古代寺院は日本の自然と敵対していた?

 国分寺とは天平13年に聖武天皇が仏教による国家鎮護のために全国に建設を命じた一群の寺院である。国分僧寺国分尼寺にわかれる。
 全国隅々までその命は徹底された。新潟県茨城県を北限として、南は大隅半島まで主要な島嶼にも建立された。個々の寺院の規模も相当なものであったという。
 その所在を「古代寺院遺跡データベース」で調べた。
 193件ほどヒットした。

 岡本東三によれば全国62国に国分寺国分尼寺あわせて124寺建立されたという。そのうち70箇所は発掘調査されたとある。かなりの量の材木が投入されたのだ。
当時の大工道具や建築技術のレベルからすると廃材となった材木はかなり分量となろう。
 コンラッド・タットマンによれば古代に日本の森林は荒廃したとされる。おそらくは、こうした寺院の用材により全国の巨木は収奪され尽くしたであろうし、人民の困窮も相当なものとなったであろう。この8世紀の列島改造もどきで山野は荒れ果てた。律令制の制度疲労が始まったというべきか。
その怨詛の結果か、国分寺で現存するものは数が少ないという。
 巨大なる仏教寺院は衆生を苦しめるのに役立ったというべきであろう。


日本人はどのように森をつくってきたのか

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古代寺院の成立と展開 (日本史リブレット)

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