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2016-07-24

ひとりぼっちを笑うな

 この本は以前から読みたかった本で、何か月か待って、やっと藤枝市図書館から借りることができました。
 著者の蛭子能収さん、シュールな作風の漫画家で最近ではTVのバラエティ番組によく出演されています。最近ではテレビ東京系の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」という番組で俳優の太川陽介さんとコンビでますます人気を博しているようです。
 私は蛭子さんが好きという訳ではなく、むしろ逆。嫌いとは言わないまでも敬遠したいタイプです。テレビでしかその人なりはわかりませんが、テレビから映し出される印象は貧相な出で立ち、いつもへらへら笑っていて気持ち悪いし、時折見せる無神経な発言など、私にとっては出来れば少し距離を置きたいと思う人間で、以前どこかの放送局のバラエティ番組で、高田万由子さんの発言に対して彼女を小馬鹿にしたような小言を発して高田さんの怒りを買ったのに謝りもせず平然としていた事があり、それを見て「この人自分のことを棚に上げ、随分無神経なことをいう人だなあ!」と思ったことがあります。もっとも本人は著書の中で「他人に余計なことをしない」、「誰かに嫌われていると思わない」と述べていますが・・・。
 「ひとりぼっちを笑うな」、タイトルが刺激的ですが、この本を書くに当たり、蛭子さんは昨今の「友だち」偏重傾向に疑問を呈していて、プロローグで以下のように述べています。 

 僕は昔からひとりぼっちでいることが多かったし、友だちみたいな人もまったくいませんが、それがどうしたというのでしょう?ひとりぼっちでなにが悪いというのだろう?というかむしろ「ひとりでいること」のよさについて、みんなにもっと知ってもらいたい。友だちなんていなくていい。ひとりぼっちだっていいんじゃないかな。

 蛭子さんは、幼少時よりお母様と二人暮らしの生活をされていました。お父様は漁師でほとんど家におらず、兄弟もお姉様とお兄様がいましたが、年が離れており、一緒に過ごした記憶があまりないとか。幼少時から家に籠って少年漫画に嵌り、青年時代には映画に嵌っており、一人で楽しめる遊びが好きでした。つまり孤独が当たり前の状態で存在しており、そうした少年時代を送った蛭子さん、長いこと他人の干渉がなく自由に時を過ごしていたため、友だちの自体が却って鬱陶しくなり、自分の自由な時間を脅かす厄介なものと考えるようになりました。蛭子さんは友だちの存在を否定しているわけではありません。ただそれ以上に自由であることの方が大切であると述べられています。
 それは昨今の風潮である連帯至上主義にも疑問を投げかけており、特に2011年東日本大震災が発生した後、“”という言葉が巷で声高に叫ばれていましたが、それに対しても蛭子さんは釈然としない思いを綴っています。

 でも“絆”ってどんなものなんでしょうか?正直なところ、僕にはちょっとそれがよくわからなかったんですよね。あと「がんばろう日本」という言葉も、よく耳にしました。でも、がんばるって、一体なにをどうがんばればいいのだろうって。(中略)
 だから、あくまでもその人それぞれがやれることをすればよいのであって、「絆」や「がんばろう」という言葉を、むやみやたらに強調しなくてもいいのではないかと考えているんです。
 あくまでも人は自由だから、絆の外にいる人、がんばらない人がいてもいいし、それを「間違った考えをするな!間違ったことをするな!」「それでもお前は日本人か!」「人でなし!」と説教や強要をするのは好ましくない。現実には他人を心配することのできないくらいに余裕のない人だってたくさんいるし、関心があまりない人がいるっていうことも認めないといけない。

