坂井妙子「アリスの服が着たい ヴィクトリア朝児童文学と子供服の誕生」

アリスの服が着たい―ヴィクトリア朝児童文学と子供服の誕生

アリスの服が着たい―ヴィクトリア朝児童文学と子供服の誕生

世界堂書店」を読んで、少年少女ものの文学に見られる共通したイメージとは?と思い積んでいた本を読みました。
大人の縮小ではない”子ども”が発見された近代、ヴィクトリア時代の児童文学キャラクタを模した子供服の流行、また各キャラクターの服装の特徴やミドルクラスにおける被服の意義にも触れた学術書です。

内容

本書でもコピーの対象となる文学キャラクターの核となるのはやはり健全さ、無垢であることと考えられています。
また文学キャラクターを模した衣服が商品化され現実の子どもが纏うことで、そのイメージは共有・再生産されていくようです。
また子供服の流行の大きな要因の理由として、著者はそれがミドルクラスの間にあること、前近代へのノスタルジーが含まれていることを指摘しています。


とすれば、家庭によって育てられる子どもと、文学中の健全な児童イメージがほぼ共通している層は、ミドルクラスに限定されていえるでしょう(そもそもこうした文学もミドルクラスを対象に出版されていただろう)。

では、少女性とは?

この「無垢な子ども」はさらに少年性、小女性、無性に分けることが可能と思われますが、私の関心のある"少女性"は文化圏によるものの影響がいかほどあるのか。
たとえば近代日本の擬似西洋文化プロテスタンティズムを参考としているが、日本の少女文学において主要な舞台となり、また流行の装置となったのは女学校である。無垢な子どもでもなく大人でもなく、卒業するまでの限られた自由の中で、学校以外にその捌け口のない少女同士で交わされる関係が肝となる。


英語圏の少女文学をあまり読んでいないので、今後それはもう少し勉強したい。

有栖川有栖の短編について

有栖川有栖に長編イメージが強いのは、おそらく複数回にわたり展開される推理、その手がかりの配置やリードが優れているからでしょう。
終盤であの尺のロジックを語るためには、仮の推論に対しどのタイミングで決め手となる伏線を処理するかが重要になると思われます。そのために長編の名作が多く読者の印象に残る。


では短編が弱いのか、トリック勝負なのかというとそうではなく、スイス時計の謎やロジカル・デスゲーム等作家シリーズの短編ではパズルに特化した極上のロジックが味わえますし、後者では対峙者との駆け引きがパズルのスマートさを演出する、場面プレゼンテーションの上手さも見ることができます。決して長編の縮小版ではありません。
また「江神二郎の洞察」では、探偵の細やかな観察力と時折覗かせる子どものような好奇心を生かし、日常の謎とその動機を鮮やかに見せる傑作短編集となっています。
長編でもこういった観察力や事件のあらましと動機はしっかり描写されていますが。ロジックの影に隠れる形となってしまうので、短編は贅沢に味わえる格好の機会です。