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cover ■「ニセ医学」に騙されないために

 ホメオパシー、デトックス、千島学説、血液型ダイエット、ワクチン有害論、酵素栄養学、オーリングテストなどなど、「ニセ医学」についての本を書きました。あらかじめニセ医学の手口を知ることで被害防止を。

2008-09-30 「死ぬこともある」と説明すべきか

[]「死ぬこともある」と説明すべきか 「死ぬこともある」と説明すべきかを含むブックマーク

昨今、医師は十分な説明を行うことを期待されているが、一方でネガティブな情報については説明して欲しくないという意見もある。「福岡県医報」という雑誌に、「ジャーナリストからの風」というコラムがある。医療関係の取材を行ったマスコミ関係者が、医療従事者向けに書いたものだ。平成20年8月号、No.1386より、NHK福岡放送局椿直人記者による「『医療は不確実』だとしても…」より引用する。


f:id:NATROM:20080930010551j:image

逆風です

3年前、当時4歳だった次男が、急性腸炎で緊急入院した。出張中だった私は、帰宅後すぐに見舞いに駆けつけ、担当医師の説明を聞いた。「点滴で数値を下げようとしているが、なかなか下がらない。最悪の場合、腹膜炎を起こして死亡することもある」。医師の説明に冷静さを失いそうになりながらも、原因を尋ねたところ、「原因よりも治療を優先する」とのことで、ますます不安が募ったのを覚えている。当時、面会時間が終わりに近づくと、しくしくと泣き出していた息子も、今では元気な小学2年生。担当医師には本当に感謝しているが、「原因より治療を優先する」のは医療の常識だったとしても、「死亡することもある」という説明は、万が一、死亡した場合でも、「事前に説明しておいたのだから、お父さんも分かっていたでしょ」と言えるよう、布石を打たれたのだと思っている。

またしてもお騒がせな次男が今年1月、学校で転倒して頭を強打し、かなり大きなたんこぶを作った。診察の結果、しばらく様子を見ることになり、その日のうちに再登校したのだが、給食の後、嘔吐してしまった。それを聞いた私は、「担当医師は、なぜCTを撮ってくれなかったのか」というただ一点に不安が集中してしまい、インターネットの迷宮に入り込んだ。ネット上では、子どもが頭を強打した時にCTを撮るべきか否かについて、大論争とも言うべきやりとりが展開されている。読めば読むほど心配になる内容ばかり。後日、ある医師から「CTを撮っても、その後急変したら、意味がない」という単純明快な回答を頂いたが、私をはじめ、多くの患者や家族のレベルは、この程度だと思う。

「医療は不確実だ」という。「人はちょっとしたことで死んでしまう」とも。先日、医師会に招いて頂いた勉強会の中で、最も印象に残った言葉だ。確かに、医療の高度化や、死と遭遇する機会の減少などによって、医師への期待は高くなりすぎているのかも知れない。


患者の家族の立場から、感じたことを素直に書かれたのだろう。「死亡することもある」という説明に冷静さを失いそうになる患者および家族がいることは十分理解できる。CTを撮らなかったことについての説明不足もあったかもしれない。この後、教員不足やモンスターペアレントの問題や教育界も同様に教師への期待が高くなりすぎていることを述べた後、


医師の立場は、その専門性や責任の重さにおいて、教師とは似て非なるものだと思う。しかし、私が尊敬できると思えた教師たちは「教育は不確実だ」とは言わなかった。「教育は子どもたちに影響を与えることができる」と信じていたからだと思う。

医師は、患者を治すことができると信じていないのだろうか。


「教育は不確実だ」と教師が言わないのは、教師が「教育は子どもたちに影響を与えることができる」と信じていたからではないと思う。生徒が志望校に合格しなかったら「不合格になることを説明しなかった。説明義務違反だ」「別の教え方をしていれば合格したはずだ」と保護者に訴えられたり、マスコミから批判されたりするようになれば、「合格しないこともある」「教育は不確実だ」と教師たちは言いはじめるだろう。医師も、「医療は患者に影響を与えることができる」とは信じているが、「患者を100%治すことはできる」とは信じていない。教師も、生徒の100%を志望の進路へ行かせることができるとは信じていないだろう。


何もかも承知の上で、あえて言いたいのだが、息子の担当医師には「死ぬこともある」とは言ってほしくなかったし、CTを撮る必要性の有無についてもきちんと説明してほしかった。「医療は不確実だ」としても、そうは言ってほしくないと思う一方で、説明すること自体はあきらめないでほしいと思う。

患者と真摯に向き合う医師の姿を見せ続けることが、ただちに、訴訟リスクなどの問題を解決に導くとは思えないが、「医療は不確実だ」と公言するより、医師への理解は少しずつ広がるのではないかと考えるのは甘すぎるだろうか。


