『帰ってきたソクラテス』

帰ってきたソクラテス (新潮文庫)

帰ってきたソクラテス (新潮文庫)

 古代ギリシアの哲学者、ソクラテスは著作を一つも残していない。それなのに彼が現在でも最も有名な哲学者の一人であるのは、彼の弟子プラトンが著作の中に師ソクラテスを登場させ、語らせているからだ。つまりソクラテスの哲学は弟子プラトンの著作を通じて後世に伝えられてきたわけだ。プラトンの著作の中のソクラテスアテナイ町のあちこちで、いろいろな人と対話をする。その結果、相手は自説の誤りを気づかされる。先程までふんぞり返っていた雄弁なエライさんが、ソクラテスにぐうの音も出ないほどまでやり込められ、自分の無知を悟るというのが多くのパターン(悪徳商人が桜吹雪を見せられてオロオロするのと少し似ていて面白かったりする)。そして、その過程で読者はソクラテスの哲学を知ることになる。

 そんなソクラテスが現代によみがえり、さまざまな論客と対話したらどうなるか?というのがこの本だ。雑誌「新潮45」の誌上に1992年から1994年の間連載されたもので、対話の相手は現職議員、ニュースキャスター、エコロジスト、評論家、元左翼など。全部で20の対話が掲載されている。全編会話で構成され、どの論客も最後はソクラテスにしてやられる。自分だったら「なんだか違うな・・」と感じても反論できないであろう、現代の論客達がしどろもどろになっていく。思わずニヤリとしてソクラテス喝采を送りたくなる。その一方で中には「そこまで言わなくても・・・」とソクラテスに共感しづらい部分もあった。プラトンを読んでもこうは思わなかったので、自分も同じ現代人、彼らと同じ穴のムジナということなのだろうか。

 巻末の解説で鷲田清一という方がこの本をイッセー尾形の一人芝居「都市生活カタログ」にたとえている。観客は「こんなひといるいる」と笑いながらも、彼の姿に自分自身を見て足元が地割れをするような怖さを感じるという。なるほど、そういうものだろう。


 著者の池田晶子さんは日本の哲学者。ファッション誌のモデルをしていたこともあるという、天から二物を与えられたすばらしい美人だ。彼女は象牙の塔にこもる「哲学研究家」ではない。学会、アカデミズムとは一線を引き「哲学業界」の外で孤軍奮闘する、在野の「哲学者」だ。彼女の著作では哲学書としては異例の大ヒットとなった『14歳からの哲学』を目にした人も多いのではないだろうか。惜しくも2007年、46歳の若さで他界された。そんな現代の哲学者がプラトンにならってソクラテスを現代(正確には1990年代)によみがえらせた。

 いかにも90年代的な部分に時の流れの速さを感じたりもするが、ソクラテスの時代から何一つ変わっていない部分もある。対話のなかの言葉を一つひとつかみしめて読みたい一冊。静かな所でじっくり読むことをお勧めする。