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cover ■「ニセ医学」に騙されないために

 ホメオパシー、デトックス、千島学説、血液型ダイエット、ワクチン有害論、酵素栄養学、オーリングテストなどなど、「ニセ医学」についての本を書きました。あらかじめニセ医学の手口を知ることで被害防止を。

0018-04-14 澤田石先生へのお返事(2018年4月14日)

[]澤田石先生へのお返事(2018年4月14日) 澤田石先生へのお返事(2018年4月14日)を含むブックマーク

■■内科勤務医 @NATROM 医師とのやり取りの記録 その一(2018/4/13) — Twishortもしくは■澤田石先生からのご質問へのお返事、および、こちらからの質問の再掲 - NATROMの日記の澤田石先生のコメントに対するお返事です。


澤田石先生へ。ご丁寧なお返事、ありがとうございました。

澤田石先生が批判をする(十分)条件は「現実世界で知り合いである」だけでなく「公人もしくは准公人」もあり、現実世界で知り合いでなくても「公人もしくは准公人」を対象に批判しうることがわかりました。さらに准公人は「社会保険and/or税から報酬を得ている人々」と定義され、保険診療を行っている医師が含まれていることもわかりました。よって、澤田石先生が医療ジャーナリストである伊藤隼也氏を批判しないのに、村中璃子氏を批判していた(そしてその後基本的に批判することはやめていた)理由もわかりました。

しかしながら一方で、別の疑問も生じます。


(1)政府の有識者会議の構成員である伊藤隼也氏は准公人ではないですか?

伊藤隼也氏は2010年から「厚生労働省新型インフルエンザ専門家会議」あるいは「内閣官房新型インフルエンザ等対策有識者会議 」の構成員です。准公人を「社会保険and/or税から報酬を得ている人々」と定義すると、伊藤隼也氏は准公人であると私は考えますが、いかがでしょうか。金銭的な報酬は少ないでしょうが、「少ないから准公人ではない」と言えるのでしょうか。また、金銭的な報酬が少ないとしても政府の有識者会議の構成員であるという肩書が、メディアでジャーナリストとしての働くときに伊藤氏に利益をもたらすことは明らかです。


(2)フォロワー数が3万越え、マスコミも露出している「ジャーナリスト」が准公人ではない、という判断は妥当ですか?

そもそも、対象が「社会保険and/or税から報酬を得ている」かどうかをいちいち勘案して批判するかどうかを判断するというのは非合理的です。批判対象が収入源を正確に開示していない場合は批判できないのですか。「村中璃子氏は准公人だから批判するが伊藤隼也氏はそうではないので批判しない」という基準は後付けに持ち出された言い訳に過ぎないように見えます。後付けでないなら、なぜ初めから准公人基準を持ち出さなかったのでしょうか。

ネット空間では有象無象の「匿名のゴミアカウント」を相手にしていられない、という態度は正しいでしょう。しかしながら、伊藤氏は「匿名のゴミアカウント」ではありません。フォロワー数が3万人以上で、テレビにも出演しています。それも「医療ジャーナリスト」という肩書で。仮に伊藤氏が専門家会議の構成員ではなく、よって「社会保険and/or税から報酬を得ている人々」ではないとしても、医学的に不当な主張を行えば批判されるべきではないですか。


(3)伊藤隼也氏を本当に「全体として信用」できますか?

お忘れになっているかもしれませんが、伊藤隼也氏が批判の対象になるかならないかは、「伊藤隼也さんの子宮頸がんワクチンについての言説には、私はすべて賛成してます」*1という澤田石先生の発言からはじまっています。医師を名乗ったアカウントがそのような発言を行うのはきわめてまずいと私は考えました。

「私は人物Aの分野Bについての言説にすべて賛成している。しかし、人物Aは准公人ではないし個人的な知り合いでもないので、人物Aが分野B以外についてどのような荒唐無稽な発言をしても私は批判しない」

というのは無責任です。百歩譲って、HPVワクチンとはまったく関係のない「医療事故関係のことで、過去に私からみて宜しくない発言」をしたけれども、ワクチン関係の言説については信頼できるというのなら話はわかります。しかしながら、伊藤氏はワクチン関係について問題発言をしています。