 また蛭子さんは「群れる」ことについて嫌悪に似た感情を吐露し、誤った方向に向かった時の凶暴性について警鐘を鳴らしています。 

 グループを作ると、そのなかには必ずリーダー的な存在の人が生まれるものです。“グループにはまとめ役のリーダーたるものが必要”だという組織論的な考えは理解できますが、その人がもし、性格の悪い人だったら、グループはメチャクチャになるでしょう。そこは、本当に気をつけたほうがいいポイントだと確信しています。
 グループというのは“集団”だから、どこかしらで安心感のようなものが芽生えるかもしれません。人間は結局のところちっぽけで弱い生き物ですから、きっとその安心で「自分はひとりではないんだ」「みんなといればまもられる」と思って勇気づけられるのかもしれない。野生動物の多くがそうであるように、生き物は「群れる」習性があるから、人間だって同じことなんでしょうね。
 でも、グループは必ずしもいいものではなくて、ときとして凶暴になる恐れがあります。ある種、おかしな方向にいってしまったら、それはもう歯止めが利かなくなると見ているんですよ。

 ネットの書評によれば、もともと蛭子さんはこの本を書くことには乗り気ではなかったようですが、広島県呉市で起きた「LINE」上の口論をきっかけに起きた殺人事件に心を痛め、友だちと揉めて殺されるのなら友だちなんかいらないんじゃないか、ひとりぼっちでもいいんじゃないかと思い、書くことを決めたそうです。
 私自身、友だちはいないし、行動もほとんどひとりです。だから蛭子さんの意見は共感できます。蛭子さんのように私も子供のころはやはりひとり遊び、実際には双子の弟がいたので二人遊びの方が多かったのですが、外で遊ぶより家の中にいる方が多かったです。両親も今でいう成績至上主義の“毒親”で、何かにつけ出来のいい弟と比較されたこともあり、激しい劣等感に苛まれ、ますます陰に籠っていました。
 もともと内向的な性格もありましたが、小中学校では居ても居なくてもいいような軽い存在だったように思います。恐らく相当影が薄かったのではないかなあ!?高校になると周りとどうしても打ち解けることができず、いつもぽつんとひとりでいました。多分高校生活の大半は教室でほとんど喋らなかったと思います。話しかけてくれる人もいませんでしたしね。そういう意味で私の青春は本当に暗かった!!
 だから今も集団行動が苦手でいつの間にか輪の中からはぐれてしまうパターンがほとんど。何とか輪に入ろうと努力はするのですが、なかなかうまくいかず常に疎外感と劣等感に悩んでいました。またこの本で書かれている“大皿料理が苦手”なことや“食事会や飲み会が嫌い”なことは私もそうです。蛭子さんは自由が脅かされるのが嫌でそういった類の集まりを敬遠していますが、私の場合は集団の中の孤独に耐えられないという悲しい理由からです。
 ただ蛭子さんの心境になるには心の平静さが必要ではないかと思います。特にサラリーマンの場合、飲み会を断るにはちょっとした勇気が必要、同僚からの陰口や上司の嫌味に耐えねばいけません。私はほとんど最近は飲み会には出ていませんが、それは所属する組織に不満があり、やってられないと思い、ある重要な飲み会をすっぽかしたことがきっかけ。以降どうにもなれと開き直ったので、周囲の雑音を気にすることがなくなりましたし、あいつはそういう奴だと半場呆れられています。まあその代りに失ったものも多かったのですが・・・。鬱陶しい人間関係から解放されるには私のように開き直りが必要ですが、心の弱い人にはこれはかなり難しいことではないかなあ?
 さらにこれは重要なことだと思いますが、蛭子さんはひとりで自由でいるにはお金が必要だと説いています。また“ニート”や“ひきこもり”に対しても厳しい見方をされています。そしてたとえ嫌な仕事でもコツコツと地道に働くことを奨励しています。

 ただ、「ニート」というのは、どうなんだろうな・・・・・・?それはもう“労働意欲が‬ない”ということですよね。あと、「ひきこもり」みたいな人も理解できない。他人と接触するのが嫌なのかな?でもそれは現実的には許されない生き方ですよね。いつまでも親の世話になるわけにはいかないし、誰かに迷惑をかけながら生きていくのは、自分自身も精神的にきついでしょう。なによりも、それは本質的に自由ではない。自分で働いてお金を稼いでこそ、誰に憚ることなく自由でいられると、僕はそう思うんです。