「死ぬこともある」とは言ってほしくなかった。その気持ちは理解できるが、では万が一、患者が死亡したときに、医師を非難しないと言い切れるのか?「患者と真摯に向き合」っていたからと、説明不足を罵らないか?無論、真摯に尽くせばたとえ結果が悪くても患者および家族の多くは理解してくれるはずと医療者も信じている。しかし、すべてがそうとは言えない。標準的な医療を行い、墓前で土下座し、月命日の前後の休日に墓参りをしてもなお、「この病院でなければ、亡くさずにすんだ命。医師の処置に問題がないならなぜ亡くなったのか。医師の責任を追及する」などと言われることもある。あるいは、急変した患者の搬送先を懸命に探しているのにも関わらず、小声で落ち着いた感じで話しているからと、「必死さが伝わって来なかった」と言われ、訴えられることもある。

遺族がそうした気持ちになるのは仕方がなかろう。では、第三者であるはずのマスコミはどうか。医療が不確実であることを十分理解した上で、公平な報道を行っていれば、医師が自ら「医療は不確実だ」と公言する必要などなかったのではないか。多少なりとも医療現場の取材を行い、医師会に勉強会に招かれたこともある「ジャーナリスト」ですら、医師向けの雑誌に「死ぬこともある」とは言ってほしくなかったと書くのだ。第三者たるジャーナリストの目線ではなく、完全に家族の目線である。

なお、この翌月号(平成20年9月号、No.1387)の「福岡県医報」の「ジャーナリストからの風」は、FBS福岡放送報道部の坂本真理記者の「気力・体力の現場で女性医師の活用を」であった。


「お産には危険がつきもので亡くなる人をゼロにすることはできない」

そろそろ医師側ははっきり言ってもいいのではないか。お産を迎える妊婦に不安をあたえるから言いたくないと多くの医師は話すが事実を共有することは重要だ。産科から医師がいなくなれば結局多くの妊婦と赤ちゃんが危険にさらされる。日本の周産期医療は世界のトップレベルなのだから「救えない命がある」と言うことは医師として恥ずかしいことではない。「安全神話」は作った医師たちの手で壊すべきだ。


坂本真理記者が先月号の「ジャーナリストからの風」を読んだ上で「死ぬこともある」とはっきり言えと書いたのなら、なかなかたいしたものだと思う。



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■トンデモ医療裁判

jackjack 2008/09/30 21:54 お邪魔します。
個人的には知らせてほしいと思っているのですが、
知らせた場合に逆プラセボ効果みたいなのが働いたりするかどうか
気になります。

忍冬忍冬 2008/09/30 22:00 坂本記者は、テンパってる局面で「死ぬこともある」と伝えろ、とおっしゃりたかったのかどうか。私はできるだけ出産から遠い時期、たとえば小学、中学、高校それぞれで「お産は死ぬこともある、流産はデフォルト、誰かは必ず障害児を生む、精神障害は大きくなってからわかる」とぶっちゃけてしまえばいいのに、と、いつも思っております。

physicianphysician 2008/10/01 01:05 そういや、造影剤の同意書とる時、『最悪死んじゃいます』って言っちゃいました。

NANoNANo 2008/10/01 01:25 「ひとつの意見」としてなら十分にある話なのだろう、と思う。
でもそれが「ジャーナリスト」によるコラムとなると、首を傾げたくなります。
最善を尽くしてなお、届かないことがある。それはどんな仕事の領域でも必ず
覚悟しなければならない予測であり、これを「云わないで欲しい」とジャーナリストが
述べる心象について、私は「こんなのが記事書いてて大丈夫なのか?」と思う。

ネガティブな情報をこそ、きちんと告げることがいわゆるEBMでありインフォームド
コンセントということではないのか。それが分からないような「報道者」が大手を
振って歩くような社会では、隠蔽体質が蔓延するのも当然だろう、と思います。

ゆっゆっ 2008/10/01 07:25 最近では情報を全て伝えすぎたことの反省として、「知らないでいる権利」、「段階的告知」なんて言葉も出てきていますね。ただ、病状が悪化した際に患者さんから苦情を言われないよう、上手く納得させる自信はあまり無いですね・・・

