ブログはいつ死ぬのか、ウェブの噂も75日、光もともに運ばれて行く

更新後経過数と日記数のグラフ

えー、2週間ほど更新を停止しておりました当ブログですけども、いったいブログって、どのぐらい更新が止まると、どのぐらいの確率でそのまま閉鎖されるんでしょうかね? はてなのデータを使って、これを推定してみます。今日は、ブログの死と静謐せいひつな光について考えます。

舗道ほどうには何も通らぬひとときが折々ありぬ硝子がらす戸のそと   佐藤佐太郎

佐藤佐太郎歌集』より

歌人、佐藤佐太郎の歌です。なかなかインパクトのある名前ですね。佐藤と佐太郎ですよ。本物はどっち!?という感じです。どっちっつうか、まあ、どっちもなんですが。

ここでは「何も通らぬひととき」が、作者によって発見されています。ガラス戸のむこうの歩道に何も通らぬひとときがある、というのは、ごくありふれた情景なのですが、こうして歌になってみると、その静けさはただごとではない。不思議な力をもつ歌です。

ところで、当ブログもしばらく「何も通らぬひととき」を過ごしておりました。9月最後の更新の日付は21日となっていますが、実際の更新日は25日ですので、およそ2週間放置した、ということになります。

もっとも私としては、この間、yahooに掲載されたり、コメント欄のやりとりがあったり、それを2chでヲチされたりと、いろいろありましたので、この吹風日記から離れていた、という感覚はないんですけど、それでも、さすがに2週間空くと、ちょっと死臭がただよって参ります。

ところで、みなさまには実にどうでもいい話で恐縮ですが、吹風日記がyahooの「オンライン日記」のカテゴリに掲載されました。これは祝着至極なのですが、しかし、このカテゴリからの客足の悪さは尋常ではありません。新着マークが取れた最近3日間など、yahoo経由のアクセスが1ヒットという状態です。嘘じゃありません。3日で1ヒットです。あまりのショボさに、アクセスログを見た私はディスプレイにメッコール吹きましたよ。

「オンライン日記」のカテゴリと言えば、「実録鬼嫁日記」とか「きっこのブログ」とかが載ってるわけで、最強ブログ決定戦・ウェブ界の地下格闘場かと思いきや、こんなペースではカトゆー家のたった1行がもたらすアクセスに追いつくまでに、7年半はかかる計算です。まあねー、「理系出身の国語教師による日記」なんて地味なサイト紹介文じゃ普通クリックしませんよねー。畜生、いっそ「先生がイロイロ教えてア・ゲ・ル日記」とかにしときゃよかったぜ。

えー、脱線しました。

今日の本題に入りましょう。更新が2週間止まった当ブログですが、2週間止まると、このまま閉鎖か?という匂いもしてこようというものです。では、ブログというものは、どのぐらいの期間更新が止まると、どのぐらいの確率で閉鎖してしまうものなのでしょうか。

すなわち、はたしてブログはいつ死ぬのか?

人間の場合ですと、例えば、脳死判定基準というものがあります。深昏睡、瞳孔固定、脳幹反射の消失、平坦脳波、自発呼吸の消失、以上が2人の医師によって観察され、6時間以上経っても同じ所見だった場合、「脳死」となります。

ここでの興味は「6時間」という数字です。医学的には、6時間死にっぱなしのお前は既に死んでいる、ということになっているわけです。では、ブログの場合は?

もちろん、ブログの死というのは、人間のような不可逆なものではありません。ですが、例えば1年間放置されたブログというのは、普通、もう再起することはないでしょう。ですから、確率を使って死亡率を考えることはできるはずです。

さて、こんなこと、どうやれば調べられるのでしょうか?

実は非常に強力なデータがあります。はてなダイアリーの日記一覧です。ここには、はてなのすべての日記が、更新された順に掲載されています。データ数、およそ24万。

このデータを参照することで、現時点での更新間隔の分布が分かります。とはいっても、全部読むと4800ページ。さすがに、はてなサーバに負荷をかけすぎます。そこで今回の調査では、20ページおきにデータを拾い、データが欠けた分は、前後の日付のデータを直線でつないで補完する作戦でいきます。これでも全体の傾向ははっきり分かりますが、細かい点、例えば曜日による更新頻度の違い、といったことは分かりません。ご了承ください。調査期間は、10月6日の午前2時から20分間です。

結果を大ざっぱにながめます。まず、24時間以内に更新された日記が圧倒的に多く、その数は2万を超えています。24〜48時間内の更新が約6900。以下1日ごとに、4400→3400→3100と減っていきます。2週間放置されてから更新される日記は、約820。1ヶ月放置だと約500です。

冒頭に掲載したグラフは、最近1年間のデータをもとに作成したものです。横軸が「最後に更新されてからの経過日数」、縦軸が「日記数」です。例えば、更新停止してから100日経過した日記の数はおよそ300である、ということがグラフから分かります。ただし、経過日数が小さい分のデータは、日記数が大きすぎてグラフから飛び出しています。