 これって当たり前のことですが、その当たり前が人間なかなかできないですよねえ!?
 この本を読み終えて、蛭子さんへの心象が大きく変わったということはありませんが、蛭子さんの意外な一面が見れて面白かったです。この本はいわゆる教則本や指南書の類ではなく、どちらかと言えば、ゆるーいエッセイのような感じ、それが蛭子さんらしいのですが、平易な文章で一気に読めて、読んだ後に心にあったわだかまりのようなものが解けて爽快な気分にさせてくれました。一部、それはちょっと違うんじゃねえと思われるところもありますが、それはご愛嬌。人間関係に疲れたサラリーマンや交友関係に悩む学生さんには読んでもらいたい一冊だと思います。  

2016-02-08

蒋介石の密使 辻政信

 辻政信という人の名前を知ったのはもう15年くらい前のこと。井沢元彦さんの著書の中で辻政信はノモノハン事件の際、戦争を煽るだけ煽って、戦いが大敗するやその責任を部下に転嫁、捕虜になったものに対しては卑劣にも自決を供していた卑劣な人物として紹介されていました。当時の井沢さんは腐敗した官僚制を批判する意味で辻政信を例に取られたと思いますが、私としてそのような破廉恥な人間が旧日本軍にいたことがショックで、特アの連中が戦前の日本を口汚く罵るのも一理あると諦観していました。
 今回紹介するこの「蒋介石の密使 辻政信」、日本の歴史上、迷惑この上ない辻の半生を幼少期から記述。また焦点とされる戦後の辻の逃避行の真相も詳細に描かれています。著者である渡辺さんは、ブックカバーの紹介文に以下のように書かれています。

■「魔の参謀」といわれた男の、もう一つの「顔」
 辻政信ほど、常人の理解を超えた人間も珍しい。一介の参謀にすぎない彼が、各所で上司を無視して無謀な作戦を主導し、敗戦に導いたばかりか、陰謀、虐殺、偽命令などの事件を次々に引き起こす。だが、なぜか責任を問われることなく、また次の作戦に姿を現わす。周囲からは蛇笏のごとく嫌われながら、戦後は大ベストセラーを連発し、圧倒的な人気をもとに国会議員にも当選。最後は議員の身分でラオスに潜入し、そのまま消息を絶った。

 辻政信の常軌を逸した行為は枚挙に暇がないくらいですが、武士道継承した日本人にとっては到底理解できない人物で、スケールこそ違いますが、“狂喜スターリンヒトラーに通じる側面があり、特にヒトラーとは極端とも思える禁欲主義とエキセントリックな性格は酷似していると思います。
 度重なる愚策により日本を破滅に追い込んだ辻政信、彼はそれに飽きたらず更に日本を奈落の底に落とします。それがこの本のタイトルにもなった「蒋介石の密使」。戦局の行方を知っていたかどうかは定かではありませんが、辻は戦中から蒋介石に接近、戦後は一目散にその庇護の下に入ります。辻は著書である「潜行三千里」において、戦犯として連合国から追跡されるながら辛くも逃げ切ったことを誇らしげに語っていますが、何のことは蒋介石に匿われていただけのことだったんですね。この小物ぶりにはちょっと笑ってしまいました。それにしても、作戦の遂行に失敗した軍人たちに自決を迫った張本人がいの一番に敵の軍門に下るとは・・・。その破廉恥さには絶句するばかりです。
 さて蒋介石といえば、多くの日本人が「戦後日本の恩人」といったように好意的に評価されています。これはこの本で渡辺さんも述べられていますが、とんでもない誤解で、蒋介石こそがあの悪名高い「南京大虐殺」をでっち上げ、精神的に日本を隷属させようとした張本人とも言えます。その極悪人ともいえる蒋に尻尾を振ってすり寄った辻、彼は日本を破滅に追いやったことに飽きたらず、日本を敵に売った、本当に許し難い人間です。
 ではなぜ日本軍は辻の暴挙を止められなかったのか?これは私の読解力不足なのか、この本でその明確な答えを探すことはできませんでした。ただ辻は声が大きく、行動力もあり、押しが強かったとされています。私は声も小さくしかも押しが弱いのでやっかみ半分なのですが、軍隊に限らず民間企業でも声が大きく、押しの強い人の意見が往々にして罷り通るのはよくあることです。ただ何かあったときは自浄作用が働きますが、当時の日本軍はそうした機能が働かないほど機能不全に陥っていたのでしょうか?またこれは現代社会にも言えますが、当時のメディア、特に新聞ですが。必要以上に辻の行動を礼賛していたと考えられます。パフォーマンスに長けた人間はいつの時代もメディアに重宝されますからね・・・。
 最後になりますが、この本で日本軍の意外な事実がわかりました。1945年8月に日本は連合国降伏し、敗戦となりますが、こと中国戦線に至っては連戦連勝、負けなしだったとのことです。圧倒的な兵員とあり余る資金や武器の援助をアメリカを初め連合国から受けておきながらの体たらく、さすがに当時のアメリカ大統領ルーズベルトも堪忍袋の緒が切れ、蒋介石軍事統帥権軍事顧問のスティルウェルに明け渡すことを要求しています。その他、日本と中国の戦中戦後の秘話は随所に出てきており、日中関係を考察する上で読んでおきたいと言える一冊だと思います。