(3-I)「数年前にインフルエンザワクチンを打った直後にインフルエンザになったからインフルエンザワクチンやめた」

f:id:NATROM:20180414113715j:image

インフルエンザワクチンは接種後数週間しないと効果を発揮しません。また有効率は40〜60%程度であり、接種してもインフルエンザになることもあります。「論文等を参考に利益と害を勘案した上でワクチン接種をやめた」ならともかく、「インフルエンザワクチンを打った直後にインフルエンザになったからインフルエンザワクチンやめた」という主張は非合理的です。典型的なニセ医学的思考です。

これは「子宮頸がんワクチンについての言説」でなく、インフルエンザワクチンについての言説ですが、それでもワクチンについてかような考え方をする人物が、HPVワクチンについて「すべて賛成」できるような発言をできる能力があるとは思えません。

他にも伊藤隼也氏の問題発言は多数あります。たくさんありますが、HPVワクチンに関連し、かつ、わかりやすいものを紹介します。


(3−II)「子どもにASDやADHDという科学的に十分でなく診断基準そのものに議論のある診断を受けさせている時点で、知性とデリカシーが欠如している」

f:id:NATROM:20180414113712j:image

ASD(自閉症スペクトラム)やADHD(注意欠如多動性障害)の診断基準は、議論がないとは言いいませんが、おおむね確立していると言ってよいです。少なくともHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)やASIA(アジュバント誘発自己免疫症候群)よりはずっと。ただ、問題は診断基準に議論があるかどうかではなくその診断を受けさせていることを「知性とデリカシーが欠如している」と伊藤隼也氏が表現していることです。

HPVワクチンに反対する人たちはしばしば、「HPVワクチン推奨者は被害者やその家族を誹謗・中傷している」と主張します。なるほど、たとえば「HANSという科学的に十分でなく診断基準そのものに議論のある診断を受けさせている時点で、知性とデリカシーが欠如している」などという発言があれば、それは誹謗・中傷であると言っていいでしょう。そのような発言があれば、具体的にその発言を特定した上で、断固として批判していただきたいものです。

翻って、伊藤氏の発言です。我が子の行動に悩み、専門家に相談し、ASDやADHDという診断を受けた保護者が読んで、どう思うでしょうか。ASDやADHDの診断基準に問題があると主張するなら批判の対象は専門家たちであって、家族ではないはずです。付け加えて、伊藤隼也氏がこのような発言をした背景には、標準的な精神医学を完全に否定している内海聡医師の影響を受けている可能性がある、と指摘しておきます*2


(3−III)「20代の女性へ 「子宮頸がん検診」は受けないで!!」というブログを紹介

f:id:NATROM:20180414113709j:image

リンク先は、近藤誠氏に肯定的なブログです。HPVワクチン否定と検診否定の組み合わせは最悪です。「検診さえすれば子宮頸がんはほぼ完全に予防できるのだからワクチンは不要である」という検診の効果を過大評価した主張も間違っていますが、検診否定よりはずっとましです。20歳台の子宮頸がん検診に議論があるのは確かですが*3、議論するとしても丁寧さが必要ではないですか。HPVワクチンの接種率が低迷している日本は、相対的に若年女性の子宮頸がん検診の利益が大きくなると考えられます。それとも「子宮頸がんワクチンについての言説」でないから許されるのでしょうか。

しかも、澤田石先生はHPVワクチンのみの発言に限らず、「HPVワクチン問題故に伊藤氏を全体として信用してます*4とツイートしています。上記、(3-I〜III)の伊藤氏の発言を読んでもなお、「伊藤氏を全体として信用」できるのかどうか、お答えくだされば幸いです。これらで不足なら別の根拠も出します。いくらでもあります。

澤田石先生は医師とのとなので(完全に自費診療か、もしくは引退していなければ)、「准公人」であると言えます。准公人が、あるジャーナリストについて「全体として信用してます」と発言したのです。ならば、そのようなジャーナリストの発言についていささの責任があると私は考えますが、いかがでしょうか。



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■澤田石先生へのお返事(2018年4月16日)

sawataishisawataishi 2018/04/15 04:18 ■内科勤務医 @NATROM 医師とのやり取りの記録 その二(2018/4/15)
  ☆本文書の所在⇒ twishort.com/edit/g8Wmc
Natrom 先生の澤田石に関する疑問が記載された webpage ⇒ http://d.hatena.ne.jp/NATROM/00160206#p1
に関して、次の文章で ⇒ https://twishort.com/b2Wmc 2018/4/13に回答しました。
それに対して、驚いたことに、速やかに返答いただきました。ありがとうございました。
私の先生への回答の中で、先生に回答して頂きたい部分に関しては "★Q★" と表記しますので、可能であればどうかお願いします。

