近状
細々と日記というかログみたいのを書いてますが、ちょっとまとまった近状とか。こう言うのすごい久しぶりな気がする。
研究室に配属されました
筑波大学5年目にして、4年生になれたので研究室に配属されました。入学する前から知っていたデータ工学をやる研究室です。略称が、Linuxのデスクトップ環境でGNOMEじゃない方と一緒です。
昨年度の主専攻実験で自然言語処理を履修し、形態素解析器を作って面白いなあと思いましたが(取る前から興味があったし)、やっぱりWeb(における繋がり)が面白いと前々から感じていたのでこの研究室にしました。先生方も間違いないですし。希望通り配属されてよかったです。
大学2年生の時にXMLデータベースを作ったときにお世話になった研究室でもあります。
具体的にはセマンティック・ウェブをやりたいと考えています。セマンティック・ウェブは手段ですので、これが目的になってはいけないと思います(いろんな人にそう言われています)。最近論文を読んだりしている感じでは、セマンティック・ウェブを利用した情報検索が面白いなと思っています。一番最近に読んだものだと、RDFで定義されているデータにLSA(Latent Semantic Analysis; 潜在意味解析)を行ってほげほげするんだけど3次元テンソルを使ったらどうかな、という感じのものでした。バリバリの線形代数だったので復習+αが必要だと強く感じました。
あとはネイティブなXMLデータベースにも興味がありますが、すでに製品がたくさん出荷されているような段階なので、研究としては難しいだろうと言われました。
最近やってること
ちょっと前までやってたこと
- 友人と会社をつくろうぜ、という感じでサービスを作っていましたが今は停滞しています
- ずっと続けているRailsのアルバイトもあんまりコミットしていません
今後ありそうなイベント
- 大学院入試
- (夏にインターンシップ?)
- 卒論
この数ヶ月考えていたこと
書き殴り系。
- いろいろ新しいことをやってそれなりに評価(受賞とか)されている人を見ると「あの人はすごいな」とか「何かやれば評価されるんだな」と思ったことがあったけど、見えないところで倍からそれ以上頑張っているようであるとわかり、努力しているから評価されている(=評価されるまで努力している)んだなと思った
- 大学1, 2年生のときは、何か問題があって、それらをプログラミングとかで解決するときは「どうやったら解決できるかな。どうするのがいいかな」と言うことが主に思考の中心だった。
- 最近は「できるかな。できなかったらどうしよう」というような後ろ向きの思考ばっかりである。つまらない人間になってしまった
- そもそも何かをやるときに、「わかる技術で解決できるものじゃないとやらない」というようなスタンスになってしまった。超つまんない。どうしてこうなった
- 結局やってることができる範囲で(日本語でおk)、それ以上何も出来ないのではないか
- しかしその世界の第一人者になったとか、極めたとかそんなことは全くないし、結局できる範囲でできることしかやっていないような感じがする
- チャレンジしてない
- しかし無闇に(よく考えず)行動してきたことが今の思考を作っているのかもしれない
- 実現可能性を第一に考えて行動することは非常に重要であると思う
- 昨年の夏、某お料理系WebサービスのCTOから「技術的に誰にも負けないことは?」と聞かれて「ありません」と答えるしかなかったが、いまもそのまま。どうやったら「誰にも負けないこと」を見つけることができるか。何を「誰にも負けないこと」に出来るか
- 2009年の7月に書いていたことと同じようなことを未だに考える: ここ最近考えていた事をつらつらと - INOHILOG
- ベンチャー(ビジネス): 昨年の12月ごろからそのへんに頭を突っ込み始めたけど、"自分の会社"は難しいという感じがしてならない(もうあまり考えてない。人にくっついていくのは別)
- 進学するべきなのか?: 大学院に行こう(研究をやりたい)という気持ちは前よりもずっと強いが、自分は研究よりも実際に使われる物(サービス)を作っていたほうが楽しいのでは、と感じることも普通にある
- 親に頼らない生活をしたい
- 目標とか信念が無いよね、という感じ
- 「お金を稼ぐ」というような目標でコードを書くのも普通にありだとおもう。自分はそれさえも考えないで動いている気がする
- 結局この1年、何やってきたのかな
- 量というより、中身のはなし