2016-02-07

孤独の中華そば「江ぐち」

 久しぶりに記事を更新します。思えば4か月ぶり!?

孤独の中華そば「江ぐち」

孤独の中華そば「江ぐち」

思わず自分も食べたくなる、飲みたくなる!はてなブログお題「あなたの『行ってみたいお店・レストラン』」結果発表!(http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/gohan/2875)について記事を書く

 年末にはてなブログみんなのごはんの共同企画である「あなたの『行ってみたいお店・レストラン』」に応募し、どういう訳か入選しまた結構なお品(熊本の馬刺し)を戴きました。先日お品が届き、家族と一緒に舌鼓を打ちました。月並みな表現で申し訳ありませんが、柔らかな歯ごたえと口に入れた時に甘味うまみが広がり、美味しかったです。はてなダイアリーで書いて申し訳ないのですが、この度は本当にありがとうございました。
 その時の記事です。 
わが青春の一杯、って大げさですが?中華そば「江ぐち」はうまかったなあ!? - 五つの池の喫茶店

 この記事を書くときに参考にしたのがこの孤独の中華そば江ぐち
 社会人の時くらいに「江ぐち」のラーメン店員さんについて書かれた本を読んだことを思い出し、Amazonで探しました。探し出した本のタイトルは「近くへ行きたい秘境としての近所-舞台は“江ぐち”というラーメン屋。」吃驚したのは作者があの「孤独のグルメ」で有名な久住昌之さんだったことです。ただ残念なことにこの本は絶版になっているようで、「江ぐち」閉店を機に出版されたのがこの本でした。
 久住さんは前書きで以下のように述べています。 

 この本は、1984年つまり昭和59年に、ボクが書いた『近くに行きたい。秘境としての近所―舞台は“江ぐち”というラーメン屋。』という本が元になっている。
       〜中略〜
 とにかく、当時、ボクの行きつけのラーメン屋「江ぐち」のことを、店員に全く取材もせず、友人達と勝手に想像してあれこれ書いてしまった一冊だ。
 当時ボクは、マンガ家としてデビューして3年目で26歳だった。
 25年前だ。ケータイインターネットもなかった時代だ。
       〜中略〜
 そういうわけで、この本は一軒のラーメン屋とボクの、四半世紀にわたる記録である。結果的に、ボクが25年もかけて作った本になった。 