▼Natrom先生とは異なり言葉が通じない医師達(いきなり蛇足)
 上昌広医師、久住英二医師、村中璃子医師に対して、私はいろいろな手段で批判・非難してきましたが反応は twitterならばブロックのみ。久住君だけは言葉がありました。なんと、久住君がブロックする直前に、私と彼の大切な共通する友人に対して、「澤田石をブロックすることをすすめる、目的があるのでしょう」というようなもの。

以下、質問・疑問に対する回答と私からの質問・問題提起です。

-Question(以下 Q) by Natrom先生(以下 N)
澤田石先生は医師とのとなので(完全に自費診療か、もしくは引退していなければ)、「准公人」であると言えます。准公人が、あるジャーナリストについて「全体として信用してます」と発言したのです。ならば、そのようなジャーナリストの発言についていささの責任があると私は考えますが、いかがでしょうか。

-Answer(以下 A) and Q by 澤田石(以下 S)
 私は鶴巻温泉病院の勤務医。保険診療に従事しているので先生と同様に准公人です。伊藤隼也さんというジャーナリストについて私は「全体として信用してます」と発言し、今でもそうです。前回の回答でも言いました。彼の発言の一つ以上に関して、私から見て間違いとか疑問を感じることはあると。
 「全体として」という表現を定義するのはつまらないですね(笑)。例えば、安倍晋三氏を「全体として」私は信頼しないどころか、憎みますが、安倍総理のある部分は肯定的に評価してます。
 「全体として」の評価がプラスな人物に関して、``澤田石からみて''and/or``医師の圧倒的多数からみて'' マイナスと評価される発言について、私には責任がありません。
★Q1★ 伊藤さんのそのような「トンデモ」発言そのものについては、澤田石に「責任」がないことは認めますでしょうか? (他人の発言に責任がないのは当然)
★Q2★ 伊藤さんのトンデモ発言が一つ以上あることを澤田石は認識してますが、澤田石が彼について「全体として信用してます」と公言することが、彼のトンデモ発言について、澤田石には批判する「義務」とか「責務」があると、あなたは本気で思っているのでしょうか?
 Natrom先生のいう``いささかの責任''とは実に巧妙に考えられた言葉ですね。正直言いまして、不快で憤りましたが、ロジックでの対話が大切なので、今言った感情のことは脇において下さい。
 前回の回答でも言いました。ジャーナリストとか匿名の自称医師という公人(准公人)の``私からみての''問題発言については、直接に批判しないと。その理由も縷々述べました。対話が成立しないので時間の無駄(それ以外にも理由あり)。
 再度、言いますが、伊藤隼也さんとは既に「知人」になっていますから、私が彼の「トンデモ発言」をtwitterで現実に見た場合、twitterで批判することは大原則と既になってます。伊藤隼也さんと現実世界で呑み、取材も受けました。私の意見を伊藤さんは女性セブンに本旨を曲げることなく記事にして下さいました。私が彼を「全体として信用する」ことは感情・思考・意志の三つが一致していることであります。高く評価してます。私には伊藤隼也氏への愛があります。だからこそ、必要な時には伊藤さんの発言が明らかに間違っていると考えられた時には、疑問や批判を送る「義務」とか「責務」があります。
 
▼信仰告白
 Natrom先生、実は私、昨年の12/13に三位一体の神の僕となる決断をしました。教会にはまだ行って無い、洗礼は受けてません。ハーベストタイムの中川健一さんの聖書についての解説を昨年の発月から毎日一時間聴いてます。
 愛という持続的行為あるいは持続的現象の必須要素の一つは「相手の成長を願うこと。成長すると信じること」。このことは約30年前に読んだエーリッヒ・フロムの Art of Loving (みすず書房、「愛するということ」)で骨肉に刻まれたと思ってました。感情と理屈で感銘してはいたものの2017/12/13の前にはわかってなかった。

