NHK スペシャルの障害者の話

これは難しい話だよなあ…。理想的な事を言わないとダメみたいな類の話なのは分かっているけど、敢えて切り込んで行くとさ。以下の文章で障害者って言葉は知的障害者に置き換えて読んで欲しい。
なんというか障害者は生産性が無いとか周りを不幸にするからとか、そういう理由だけで障害者を殺すというのはおかしいよ。それは間違いない。人間としての知能の有無は関係がない。何故って誰かが大切にしている存在を殺すのはおかしいから…。だって人間じゃなければ殺しても良いという話は無い。ペットも家畜も殺してはいけない。植物だって同じだ。盆栽も殺してはいけない。ものだって壊してはいけない。こういう言い方は障害者をペットと同レベルに表現していると批判されるかもしれないが、ものすごく分かりやすく障害者を殺してはいけないという理由を説明できる。テレビではこんなことは言えないだろうけど…。
問題は建前と本音が違う家族の言葉とかですよ。これが厄介だ…。もし本音では死んでくれたら…って思ってるけど、世間体を気にして建前しか言わないタイプの人間がいるとしたら…そう考えると困ったことになる。実際にそういう人間は俺は存在すると思ってる。何故って障害者に限らず子供に死んでくれって言うタイプの親というのは世の中に存在しているらしいからね。インターネットを巡回しているとそういう話は見るよ。でもそういうのが多数派か少数派かは分からない。俺は少数派であって欲しいとは思うが…。
番組を見て率直に思ったのは問題行動が多いタイプの障害者はコストが掛かってどうにも困るってことだ。障害者と一言に言ってもじっとしてておとなしい静かでニコニコしてる人なら愛されやすい…。容姿端麗ならなおさら。でも暴力的で動き回って叫んでたりする人は…。そんな人を愛せるか…俺に…。これって障害者ってくくりで考えることでもないんだよな。障害者じゃなくても暴力的だったり、そういう人はいるわけじゃないですか。そういう人は愛されにくいですよね。だから何というかなあ…。とても難しい…。そういう人の意思をなるべく尊重して動かせるとなると、ぶっちゃけ一人のサポーターじゃ足りないでしょ。異常に運動能力が高かったり筋肉質だったりしたら、女性のサポーターじゃ止められないでしょ。物理的に実現が難しいと言わざるを得ない…。意思を尊重すればストレスをためなくなるって話だけどさ。そうすれば暴力も収まるかもしれないけど。どうなんだろうなあ。
障害者の意思を尊重するんだったらさ。普通に外に出して動き回らせてあげればいいんですよ。そこで死んでも良いって考えで。それが意思を最大限に尊重していると言える気がする。でっかい公園でも作ってさ。そこの中で自由に動き回らせてあげれば良いんじゃないですか…。喧嘩とか殺し合いとかイジメとか始めちゃったら仲裁してさ。現代社会のインフラは障害者には使いこなせないよ。程度の問題はあるけど。生まれながらにして壁で囲まれた世界にいる人間は、それが世界の全てだと思うはずでしょう。外に何かあることを知らなければ自由が制限されているとか自分が不幸だとか思うということはない…。科学の知識も一切与えずに原始的な採集生活を送る。それなら障害者でも出来るし、全てを自分の意思で決定できて動き回れるし幸せかもしれない。乱暴かなあ…。自分で飯も食べれない人もいるから無理かなあ…。病気になった時に親が助けたいとか思うかもしれないし、そういうところに無理があるかなあ…。ヨーロッパの人権団体に何を言われるか分からないか…。自由を与えているつもりなのにな…。箱庭の世界の中だけでだけど。
それとペットと人間の違いは保健所で殺処分されるか、社会保障を受けられるかって違いもある。これね…。人間だから社会保障を受けられて当たり前、これは俺もそう思う。ただコスト的に支えきれなかったらどうするんだって考えると、合理的に考えると切り捨てる方がいいって話になっちゃうのは、それはそうなんだけど、そこはそれじゃダメだろうよ流石に…。障害者の比率はそんな高くない訳だし未だ支えられるよ…。2045 年の万能 AI が誕生したら、それから数年か数十年以内には全ての人間が障害者と同じように生産性が無い/低いと見なされる時代が来るんだよ…。
