ゼロの未来


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ストーリー:巨大企業で解析エンジニアとして働くコーエン(クリストフ・ヴァルツ)。彼は人生の意味がわからない。答えをくれる電話を待ち続ける生涯だった。初老になったコーエンは毎日アーケードゲームめいた機械にはりつき、ゲームよろしくデータを解析する日々にうんざりしていた。なぞめいた経営者(マット・デイモン)にたのみ、自宅勤務をゆるしてもらっても、きびしい納期にしばられてものごとは改善しない。でも会社はかれを見捨てたわけじゃなかった。パーティーでちかづいてくるセクシーな女性ベインズリー(メラニー・ティエリー)。彼女のウェブサイトにアクセスすると、コーエンはヴァーチャルな楽園ビーチにいざなわれてひとときの癒しをえる。それに孤独な自宅にやってくるボーイもいる。彼は経営者の息子で天才的なエンジニアだ。2人に手をひかれてコーエンの日々はすこし変化するのだが………

ギリアム師。当ブログでは『ラスベガスをやっつけろ』『ローズ イン タイドランド』どっちも大好きだ。タイドランドもそうとう昔だけど、その後、本作まで『Dr.パルナサスの鏡』しか長編は撮っていない。というのも彼の企画は立上がってはつぶれ、そうでなくてもやたらと時間がかかることで有名なのだ。その理由の一片が、ドン・キホーテものがぽしゃるドキュメンタリー『ロストイン ラマンチャ』で描かれている。しかもまたこりずにドン・キホーテものの企画を進めているらしい…….そんな彼の2013年の作品。日本公開は2015年だからやけに寝かせておいたね。

お話はともかく、映画体験としていうと、いつものギリアムっぽさは裏切られない。ごちゃっとして新旧のガジェットが混在する、時代がよくわからない世界。トリッキーな設定のキャラクターがつぎからつぎに出てきて、ひとすじなわでストーリーを追わせない。お話もまたどこかごちゃっとして感じられる。僕からみるギリアムはいくぶん幻視者の資質があって(たとえばホドロフスキーとかみたいに)、イメージは次から次に噴出する。問題はそれを実現するプロダクションだ。『タイドランド』なんかは予算がすごくかぎられていたそうで、たしかに特撮場面でもやけに手作り感があったけれど、きちんと予算がある作品になると(『ブラザースグリム』なんかもそうだった)過剰ともいえるイメージの奔流を見せてくる。まぁ、本作の舞台はおもにコーエンの自宅オフィス(廃墟化した教会)で、それ以外もオフィスやパーティー会場など、室内シーンが多いから、そんなに「世界の全体像」的なものが見せられるわけじゃない。

街にでればクラシックな街には色とりどりの広告やひとびとがあふれるし、オフィスもなんだかよくわからないカラフルさ。監督は街のイメージはアキハバラ体験だったという。もちろん絵的にはたのしい。でも抑圧的に感じるほど過剰な広告でみたされた街のコンセプトは30年前の『ブレードランナー』からあったものではある。あと、キューブだけで構成された仕事のヴァーチャル世界のイメージもそんなに新鮮じゃなかった。未来イメージを更新するのはむずかしいよね。美術にかんして最初に監督がスタッフに見せたのがこの作家の作品だったそう。ちなみに街中で走っている小さい車はルノーの電気自動車、Twizy


『ラスべガス』『タイドランド』にある破壊衝動やインモラルな感覚は今回おさえめだ。ヒロインのベインズリーは商売女っぽい愛嬌とセクシーさを記号的に演じてみせ、まさしく画面に花をそえている。あとボーイのほうも急に体調をくずして、なぜか風呂に入れられるという奇妙なソフトセクシーシーンがある。ま、そのくらい。主人公はものすごくモラリスティックな人物なのだ。仕事にしばられ、自分の実存に疑問をもちつづける老人。伝統的な価値観と秩序を象徴する教会に住んでいるんだからね。むしろ狂躁的なのはまわりの世界のほうだ。
コーエンという名は旧約聖書「コヘレトの言」にちなんだもの。人生のむなしさや世の不条理を考察する書だ。そのものだよね。まあ、この作品は脚本が先にあって監督が引き受けた形だから、そのあたりは脚本家のおもいなんだろう。オチはどうとればいいのかちょっと悩む。そこは書かないけれど、というかすきっとまとまる方向じゃないのだ。夢のおわりみたいにある情感だけを残して放り出される。

JIMI 栄光への軌跡


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ジミ・ヘンドリックスがメジャーデビューし、モンテレーフェスで伝説のライブを見せるまでの日々。それはかれにひきつけられて、かれをささえる女性たちとの日々だった。

ひじょうにあっさりした映画。ジミ自身、わりともの静かで繊細なキャラとして描かれていて、ドラッグもたいしてやらないし、ロケンローラー的な無茶もぜんぜんしない。女たちというけど、彼が出会う女性は3人だけ。そもそも酒池肉林タイプじゃないのだ。そしてお話は無名のバックギタリストだったジェームスがイギリスにわたり、アメリカでブレイクする直前までの、まだまだ静かな日々だ。実在ミュージシャンたちとの絡みもクラプトンとのジャム、ビートルズがライブに見に来る、というくらいであまりない。監督は伝説になるまえの素の青年ジミを描きたかったんだろう。ジミ役のアンドレ・ベンジャミンはもう40歳だけどよく似ていて、20代前半の役にそんなに違和感がない。 
撮り方がなんだか面白かった。う〜ん、なんというのか、むかしのややアート指向低予算映画風とでもいうのかなあ、このあたりうまくいえないんだけど、独特の既視感と、そういう意味では1960年代末の時代にあってるのかどうなのか、なんにしても、もの静かだけどなにかいいたげな雰囲気だ。おもうにこれ、そうとうな小品として作られた映画なんじゃないかなあ。このあっさり感、人の少なさとかは、ようするにプロジェクトの規模の小ささなんじゃないかと思うんだけど。音楽自体、許諾がえられなかったから、オリジナルの音も映像も使っていない。
ジミ・ヘンドリックスは、たぶん黒人でありつついわゆるブラックミュージックの外で売れた人としては最初のほうになるんだろう。特にロック/ポップスの世界ではね。そのあたり当時の空気は正直よくわからない。もともとの黒人音楽としてのロックンロールはあり、無邪気にあこがれて取り入れたビートルズストーンズがうれて、白人の音楽としてのロックにもR&Bの香りはしていたんだろうけど、そこに当の黒人がはいるとポップススターとしてはむずかしかったのか…….当のミュージシャンたちにリスペクトされていたのはまちがいないんだろうけどね。

ま、とにかくなんだか静かな映画でしたよ。ノイジーなギターはぎんぎん鳴ってるけど。ちなみに、途中であやしいエキゾチック美女につれられて(妖しかったよね、彼女はエチオピア系の女優だそう)紹介される黒人のアジテーターがいる。かれの挑発的なことばにもジミは乗らないで「やってれば? オレはラブ&ピースだから」くらいのテンションだ。かれは黒人活動家マイケルX。一時はジョン・レノンなどミュージシャンの支持者も多かったけれど、のちに大量殺人者として有名になる。かれがネタのひとつになっているのが実話ベースの犯罪モノ『ザ バンクジョブ』だ。