モヒカン族が誤解されすぎている
起業の現場から モヒカン族完結(前編)をブクマ経由で読んであまりに混同が激しいので書いてみる。
・何様のつもりだ
・だったらお前がやってみろ
・もし〜だったらお前はできるのか?
そんな批判、モヒカンさんはしません。なぜか。モヒカン族の定義ははてなキーワード モヒカン族がいちばん正確と思われますが、基本的に「技術原理主義者・技術の啓蒙のためなら馴れ合い禁止」という姿勢を貫くのがモヒカンです。感情的・非論理的キーワードでの批判は(個人差があるとしても基本的には)一切行いません。
元エントリにある批判の例や、それをかわすための手段は当然一切通用しません。というか、モヒカンに絡まれてるわけじゃないことに気付いて欲しい。それ、単なるクレーマーですよ。ネット右翼(またはネットイナゴ)ですらなく、そこには思想も一貫性もまったくないわけです。
なんで誤解されるか
やっぱり、元ネタの「平民は消毒だ〜」のイメージが強すぎるのでしょうか。北斗の拳の舞台は世紀末(何世紀だ?)、弱肉強食、全ては力の世界。力あるもの=正義という舞台において、モヒカンは正義であり、それを変えるためには愛のある力よる革命が必要なのです。インターネットも技術主体で発展してきた世界ですから、技術者=正義・選民、平民がキンタマにひっかかって個人情報を晒そうが、アカウントハッキングされて財産を失おうが知ったこっちゃないし、間違った主張を試みるものは消毒です。無断リンク禁止なんてとんでもない!!
いや、原理主義者も本当はわかっているのですよ。自分よりすごい技術を持ちながら、愛に溢れているケンシロウがどうやら存在することが。しかし、殺伐とすることは止められない。革命のおきる、その日まで。