▼対話の重要性
 私は、現実世界で知り合いの人物 and 公人については、私から見て問題だと考えられる発言については、批判するようにしているといいました。前者の「知り合い」に関しては積極的に意見を申す理由は、愛ゆえだと、敢えて恥ずかしながらいいます。愛が互いになくても、「知り合い」であれば対話が成立する蓋然性が高いわけです。対話が持続すること、非常に貴重だと思います。
 ある人の意見・批判が「正しい」かどうかは、その人には客観的にわかりません。ある人の見解を判定する資格を有するのはその人以外であり、その人自身には判定する資格が形式的にありません。ある人と他者の対話を通じてのみ、「客観的」に真実が見えてくる可能性があるのみ。主観的な自説の奴隷と化してしまうのが、大多数の人間。もちろん、私はその典型であることは自覚してます。わかっているのになかなか・・。
 
- Q by N
(1)政府の有識者会議の構成員である伊藤隼也氏は准公人ではないですか?
-A by S
 准公人に近いですね。そのこと以前に、伊藤さんとは既に「知り合い」なので、公人(准公人)であろうがなかろうが、私が見て「これは問題発言」と認識したら、批判や疑問を云わざるを得ません。知り合って以来、私は伊藤さんの問題発言を見たことはありません。相互フォローはしてますが、twitterのタイムラインは希にしか見てません。

- Q by N
(2)フォロワー数が3万越え、マスコミも露出している「ジャーナリスト」が准公人ではない、という判断は妥当ですか?
- A by S
★Q3★ ここでの妥当とは、法的な意味ですか、それとも社会的な意味ですか?
 名誉毀損罪とかの訴訟においては、有名人は「公人」とみなされます。そのことは私による勝手な定義とは関係ありません。
 フォロワー数が三十万あろうが、マスコミに毎週露出しようが、「私による公人の定義」は満たしません、前回説明したように。私の定義は私だけのものです。私の定義が「妥当かどうか」に関して私自身には判断する資格がありません。「私にとって妥当」なのはいうまでもありません。。私の定義に関して、Natrom先生が「妥当ではない」と云うならば、それで良いのです。公人についてのあなたの定義が私と異なるとしても、そのことについて、私はどうでもよいのですよ。

昨日は東京保険医協会主催の「奈良県の医師が検察官の暴行により死亡した(疑いの)事案」についての講演会と懇親会に参加して、遅くに帰宅しました。質問に対する回答の不足がありましたら、メール( to jsawa@nifty.com )でどのような手段でもいいので、ご指摘下さい。そろそろ、睡眠に入ります。午前四時なので。

sawataishisawataishi 2018/04/15 04:37 ☆☆間違いを訂正しました。いかが正式なコメントです。

■内科勤務医 @NATROM 医師とのやり取りの記録 その二(2018/4/15)
  ☆本文書の所在⇒ https://twishort.com/g8Wmc
Natrom 先生の澤田石に関する疑問が記載された webpage ⇒ http://d.hatena.ne.jp/NATROM/00160206#p1
に関して、次の文章で ⇒ https://twishort.com/b2Wmc 2018/4/13に回答しました。
それに対して、驚いたことに、速やかに返答いただきました⇒ http://d.hatena.ne.jp/NATROM/00180414#c
私の先生への回答の中で、先生に回答して頂きたい部分に関しては "★Q★" と表記しますので、可能であればどうかお願いします。

私の先生への回答の中で、先生に回答して頂きたい部分に関しては "★Q★" と表記しますので、可能であればどうかお願いします。

▼Natrom先生とは異なり言葉が通じない医師達(いきなり蛇足)
 上昌広医師、久住英二医師、村中璃子医師に対して、私はいろいろな手段で批判・非難してきましたが反応は twitterならばブロックのみ。久住君だけは言葉がありました。なんと、久住君がブロックする直前に、私と彼の大切な共通する友人に対して、「澤田石をブロックすることをすすめる、目的があるのでしょう」というようなもの。

以下、質問・疑問に対する回答と私からの質問・問題提起です。

-Question(以下 Q) by Natrom先生(以下 N)
澤田石先生は医師とのとなので(完全に自費診療か、もしくは引退していなければ)、「准公人」であると言えます。准公人が、あるジャーナリストについて「全体として信用してます」と発言したのです。ならば、そのようなジャーナリストの発言についていささの責任があると私は考えますが、いかがでしょうか。

