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 ル・グウィン “所有せざる人々”



“The Dispossessed: An Ambiguous Utopia”
 1974
 Ursula K. Le Guin
 ISBN:4150106746







 ル・グウィンの書いた短編に “オメラスから歩み去る人々” ISBN:4150103992 収載) というものがある。
 『最大多数の幸福を維持するために一人の人間の犠牲を黙認してもよいのか』というジレンマについて短く寓話的に描いた作品で、サンデルの “これからの「正義」の話をしよう” でも、功利主義を論じるくだりで引用されていたりする。
 けれど、ル・グウィンがこの短編に続くようなある種の後日談を書いていることは、サンデルの読者たちにはあまり知られていないかもしれない。

 オメラスという残酷なユートピアを拒否して別の社会をつくるとしたら、それはどのようなものであり得るのか? この問いに対してル・グウィンは “革命前夜” という短編をひとつの解として示している。そこでは革命家オドーを創始とする「オドー主義」という思想が出てくるのだけど、オドー主義の目指す社会こそ、ル・グウィンの考えるひとつの政治的ユートピアに他ならない。*1
 しかし “革命前夜” というタイトルがいみじくも示しているように、オメラスの問題を解決する理想がこの短編のなかできちんと実現しているわけではない。“オメラスから歩み去る人々” のその後が “革命前夜” であるように、“革命前夜” のさらに続編となる話がある。
 それがこの “所有せざる人々” という長編だ。
 舞台は恒星タウ・セチをめぐる双子惑星アナレスとウラス。オドーに導かれて革命を起こした者たちがウラスからアナレスへ移住してから170年が経過、オドー主義に沿った「無政府主義的・相互扶助社会」なるものが実際に築かれた時代について語られている。
 “オメラス〜” は必ずしもアナレス/ウラスと同一の舞台世界にあるわけではないし、あくまでも完結した寓話的短編。しかし “所有せざる人々” を語る際には、すべては “オメラス〜” での問題提起から延々と連なっていると捉えるべきだろう。つまり、ウラスという地球に似た世界に対するユートピアとして、オメラス的なあり方を選ぶのかそれともアナレス的なあり方を選ぶのか、という問題だ。
 そしてこのふたつのうち、ユートピアという意味でより完璧であるのは、功利主義の最大幸福原理を徹底しているオメラスの方であるはず。なにしろたった一人に不幸を強いること「だけ」で他の総ての者を幸福にすることができているのだから。
 一方、そうした幸福を許容しないル・グウィンが選ぶアナレス社会の方は、当初の理想はともかく、200年近く経った後には綻びをさまざまに抱えていることが明らかになっている。アナレスは作者にとってのひとつの答として追求され始めたもののなのに、SF小説としての細密な描写で記述していったら結果として負の面も書かざるを得なくなった…… というようにも見える。アナレスも、完全無欠の「終着地点」では決してない。
 
 ところで、この小説はアナレスとウラスの社会・文化比較に終始しているだけではなく、あるひとつの大きな出来事を語ってもいる。ル・グウィンのハイニッシュ・ユニヴァースのシリーズを特徴付けるコミュニケーション技術のひとつ、即時星間通信技術「アンシブル」がこの作品内で発明されているのだ。
 といってもこの小説内でアンシブルは、アナレスとウラスを架橋するような役割を果たすわけではない。むしろそれを一挙に飛び越えた、より広範な恒星間文明の確立に貢献している。アンシブルのおかげで効果的な恒星間連絡手段が実現し、「エクーメン」と呼ばれる汎世界連合の形成が後に果たされるからだ。
 エクーメンは80以上の惑星・3000以上の国家によるゆるやかな連合で、支配-被支配関係ではなくそれぞれの自主性・個性を維持しながら構成されている。多様な社会・文化がルーズに共存し、別様である可能性がどこかに確保されているというあり方は、それはそれでオメラスに対抗するモデルになり得ているとも思う。その意味で考えれば、政治哲学的な理想形として示されているアナレスよりも、その後のエクーメンこそが真に控えているユートピアと言えるのかもしれない。*2
 このとき、エクーメンの諸世界で「アンシブル」と「心話」というふたつの特殊なコミュニケーション技法が用いられていることは、とりわけ重要ではないだろうか。
 “ロカノンの世界” で獲得された「心話」は、“闇の左手” でも描かれているように、自我/他我の境界を超えた特別な相互理解を可能とするコミュニケーションであり、また “所有せざる人々” で発明された「アンシブル」は、時間/空間の境界を超えるコミュニケーションだ。境界をまたぐこれらの技術は、テーマを描くための小説的な仕掛けとしても有用に働いているけれど、何よりもまずエクーメンの社会を成り立たせる必須の基盤でもある。つまりエクーメン世界は政治運動によってつくられたユートピアではなく、コミュニケーションのツールによって到達された社会形態であるわけだ。
 これはゼロ年代的言説が、イデオロギーや政治に主導される社会変革ではなく Google などに牽引されるようなテクノロジーオリエンテッドな社会変革を好んで語っていたことを思い起こさせるのだけど、“所有せざる人々” も実は同様の構図で読むことが可能であるように思う。




*1: 
 『これは、あらゆる政治理論の中でも最も理想主義的、かつわたしにとっては最も興味深い理論』『本編は、オメラスから歩み去った人々のうちの一人を描いたものである』(“風の十二方位” p422))

*2: 
 さまざまなSF作品を書きやすい世界設定、という意味で、SF作家にとってのユートピアと言うこともできる。






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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもうループを背負ってない”
―Angela Mitchell