコ・ダンドロを案内役に16世紀イタリアの街と人々を描いたルネサンス歴史絵巻三部作の第二作。第一作の『緋色のヴェネツィア』で三年間の公職追放となったマルコがイタリア各地を旅しようと1536年の秋にフィレンツェを訪れ、翌年の早春にローマに向けて旅立つまでの数ヶ月間の物語だ。この頃のフィレンツェルネサンスの巨匠達はこの地を去り、国家としては衰退期に入っていた。メディチ家のアレッサンドロが妻の父、スペイン王カルロス5世の後ろ盾で公爵として君臨していたが、陰険残虐な性格で暴君と恐れられていた。そんなアレッサンドロの側近、ロレンツィーノ・デ・メディチとマルコ・ダンドロは偶然に出会う。そしてマルコはメディチ家の若者二人を中心に、大きく波打つ歴史の中に居合わせることになる・・・。上品で精緻な文章、随所に見られる当時のイタリアに関する著者の知識、まるでその場に居合わせているような気持ちにさせる風景の描写、実に味わい深い作品だ。

 物語の後半、マルコが客として滞在している家の主、フランチェスコ・ヴェットーリの印象的なセリフがある。「民主制であれ貴族制であれ君主制であれ、国民一人一人の物質的要求を満足させることができればその政府は善政と賞賛され永く存続する。しかし、このことは非常に困難である。ここで人々は政体を問題にして、全員参加の民主制が良いとか、優れた人々が政治を行う貴族制が良いとか、君主制が良いとかの議論が古代ギリシア以来延々と続いてきたというわけだ・・・」著者の持論なのか、フランチェスコ・ヴェットーリの友人であるマキュアベッリの意見なのか分からないけれど、ちょっと乱暴すぎやしないかな・・と思った。国民一人一人の物質的要求を満足させるための「確率」を上げるための方法として様々な政体があり、古代ギリシア以来延々と方法論が議論されてきただけだろう。しかしこのヴェットーリの説、生活感としてはなんだか納得できる。給料やボーナスに満足できていれば「良い会社だ」「うちの社長はエライ!」となるが、その逆だと不満が蓄積されていく。今のように業績を伸ばすのが非常に困難な時代、二重三重に苦しい立場に立たされている経営者は多いのではなかろうかと心配してしまう。

 話を『銀色のフィレンツェ』に戻そう。このシリーズは主人公のマルコと彼のパートナーであるローマの遊女オリンピアの愛の物語でもある。この第二作で二人の関係は深化し、第三作への期待が膨らむ。ルネサンス歴史絵巻三部作は愛し合う二人が案内役となる歴史小説であると同時に、史実を舞台にした恋愛小説でもあるのだが、このバランスが何とも絶妙でさすがだ。

銀色のフィレンツェ―メディチ家殺人事件 (朝日文芸文庫)
作者: 塩野 七生
メーカー/出版社: 朝日新聞
ジャンル: 和書