 江ぐち三鷹駅南口にあったラーメン屋で、学生時代三鷹市に住んでいた関係からよく食べに行きました。この店を初めて知ったのは、女友達だった人の弟さんが三鷹市内の高校に通っていて部活帰りによく食べている美味しいラーメン屋があると聞いたからです。学生時代はかなりの頻度で通い、社会人になっても最初のうちは中央線沿線に仕事の拠点があったため、移動の時はわざわざ三鷹駅で降り、江ぐちによってラーメンを食べていました。住まいが横浜に移った時も、あの味が忘れられずに年に何回かは江ぐちに通っていました。結婚し、調布に越したときは嫁と一緒に行ったこともありました。ただ21世紀に入り、職種が変わり、生活拠点が東京から静岡に移ったため、江ぐちにはいかずじまい、すっかり江ぐちのことは忘れていました。今回ブログ記事で思い出したのですが、残念なことに江ぐちは2010年1月31日に閉店していました。 
 久住さんはあとがきで次のように書かれています。

 「江ぐち」の閉店の一週間は、それはスゴイ騒ぎだった。地下の店の前から地上に出てさらに長い行列ができた。麺がなくて泣く泣く帰る人もいたようだ。
 mixiでもtwitterでもすごい話題になっていた。ボクの日記が、知らぬ間にニュースに引用されたりした。
 名古屋や、京都や、岡山から、江ぐちラーメンを食べるだけのために上京した人もたくさんいたそうだ。みんなそれぞれの「江ぐち時間」が忘れられないのだ。
 「泣きながらラーメンを食べる人を初めて見ました」
 という報告もあった。思わず笑って、同時に涙がこぼれそうになった。

 今はもう存在しない「江ぐち」ですが、その後継というかその味を受け継ぐ形で2010年5月に同じ場所に「中華そば みたか」がオープンしました。基本的に麺もスープも「江ぐち」とほとんど変わっていないようです。
 さてこの本ですが、想像だけで江ぐちのことを事細かく記載しています。江ぐちの店の作りにはじまり、メニューとかそこで働く3人の職人さん達とか。今さらというべきでしょうか、久住さんの観察眼や想像力はもの凄いですね。それがあの「孤独のグルメ」に繋がったと思うと合点が行きます。
 特に3人の職人さんについては本当にこんなこと書いて大丈夫?と思えるほど際どいことも書かれています。当初、久住さんはお店の名前は伏せてくれと嘆願したそうですが、その願いは叶わず、この本が出版されても、久住さんは内心はびくびくしながらも江ぐちに通われたとか。でも出版されていたことは結局3人にはバレていて、「よく見ているなあ」と感心されていたそうです。3人のお人柄が偲ばれますね。
 後日談として3人のうちの一人アクマと呼ばれていた横倉道彦さんの娘さんと久住さんのエピソードが出てきますが、その話には思わず泣けてきました。その他にもいろいろな「江ぐち」ワールドが描かれており、これは単なるラーメン屋の話にとどまらず、何というか、そこに集う人間のドラマが凝縮されたような本です。読み終わって面白かったがちょっと切ない気持ちを感じる、心に残る私にとっては一冊でした。
 最後に3人の職人さん、タクヤと呼ばれいた井上修さんははてなブログでちょっと書きました。もう一人オニガワラと呼ばれていた江口伸弘さん、本ではコミカルに描かれていましたが、私は江口さんがラーメンを作る時間帯によく当たりましたが、江口さんの作るラーメンは美味しかったですよ。
 

2015-09-28

習近平よ、「反日」は朝日を見倣え

 高山正之さんの新刊が出ました。早速Amazonで購入して読んでみましたが、期待に違わない面白さ、アッという間に読み切ってしまいました
 今回は単行本の帯には次のように書かれていました。

 戦後70年の今こそ、反日の徒が歪曲した歴史の真実を学べー
 読めばすべてが分かる。捻じ曲げられた歴史の数々を一刀両断!
  ▼朝日新聞凋落を予期していた中国最高指導者とは?
  ▼中国人が知っている「日本軍は善玉」という史実
  ▼北京を略奪したのは「歴史の優等生」だった
  ▼GE社の欠陥を隠した朝日の大罪
  ▼キリスト教徒を締め出した日本の叡智とは?