-Answer(以下 A) and Q by 澤田石(以下 S)
 私は鶴巻温泉病院の勤務医。保険診療に従事しているので先生と同様に准公人です。伊藤隼也さんというジャーナリストについて私は「全体として信用してます」と発言し、今でもそうです。前回の回答でも言いました。彼の発言の一つ以上に関して、私から見て間違いとか疑問を感じることはあると。
 「全体として」という表現を定義するのはつまらないですね(笑)。例えば、安倍晋三氏を「全体として」私は信頼しないどころか、憎みますが、安倍総理のある部分は肯定的に評価してます。
 「全体として」の評価がプラスな人物に関して、``澤田石からみて''and/or``医師の圧倒的多数からみて'' マイナスと評価される発言について、私には責任がありません。
★Q1★ 伊藤さんのそのような「トンデモ」発言そのものについては、澤田石に「責任」がないことは認めますでしょうか? (他人の発言に責任がないのは当然)
★Q2★ 伊藤さんのトンデモ発言が一つ以上あることを澤田石は認識してますが、澤田石が彼について「全体として信用してます」と公言することが、彼のトンデモ発言について、澤田石には批判する「義務」とか「責務」があると、あなたは本気で思っているのでしょうか?
 Natrom先生のいう``いささかの責任''とは実に巧妙に考えられた言葉ですね。正直言いまして、不快で憤りましたが、ロジックでの対話が大切なので、今言った感情のことは脇において下さい。
 前回の回答でも言いました。ジャーナリストとか匿名の自称医師という非公人(非准公人)の``私からみての''問題発言については、直接に批判しないと。その理由も縷々述べました。対話が成立しないので時間の無駄(それ以外にも理由あり)。
 再度、言いますが、伊藤隼也さんとは既に「知人」になっていますから、私が彼の「トンデモ発言」をtwitterで現実に見た場合、twitterで批判することは大原則と既になってます。伊藤隼也さんと現実世界で呑み、取材も受けました。私の意見を伊藤さんは女性セブンに本旨を曲げることなく記事にして下さいました。私が彼を「全体として信用する」ことは感情・思考・意志の三つが一致していることであります。高く評価してます。私には伊藤隼也氏への愛があります。だからこそ、必要な時には伊藤さんの発言が明らかに間違っていると考えられた時には、疑問や批判を送る「義務」とか「責務」があります。
 
▼信仰告白
 Natrom先生、実は私、昨年の12/13に三位一体の神の僕となる決断をしました。教会にはまだ行って無い、洗礼は受けてません。ハーベストタイムの中川健一さんの聖書についての解説を昨年の発月から毎日一時間聴いてます。
 愛という持続的行為あるいは持続的現象の必須要素の一つは「相手の成長を願うこと。成長すると信じること」。このことは約30年前に読んだエーリッヒ・フロムの Art of Loving (みすず書房、「愛するということ」)で骨肉に刻まれたと思ってました。感情と理屈で感銘してはいたものの2017/12/13の前にはわかってなかった。

▼対話の重要性
 私は、現実世界で知り合いの人物 and 公人については、私から見て問題だと考えられる発言については、批判するようにしているといいました。前者の「知り合い」に関しては積極的に意見を申す理由は、愛ゆえだと、敢えて恥ずかしながらいいます。愛が互いになくても、「知り合い」であれば対話が成立する蓋然性が高いわけです。対話が持続すること、非常に貴重だと思います。
 ある人の意見・批判が「正しい」かどうかは、その人には客観的にわかりません。ある人の見解を判定する資格を有するのはその人以外であり、その人自身には判定する資格が形式的にありません。ある人と他者の対話を通じてのみ、「客観的」に真実が見えてくる可能性があるのみ。主観的な自説の奴隷と化してしまうのが、大多数の人間。もちろん、私はその典型であることは自覚してます。わかっているのになかなか・・。
 
- Q by N
(1)政府の有識者会議の構成員である伊藤隼也氏は准公人ではないですか?
-A by S
 准公人に近いですね。そのこと以前に、伊藤さんとは既に「知り合い」なので、公人(准公人)であろうがなかろうが、私が見て「これは問題発言」と認識したら、批判や疑問を云わざるを得ません。知り合って以来、私は伊藤さんの問題発言を見たことはありません。相互フォローはしてますが、twitterのタイムラインは希にしか見てません。

- Q by N
(2)フォロワー数が3万越え、マスコミも露出している「ジャーナリスト」が准公人ではない、という判断は妥当ですか?
- A by S
★Q3★ ここでの妥当とは、法的な意味ですか、それとも社会的な意味ですか?
 名誉毀損罪とかの訴訟においては、有名人は「公人」とみなされます。そのことは私による勝手な定義とは関係ありません。
 フォロワー数が三十万あろうが、マスコミに毎週露出しようが、「私による公人の定義」は満たしません、前回説明したように。私の定義は私だけのものです。私の定義が「妥当かどうか」に関して私自身には判断する資格がありません。「私にとって妥当」なのはいうまでもありません。。私の定義に関して、Natrom先生が「妥当ではない」と云うならば、それで良いのです。公人についてのあなたの定義が私と異なるとしても、そのことについて、私はどうでもよいのですよ。