ちなみに、今回のケースに直接は関係ないかも知れせんが、個人情報保護法のガイドラインでは以下の様になっています。

「A5−2 診療録等に記載された患者の診断結果等については、患者の個人デー
タですので、当該情報を第三者(家族も含みます)に提供する場合、原則として
本人の同意が必要です。ただし、人の生命等の保護のために必要がある場合で、
本人の同意を得ることが困難であるときには、本人の同意を得ずに第三者提供が
可能です。このため、症状や予後、治療経過等について患者に対して十分な説明
をしたとしても、患者本人に重大な心理的影響を与え、その後の治療効果等に悪
影響を及ぼす場合等で、医師が必要と認めるときには、本人に説明する前に(本
人の同意なく)家族へ説明することが可能です。
ただし、この場合、法の基本的な考え方である自己情報コントロール権の例外
となるので、慎重な判断が求められます。このことを踏まえ、ガイドラインでは、
本人から診療情報等(保有個人データ)の開示の求めに対して、開示しないと判
断する場合には、院内に設置する検討委員会等において開示の可否を検討するこ
とを求めています(参照:ガイドラインp36)。
なお、患者・利用者本人から、病状等の説明を行う対象者の範囲、説明の方法
や時期等についての要望があった場合は、できる限り患者・利用者本人の意思に
配慮する必要があります。」

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/170805iryou-kaigoqa.pdf

もう一個参照記事。「理想の医療」って中々難しいです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/health/CK2007051102015145.html

sakisaki 2008/10/01 12:15 医療と教育を同一のレベルにおいて比較しようと考えること自体間違えている。
教育の重要性は理解しているし、教育が国を作るといっても過言ではないが、それと人の生き死を同一に論じること自体飛躍がありすぎます。
「死ぬこともある」とは言ってほしくなかったと言うがジャーナリストならば最近の裁判では説明義務が重要な意味を持つことぐらいご存知だろうと思うのだが?
厳しい言い方をすればニュースで遺族感情ばかり垂れ流す公平性のない記事を書く記者と同列のジャーナリストを名乗る価値のない人物と思われても仕方がない!

メンチメンチ 2008/10/03 10:36 理性的な判断をないがしろにして感情を垂れ流す風潮はどうにかならないものなのか。
患者を不用意に刺激しない適切な表現を用い尚且つ適切な内容の説明を要求しているのだから
患者側(とマスコミ)も最大限理性的で適切な判断を心がけているんですよね。もちろん。

メンチメンチ 2008/10/03 10:51 連投失礼します。

>「原因よりも治療を優先する」とのことで、ますます不安が募った
恐らく、原因が分からない状態で適切な治療が行えるのか不安を感じたのだろうけど
それならば「現時点で原因を特定する方策は無いのか」と言うべきではないのだろうか。どうにも自分の息子が病気で死ぬ恐怖を医者に押し付けてるように見えてしまう。

患者側も説明責任、いや説明要求責任を果たすべきである。

bamboobamboo 2008/10/03 16:03 この事例で実際にどのような言葉で説明したのか分かりませんが、言い方はあるように思います。
「死ぬこともある」よりは「命に関わることもあります」の方が良いような気がします。

NATROMNATROM 2008/10/03 17:54 私の先輩の話ですが、「最悪の事態も想定しておいてください」と説明しておいたところ、「最悪の事態もあるとは聞いたが死ぬとは聞いていなかったぞ」と文句を言われたそうです。婉曲表現では伝わらないことがあります。

ナナシーナナシー 2008/10/03 22:28 教師たちが「教育は不確実だ」と言わないのは当たり前すぎて教師も生徒もその親も知っているからだと思います。教育が確実なら落ちこぼれなんて出ませんからね。
でも医者が「死ぬこともある」と言うように教師だって進路相談で「このままじゃ志望校には受かりませんよ。」って言いますよね?記者は都合よくそんなことがあることを忘れているんじゃないでしょうか?

bamboobamboo 2008/10/04 09:31 「最悪の事態もあるとは聞いたが死ぬとは聞いていなかったぞ」と言われて、「最悪の事態を避けられて良かったですね」と答えるのでは駄目ですか。駄目ですね。
その家族にとって、死ぬのは最悪じゃないのだろうか。

メンチメンチ 2008/10/04 14:05 そういえば何かにつけて「そんな態度じゃ受験に失敗するぞ」と脅しをかけてくる先生がいました。
医者が「これは命に関わる問題です」を連呼して脅すのと何が違うんだろう。

catsnratscatsnrats 2008/10/04 16:47 この記者みたいな人でも、医者になってみれば、わかるでしょう(優秀な医者じゃないだろうけど)。子供が死ぬという可能性に、ちゃんと向き合わない人が多いということ。そういう相手かどうか、初対面ではわからないこと。あるいは説明が荒っぽかったのかもしれないけど、それなら文句の言い方がおかしい。農家とか漁師みたいに複雑なものを取り扱い、常に結果を受け止めなければならない仕事をしている人には、説明しやすい気がします。あとエンジニアとか。