 この本は週刊新潮に連載中の超辛口名物コラム「変見自在」をまとめたもので、このシリーズも今回で10冊目になるそうです。今回は2014年6月から2015年6月までの分。どのコラムを読んでも相変わらずの小気味よい“高山節”が炸裂し痛快です。今回は中国の事を多少多めに触れています。それにしても「中国」という国、知れば知るほど残忍で平気で嘘を付く非道な国家、そんな中国をいくら自分達の利益のためとはいえ、必要以上に阿る「朝日新聞」。いくら非難されようが彼らだって一応はジャーナリストの端くれ、中国取材くらいはすると思いますが、普通の日本人が異常と思える中国の姿は、朝日新聞の人達の眼にはどう映っているのでしょうか?

2015-09-27

朝鮮カルタ

新版 朝鮮カルタ

新版 朝鮮カルタ

 「その国を知るには、その国の歴史を知ること」、これはジャーナリスト高山正之さんの言葉です。日本人は元来お人好しなのか、「性善説」で相手の国と接することが多く、あとで酷い目に遭うこともしばしばあります。このことは支那朝鮮との関係において顕著で、特に朝鮮は戦前・戦後と破格の援助や支援を行ったのに、帰ってきたのは「拉致」「慰安婦」「賠償」「千年恨む」ですからね・・・・!? 最近でも世界遺産の登録を廻って、日本は韓国に土壇場で卑劣な裏切りに遭っています。散々裏切られたにも係らず、日本は所謂”特定アジア”と呼ばれているこれらの国々に今だに援助や支援を行っていますし、秋波を送っている日本人さえいます。政治家に至っては率先して日本を貶めることに熱を挙げている人もいる始末。最近では中国韓国がタッグを組み、更なる陰湿な‬“反日プロパガンダ工作”を世界中に仕掛けています。
 こうした現状を見るにつけ、中国韓国の言い分を鵜呑みにし贖罪意識の固まったあまりのお人好しの日本人に「いい加減に目を覚ませよ!」と叫びたいのですが、私の力はあまりに微力、常々忸怩たる思いをしています。
 そんな中、面白い本に出合いました。かつて「カムイ伝」などを連載し一世を風靡したマンガ雑誌ガロ」を出した青林堂から出版された「朝鮮カルタ」という本です。この本は古来からの朝鮮半島伝承されてきたことわざを編集したもので、発売前(2015年9月19日発売)にも係らずAmazon歴史書ランキングでトップなった本です。あまりに人気に発売早々増版が決定したとか。噂によれば、在阪の女性ジャーナリスト不買運動を仕掛けたものの、却ってそれが人気の口火になったとか。
 この本のまえがきに以下のように書かれています。

 ことわざを知る事は、その民族を知る事になる。
 ことわざは遠い昔から民衆の間で言い交わされ、伝承されてきたもので、その民族的性質をより濃く表現されるものである。

 思えば昨今の「反日」「嫌韓」で日韓関係は悪化の一途を辿っている。
 だが我々日本人は本当に韓国北朝鮮の人の性質を、理解出来ているのであろうか?
 
 「馬糞を知らずに、馬の医者になる」という朝鮮ことわざがある。馬を知らない医者が病気の馬を診察しても良くなるわけがないように、その民族の精神や特性を知る事が、今の我々や日韓関係には大切なことではないだろうか?

 この本、さすがにAmazonベストセラーになるだけあって衝撃的な本でした。というか、大半の日本人には到底理解しがたい異常すぎることわざのオンパレードでした。
 例えば、

 嘘も上手くつけば稲田千坪にもまさる <嘘も上手くつけば、財産を築けるし、世の中でうまく生きていける>
 乞食同士が袋を引き裂く <お互いが協力し合わなければならないはずなのに、己の利益の事しか考えていない>
 自分の食えない飯なら灰でも入れてやる <自分がその恩恵を受けられないのなら、他人にも受けさせてやるものか>
 泥棒が「どろぼうだ!」と叫ぶ <盗んだ本人が盗んでいないふりをしようと騒いで、自分の罪をかえって皆に知らす結果になる>
 母親を売って友達を買う <親友とは母親を売ってでも、持っておきたいくらい大切なものだ>
 悪口は祝福の言葉 <聞く本人には嫌なものだが、それがむしろ本人には良い作用を及ぼす場合もある>