まず、ぱっと見、約300日前に更新された日記が突出して多いことが目を惹きます。これは、元日前後の更新ですから、「あけおめ更新」ですな。本年もよろしく!と書いたまま、今にいたるまで更新していない日記が、はてなには700近くあるということです。年賀状みたいなものでしょうか。

その正月からしばらくの間は最終更新の日記が減ります。このことは、一月中に日記を停止する人はあまり多くない、ということを意味しています。三日坊主ならぬ、1ヶ月坊主で日記が続いているわけです。

で、ですね、ここで真に興味深いのは、更新停止後100日以上経過したブログの数というのが、ほぼ横ばいである、ということです。グラフに目安となる横線を引いておきました。この線は、「日記数260」のところに引いてあります。

単純に考えると、最終更新された日付が若いほど、日記の数も多くなるような気がしますが、現実には、その傾向は非常に弱いわけです。

なぜか?

このことは、ある期間(だいたい100日)を過ぎると、ブログが再び更新されることはない、と考えることで説明がつきます。つまり、毎日一定の数、死んでゆくブログがあるのではないか、という仮説です。

この仮説がかなり妥当であることが、別のデータから分かります。

まず、はてなダイアリーの日記数は、ここ1年、ほぼ毎日一定のペースで伸びています。ところが、はてなのアクティブユーザー(1ヶ月以内に更新をした人)の数は、この1年間ほとんど変化していません。ブログファンによる、2005年11月〜2006年6月のデータと、2006年4月〜9月のデータにリンクしておきます。なお、ユーザー数の伸び悩みは、FC2ブログを除く、すべてのブログサービス共通の現象です。

日記数自体は一定のペースで増えているのに、アクティブユーザー数が変化していない。これは、死んでいくブログの数が毎日一定数ある、と考えるのが最も自然な説明です。

はてなダイアリーの数は、去年の10月5日から今年の10月5日の1年間で94681増えました。これを365で割ると、259.4です。つまり、1日約260。さきほどグラフに引いた横線は、この「1日260日記」のところに引いたのでした。

以上のことから、はてなでは、毎日260の日記が死んでいく、と考えるのが妥当です。

さて、ここで、最初の問題であった死亡率の計算をしておきます。例えば、私は吹風日記を2週間放置したわけですが、手元のデータによると、最終更新から14日経過した日記の数は約820です。このうち、260の日記は、以後ずーっと死亡したままになる、と考えられます。というわけで死亡率は31.7%です。軍事的には3割損耗で「全滅」判定くらいますから、確かに2週間放置というのはヤバい水準ではあったようです。

いくつか計算しておきます。ここでいう「死亡」とは「二度と更新されない」という意味です。

  • 24時間以内に更新された日記の死亡率は、約1.3%。
  • 1週間放置された日記の死亡率は、約16%。
  • 2週間放置された日記の死亡率は、約32%。
  • 1ヶ月放置された日記の死亡率は、約52%。
  • 3ヶ月放置された日記の死亡率は、約90%。

では、ずばり、ブログはいつ死ぬのでしょうか。データをながめますと、初めて死亡率90%を超えたのは、最終更新から78日経過後でした。したがいまして、だいたい75日ほど更新が停止すると、そのブログは「死んだ」と言っていいかと思います。「人の噂も七十五日」の格言は、案外まっとうな数字なのかもしれません。

ところで、今回の推定によりますと、24時間以内に更新されたブログが二度と更新されない確率は約1.3%、ということだったのですが、これは正直言ってそうとう高い確率です。もし相手が人間だったら、昨日までピンピンしていた人が突然死ぬことに相当するわけですからねえ。

佐藤佐太郎の歌にこんなのがあります。「中空の無数の星の光にも盛衰交替のとき常にあり」。ブログもそういう世界なのかもしれません。

冒頭に引用した「舗道には何も通らぬひとときが折々ありぬ硝子戸のそと」、この歌の不思議な静けさはどこから来るのでしょうか。もちろん、「何も通らぬ」から、なのでしょうけど、それだけでしょうか。

この歌には時間に対する鋭い意識があります。「ひととき」という、長さをもつ時間がまずある。そして「折々ありぬ」という言葉を発するためには、「ひととき」よりもさらに長い時間を経なければならない。そして、そのような長い沈黙の時を、ガラスのむこうに見る。

どうも、この歌の世界はウェブの世界に似ているような気がする。この歌が気づかせてくれることは、停止している時間、さらには死が、世界には必ずあるということ、そして、その静けさ、なのではないか。2chでF5連打したり、ソーシャルブックマークで最新ニュース探したりして、時間のスキマを埋めようと必死な我々は、だから、この歌に虚を衝かれるのではないか。

こんなことを書いていると、このまま更新停止しそうな勢いですが、私は別に、この吹風日記から途中下車する気はありません。ときどきやってくる「何も通らぬひととき」を静かに過ごしつつ、ぼちぼちやっていくつもりです。

最後に、佐藤佐太郎の有名な歌をもう一つ。

秋分の日の電車にて床にさす光もともに運ばれて行く