昨日は東京保険医協会主催の「奈良県の医師が検察官の暴行により死亡した(疑いの)事案」についての講演会と懇親会に参加して、遅くに帰宅しました。質問に対する回答の不足がありましたら、メール( to jsawa@nifty.com )でどのような手段でもいいので、ご指摘下さい。そろそろ、睡眠に入ります。午前四時なので。

sawataishisawataishi 2018/04/15 04:43 誤字訂正しました。こちらを
■内科勤務医 @NATROM 医師とのやり取りの記録 その二(2018/4/15)
  ☆本文書の所在⇒ https://twishort.com/g8Wmc
Natrom 先生の澤田石に関する疑問が記載された webpage ⇒ http://d.hatena.ne.jp/NATROM/00160206#p1
に関して、次の文章で ⇒ https://twishort.com/b2Wmc 2018/4/13に回答しました。
それに対して、驚いたことに、速やかに返答いただきました⇒ http://d.hatena.ne.jp/NATROM/00180414#c
私の先生への回答の中で、先生に回答して頂きたい部分に関しては "★Q★" と表記しますので、可能であればどうかお願いします。

私の先生への回答の中で、先生に回答して頂きたい部分に関しては "★Q★" と表記しますので、可能であればどうかお願いします。

▼Natrom先生とは異なり言葉が通じない医師達(いきなり蛇足)
 上昌広医師、久住英二医師、村中璃子医師に対して、私はいろいろな手段で批判・非難してきましたが反応は twitterならばブロックのみ。久住君だけは言葉がありました。なんと、久住君がブロックする直前に、私と彼の大切な共通する友人に対して、「澤田石をブロックすることをすすめる、目的があるのでしょう」というようなもの。

以下、質問・疑問に対する回答と私からの質問・問題提起です。

-Question(以下 Q) by Natrom先生(以下 N)
澤田石先生は医師とのとなので(完全に自費診療か、もしくは引退していなければ)、「准公人」であると言えます。准公人が、あるジャーナリストについて「全体として信用してます」と発言したのです。ならば、そのようなジャーナリストの発言についていささの責任があると私は考えますが、いかがでしょうか。

-Answer(以下 A) and Q by 澤田石(以下 S)
 私は鶴巻温泉病院の勤務医。保険診療に従事しているので先生と同様に准公人です。伊藤隼也さんというジャーナリストについて私は「全体として信用してます」と発言し、今でもそうです。前回の回答でも言いました。彼の発言の一つ以上に関して、私から見て間違いとか疑問を感じることはあると。
 「全体として」という表現を定義するのはつまらないですね(笑)。例えば、安倍晋三氏を「全体として」私は信頼しないどころか、憎みますが、安倍総理のある部分は肯定的に評価してます。
 「全体として」の評価がプラスな人物に関して、``澤田石からみて''and/or``医師の圧倒的多数からみて'' マイナスと評価される発言について、私には責任がありません。
★Q1★ 伊藤さんのそのような「トンデモ」発言そのものについては、澤田石に「責任」がないことは認めますでしょうか? (他人の発言に責任がないのは当然)
★Q2★ 伊藤さんのトンデモ発言が一つ以上あることを澤田石は認識してますが、澤田石が彼について「全体として信用してます」と公言することが、彼のトンデモ発言について、澤田石には批判する「義務」とか「責務」があると、あなたは本気で思っているのでしょうか?
 Natrom先生のいう``いささかの責任''とは実に巧妙に考えられた言葉ですね。正直言いまして、不快で憤りましたが、ロジックでの対話が大切なので、今言った感情のことは脇において下さい。
 前回の回答でも言いました。ジャーナリストとか匿名の自称医師という非公人(非准公人)の``私からみての''問題発言については、直接に批判しないと。その理由も縷々述べました。対話が成立しないので時間の無駄(それ以外にも理由あり)。
 再度、言いますが、伊藤隼也さんとは既に「知人」になっていますから、私が彼の「トンデモ発言」をtwitterで現実に見た場合、twitterで批判することは大原則と既になってます。伊藤隼也さんと現実世界で呑み、取材も受けました。私の意見を伊藤さんは女性セブンに本旨を曲げることなく記事にして下さいました。私が彼を「全体として信用する」ことは感情・思考・意志の三つが一致していることであります。高く評価してます。私には伊藤隼也氏への愛があります。だからこそ、必要な時には伊藤さんの発言が明らかに間違っていると考えられた時には、疑問や批判を送る「義務」とか「責務」があります。
 