人間だから保護しなくてはならない、犬だから保護しなくても良い、それも良く分からない基準だって悩んじゃうところもあるけどな。だって犬のが頭が良いかもしれないからな…。特に牧羊犬は異常に賢いぞ…。障害者より頭の良い犬を殺処分するのは OK だけど、障害者は人間だから保護しなければいけない。これはもう訳が分からなくなってくるよ…。だって自分が愛する犬と赤の他人と、どっちの生死を気にしますか…。これは俺にもどう説明したらいいかわからない。人間だから殺してはいけない。なぜなら社会秩序のため。特定の人間は殺してもいいという話になると社会が混乱する、だからダメなんだ…みたいな言い方しかできなくなるかもしれない…。アナタが障害者だったらどうするんですかって話はダメなんだよ。だってアナタが頭の良い犬で殺処分されたら、どうするんですかって問いと同じだから。犬と人間に明確な線を引いている。これをうまく説明するには、どうすりゃいいんだろうな…。自分が産んだ子供が障害者だったら…。そういう話になるのかなあ…。ただ人間が人間を殺処分する世界になって欲しくはない、とは言える…。犬だから OK というのも変だけど。だけど俺は未婚だけど生前で遺伝子調査して堕胎する派だし、死刑も止むを得ない派なんだよ。難しい…。非常に難しい…。まあ一言に人間と言っても障害者と知能がある殺人犯は全く別だけどさ。今回の施設で殺しまくった人は本当の意味での辞書的に正しい意味での「確信犯」じゃないですか。犯罪者の中でも最も厄介とされるタイプの犯罪者でしょ。彼のような人間は死刑になってもやむを得ないだろうと考えるよ。だってなあ…。更生なんて無理だろうよ…。逆に単純に暴力を犯すタイプの人間じゃなくて、真面目に考えた上で行うタイプの犯罪者だから、厚生の余地はあるって考えることもできるかもしれないけど、でも罪が重過ぎるよ。社会に与える影響が大き過ぎる。逆に単純に暴力を振るうタイプの人間のが更生できるかもって考え方もあるだろうし…。どうなんだろうな…。だけど障害者ってのはそうじゃないんだよなあ…。要は運が悪い人達なんだよ。与えられなかった人達。そういう人達を人間扱いしなくても良いってのは、それはダメだと思うんだよなあ…。俺はそういう人達を受け入れられる優しさみたいなのを社会に求めているね。そういうのが無い社会は嫌だなあ…。まあ何というか、優しく接しようみたいな恩着せがましい考えもダメな気がするけど。自然に仲良くやってければいいんだけどな…。じゃあ犬は?犬は殺して良いの?って言われると、答えられません…。なんだろうな。より原始的な思考に近づくと、人間という形をしている存在を殺すのは犬を殺すのと違うんだよ、多分な…。本能的なものなのかも知れない。本能が敵意などの理由が無く人間を殺す事を「重大な過ち」だってプログラミングされているから、そんな感じだろうか…。
俺はプログラマーだから思うのかもしれないけど、行動が単純であれば単純であるほどに、それが人間じゃないように見えてくる。まるでプログラミングされて動いているかのようにな…。そういうのもあるよな…。マネキンにプログラムを仕込んで同じ動作をさせたら、それは障害者に見えるかもしれない…。AIBO ってロボットがあったけど、アレだってプログラムで動いている訳だよ。ディープラーニングとかの技術以前の技術しか使ってないと思う。それでもアレぐらいの動きなら出来る。障害者の動きというのは、その程度に見えることがある…。それもまた問題だ…。
後はものすごく後ろ向きなことになるけど、被差別階級ってのがある。日本は江戸時代にそういうのがあった。学校で習ったのは、そういう人達がいると自分の下がいるって安心する人達がいるから、そういうのを作ったんだって話だった。それが本当かどうか分からないけど、仮にそうだとすると、障害者というのは正に被差別階級として機能している可能性はある…。そこそこ不幸な境遇である方が被差別階級としては好都合かもしれない。ただし人権的に問題があるので、そこは改善して行く方向のが正しいと思うよ。
それとねえ、障害者の知能が低いか否かというのは実は良く分からない…。自閉症患者がパソコンのキーボードを与えられたら意思を表明できたという話がある。自閉症知的障害者は違うかも知れないけど。だから本当に障害者の知能が低いのか、意思を表示したり手先をうまく扱うのが出来ないだけなのか、それははっきりしないというか。痴呆の人だって段々と意思の表明ができなくなっていくけど、ちゃんと考えているらしいんだよ。意識がとぎれとぎれになったりしているのかもだけど。とにかく障害者の頭の中は未知なんだ…。本当にプログラミングで作ったロボットと同レベルの頭の中なのか、もっと色々考えているのか、判別ができないというのが現状だ。
深いテーマだと思うので、色々と浮かんでは消えて行って忘れてしまったこともあるよ。これは大変なテーマだよ。