 このような想像を絶する酷いことわざの羅列に、読めば読むほど不快感が募っていき、ページを捲るにも億劫になってきました。実際、「これ本当に朝鮮ことわざ?作者が創作したんじゃないの?」と思わず疑ってしまうほど酷いものが、これでもかこれでもかと続々と登場してきます。
 この本を読んで思ったのは朝鮮ことわざでは、排泄物性器といった下劣なものに関するものや女性障害者に対する差別なものが目立つことです。
 例を挙げると、

 犬の糞畑から人物が出る <貧しい家から、聖人君主が産まれる>
 女は三日殴らないとキツネになる <女は性根が悪く、狡猾なことをしやすい>
 睾丸をかいてやる <他人にどうか気にいられようとしてご機嫌取りをする>
 死んだ息子のチンコにさわる <まったく無意味な役に立たないことをする>
 障害者に立派な部分一つもない <障害者は身体だけでなく、心もおかしくなっている>
 泣く子に大便を食わせる <悲しんでいるものに非常に意地悪なことをする>

 ここに挙げたどれも思わず絶句する内容です。しかしここには紹介していませんが、この本には上記のものよりも更に目を疑うような常識を超えた強烈なことわざが載せられています。
 著者である牛辺さとしさんは、前書きで

 お互いを知る事から、真の友好が始まる。
 
 朝鮮ことわざをカルタ風のイラストと共に楽しく学んで頂き、お互いの理解が少しでも深まれば嬉しく思う。

 最後になるが、本書が日韓友好の一助となることを切に願うものである。

 と結んでおられます。ただこれを読んで日韓友好などは無理だと思う人が大半ではないでしょうか?近くて遠い国とよく言われますが、日本人と朝鮮半島の人とではあまりにも考え方や価値観が違い過ぎ、お互いを理解するのはかなり困難というか不可能なことでしょう。個人的な意見を言わせていただくと、日韓断交は無理にしても、関係は冠婚葬祭に留めるべきで、過度の援助や庇護は撤廃すべきだと思います。
 朝鮮半島の歴史は半万年、証拠はないけど九千年と言われていますが、その大部分がお隣の中国への隷属の歴史であり、朝鮮の支配者階級には屈辱的なものでした。ソウルにあったされる「迎恩門」で朝鮮の王様は「三跪九叩頭の礼」といって、三回土下座をし九回頭を地面に打ち付けて中国からの使者を迎え、また朝鮮の若い女性は貢物として中国に献上されました。そうした屈折した心理が、「両班制度」という内なる奴隷制度を作り、嘗糞(しょうふん)といった排泄物に愛着する異様な文化が起きたのではないでしょうか?
 日本のマスメディア韓国の異常とも思える反日感情には目をつぶりがちで、朝鮮半島の歴史についても戦前の日本の植民地支配(実際には植民地ではありませんが・・・)の事をクローズアップするのみで、韓国の実際の姿を多くの日本人に見せていませんし、見せようとはしません。逆に日本の嫌韓感情をオーバーに取り上げています。日本と韓国の関係、これを実際の人間関係に置き換えてみたらどうでしょうか?周りに韓国のような壊れた人がいたら、積極的に付き合おうと思うでしょうか?ましてや度を越した援助などしたいと思うでしょうか?思いませんよね!!私には“特定アジア”の人を厚遇し、日本に住んでいる日本人や日本に親しみを感じている国々を冷遇する姿勢がどうしても理解できません。はっきりと特定アジアの連中に意見をし、その性根を糺すのが本来の日本の姿ではないでしょうか!!
 ただネットが急速に発達したおかげで、今まで見えてこなかった本当の韓国朝鮮半島の姿が暴露されて始めています。マスメディアの方でも少数ではありますが、韓国北朝鮮批判する論調も出始めてきてます。それでもまだ韓国北朝鮮に甘い顔し、迎合する人たちが大勢いることは事実。この本はそういった考えを持った人たちにこそ読んでもらいたい一冊で、読んだうえで彼らがかの国々への付き合い方を再考することを切に望んでいます。