▼信仰告白
 Natrom先生、実は私、昨年の12/13に三位一体の神の僕となる決断をしました。教会にはまだ行って無い、洗礼は受けてません。ハーベストタイムの中川健一さんの聖書についての解説を昨年の発月から毎日一時間聴いてます。
 愛という持続的行為あるいは持続的現象の必須要素の一つは「相手の成長を願うこと。成長すると信じること」。このことは約30年前に読んだエーリッヒ・フロムの Art of Loving (みすず書房、「愛するということ」)で骨肉に刻まれたと思ってました。感情と理屈で感銘してはいたものの2017/12/13の前にはわかってなかった。

▼対話の重要性
 私は、現実世界で知り合いの人物 and 公人については、私から見て問題だと考えられる発言については、批判するようにしているといいました。前者の「知り合い」に関しては積極的に意見を申す理由は、愛ゆえだと、敢えて恥ずかしながらいいます。愛が互いになくても、「知り合い」であれば対話が成立する蓋然性が高いわけです。対話が持続すること、非常に貴重だと思います。
 ある人の意見・批判が「正しい」かどうかは、その人には客観的にわかりません。ある人の見解を判定する資格を有するのはその人以外であり、その人自身には判定する資格が形式的にありません。ある人と他者の対話を通じてのみ、「客観的」に真実が見えてくる可能性があるのみ。主観的な自説の奴隷と化してしまうのが、大多数の人間。もちろん、私はその典型であることは自覚してます。わかっているのになかなか・・。
 
- Q by N
(1)政府の有識者会議の構成員である伊藤隼也氏は准公人ではないですか?
-A by S
 准公人に近いですね。そのこと以前に、伊藤さんとは既に「知り合い」なので、公人(准公人)であろうがなかろうが、私が見て「これは問題発言」と認識したら、批判や疑問を云わざるを得ません。知り合って以来、私は伊藤さんの問題発言を見たことはありません。相互フォローはしてますが、twitterのタイムラインは希にしか見てません。

- Q by N
(2)フォロワー数が3万越え、マスコミも露出している「ジャーナリスト」が准公人ではない、という判断は妥当ですか?
- A by S
★Q3★ ここでの妥当とは、法的な意味ですか、それとも社会的な意味ですか?
 名誉毀損罪とかの訴訟においては、有名人は「公人」とみなされます。そのことは私による勝手な定義とは関係ありません。
 フォロワー数が三十万あろうが、マスコミに毎週露出しようが、「私による公人の定義」は満たしません、前回説明したように。私の定義は私だけのものです。私の定義が「妥当かどうか」に関して私自身には判断する資格がありません。「私にとって妥当」なのはいうまでもありません。。私の定義に関して、Natrom先生が「妥当ではない」と云うならば、それで良いのです。公人についてのあなたの定義が私と異なるとしても、そのことについて、私はどうでもよいのですよ。

昨日は東京保険医協会主催の「奈良県の医師が検察官の暴行により死亡した(疑いの)事案」についての講演会と懇親会に参加して、遅くに帰宅しました。質問に対する回答の不足がありましたら、メール( to jsawa@nifty.com )でどのような手段でもいいので、ご指摘下さい。そろそろ、睡眠に入ります。午前四時なので。

NATROMNATROM 2018/04/16 13:42 お返事を書きました[ http://d.hatena.ne.jp/NATROM/00180416#p1 ]。要点は

・「(伊藤氏を)全体として信用している」と述べたのなら、その発言の根拠を説明する責任があるのでは。
・「インフルエンザワクチンを打った直後にインフルエンザになったからインフルエンザワクチンやめた」と発言するような人物の、ワクチンについての言説は信用できるのか?
・「子どもにASDやADHDの診断を受けさせている時点で知性とデリカシーが欠如している」と発言するような人物と、「感情・思考・意志の三つが一致している」のか?
・私(なとろむ)が答えていない質問をやらを具体的に提示せよ。

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