電気屋電気屋 2008/10/04 17:09  そりゃ受験と命とじゃぜんぜん違うさ。
 受験なんざしくじっても「また来年」ってだけ。死んじまったら「また」はない。
 やつがれは常々日本人はどうも「死」ってもんに慣れていなさ過ぎるんじゃないかと思ってるんだ。人はいつかは死ななきゃならなくって、「死」ってのは唯一のさだめなはずなのに。それに対する実感が無さ過ぎゃしないかい?
 だから時に過剰に、時に過小な反応をする。
 いかんともしがたい不運で死ぬことは時としてあるわけだけど、それを受け入れられないのは「死」に過剰に反応しすぎるせいじゃない?
 逆に「死」への認識が軽すぎると、それこそ受験に失敗した程度で首くくったり、さらには大したこと無い理由で赤の他人の命を奪っても気にならなくなる。
 血縁も地縁もズタズタの昨今、葬式に参列する機会はとても減っているはずだけど、それが原因じゃないかとニラんでるんだけどね。

メンチメンチ 2008/10/04 20:47 私の書き方が悪かったみたいで失礼しました。
ただ単に仕事に対する姿勢として教師と医師を比べてみただけなので他意はありません。
(そもそもこの二者を比べる事自体馬鹿げてると思うのなら(ry)

人の命が関わると途端に意見の変わる人って多いですよね。
理性縛られるからこそ感情は美しいものなんだろうに。
最近の流行りは垂れ流しですよね。

tematema 2008/10/05 09:53 >患者が死亡したときに、医師を非難しないと言い切れるのか?
「死ぬこともある」と言おうが言うまいが、死亡した際には非難する人はするのだから、死亡前にはいい夢見させて欲しい…ということかと想像します。

秋津秋津 2008/10/05 19:01 専門家によって「最悪の事態」が想定されるときに、それを説明しないのはそれこそ「インフォームドコンセント」に反すると思いますが。良い結果しかききたくないならただの我侭です。「「医療は不確実だ」としても、そうは言ってほしくないと思う一方で、説明すること自体はあきらめないでほしいと思う。」って、自分がどれだけ矛盾したことを言ってるかわからないんでしょうか。
ところで他院からの紹介入院の方ですが、入院時「癌の末期ですから」と説明始めたら、「癌とはきいてますが末期とはきいてません」紹介状には「癌末期と説明、ご家族は理解」とあったので改めて「癌で保って数ヶ月といわれませんでしたか」とたずねると「それならきいてます」日本語のニュアンスが違ってきたのでしょうか?それともこの家族が特殊なだけ?

通りすがりのtm通りすがりのtm 2008/10/05 20:06 秋津様の経験されたその家族は特殊なものでしょう。ただ、自らが特殊であると自覚があるにせよ無いにせよ、説明を受ける側のいかなる異常さにも柔軟に対応するのがインフォームドコンセントの真髄であると信じる患者や家族が結構いるそうですので…。友人外科医は、「『末期癌でこれこれこのような状態で、持って数ヶ月ですが治療に努力します』→『十分に理解しました。先生にお任せします』」という会話の数ヵ月後患者は亡くなり、家族から『こんなに早く死ぬとは思っていなかった。理解したとは言ったが、こちらは素人で本当の意味で理解できていたとは言えないだろう。こちらが末期癌について十分に理解していたかどうかを確認する努力を怠った医師は説明責任を十分に果たしていなかった。判りましたお任せします、という言質を取る事によって医療事故の際の責任逃れをするために判りにくい説明をしたのではないか。それゆえに治療に十分な努力を払ったかどうかもアヤシイ』というフシギな、判じ物みたいな苦情を言われたことがあるそうです。

通りすがりのtm通りすがりのtm 2008/10/05 20:15 あと、「死ぬとは聞いてたが苦しむとは聞いてなかった」「苦しむとは聞いていたがあんなに苦しむとは聞いてなかった」などもあるようなので、やはり想像力や社会経験の乏しいと思われる家族には、もう思いつく限りの可能性を全面的に・且つ違う言葉や表現を用いて3・4回、喋りに喋り捲るという方法しかないのではないでしょうか。

メンチメンチ 2008/10/05 22:00 患者の望む情報は適切に伝えつつ、望まない情報はそれとなく察する事が必要なんですね。
それだけの才能があれば医者よりも詐欺師か新興宗教の教主をやった方が儲かりそうな気がします。

通りすがりのtm通りすがりのtm 2008/10/06 13:55 患者と口を聞く前に、「伝えて欲しいこと」「伝えて欲しくないこと」を100%書き出してもらい、その申告に従って会話を始める、というような方法でも取らない限り万人に合わせることはムリですよね…