日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆前川喜平氏を擁立して三度目の正直と成す。

 何故に、能動的政治経験無き人物をして国政の場へと誘い、而も、与党からの出馬(挙手起立要員)で在ればいざ知らず、野党陣営からの戦闘可能な即戦力としての出馬を懇願し要請、現一市井の身に措く<前川喜平>氏に白羽の矢を射て求めるのかと云えば、粗方は先の項に述べた通りだが、付け加えて言えば、現有せし与党幹部群(宰相から政務次官に迄至る)に交じっても遜色無く、知力や能力、或いは、行動力のみならず、指導力等の点に於いても見劣りするする所か、聡明性の点に於いてさえ、彼等より抜きん出て見えるからであって、此の侭にして在野に措き、要らぬ不名誉心を託ち乍ら、社会貢献の一現場に身を置き続ける何ぞは、国家国民にとっての大きな損失であると考えるからであり、可能であれば、国家社会をして条理を以って牽引、動かさなければならぬ、三権(立法府、司法府、行政府)誘導の役割を、彼前川喜平氏には担って欲しいと考えるからであり、勿論、独りでこそ出来ないが、彼であれば、紛う事無く、有為にする社会正義心に溢れし人材を広く結集も出来、必ずや、あらゆる面で危機に陥っている日本国家社会(国民)を救うべく、手立てを講じて呉れるであろうと確信するからでもある。

 更に、63歳と云う指導者として絶好にする年齢からしても、あと10年や20年は闊達に指揮統轄が務まり、而も、政治的活躍の点に於いても、現役に在って采配を揮える時間も多々在れば、日本国家社会が、現に、異邦人傀儡子宰相安倍晋三と其の一派に因って巧妙にも追い遣られ、且つ、向かわされし日本民族奴隷牧場への暗夜行路には進まずの方策もまた、彼前川喜平氏であれば、賢策をして凝らし遣って呉れ、三百名有余の同志とともに推し進めて呉れる可能性は十二分に在る筈である。また、年齢の事に関してもう少し言わせて貰うと、朴訥にして狡猾なる自民党幹事長の二階俊博氏は、年明けの二月が来れば八十歳となる人物で、況してや、先般に於いて首相職に返り咲いた、マレーシア国のマハティール首相に至っては、後人に道を譲り、既に、趣味の道に入っていて然るべき、其れこそが、九十三歳の御年には在らせられる人物で、当該現役政治活動に勤しむ彼等と比較しても、六十歳代(前半)何ぞは未だまだ若く在るもので、現役を退いて隠居の身に己を措く何ぞは国家社会的大損失と云うもので、罰当たりですら在るもの、基より、寿命の著しく短いロシア連邦等に於いてのみ成立する、隠居生活紛いの余生の送り方で在ればいざ知らず、此処日本に於いては通用せずの身の処し方、勿論、家族や自分の為、乃至は、同僚や後輩の為、基より、日本国家社会(国民)の為にも、また、隣国を含む、静謐さをして追い求め続ける国際社会の為にも、表舞台に、其れも、国政を動かす舞台へと出て貰わなくてはならないのである。

 基より、政治主導的責務に身を措いてさえ何等違和感の無い雰囲気すら感じ取れる彼前川喜平氏の、社会経験も豊富で正義心も逞しい63歳と云う年齢と、文科省事務次官迄勤め上げた40年近くに上る指導的国家行政上の経験等を加味すると、何事にも代え難き、宝としての時間的体現の蓄積でもあり、良質にする積み重ねの経験則にも在ろうと云うもので、単に長いだけとは云え、独りの宰相の下に、七年間に亘って多数の閣僚が入れ替わりに在籍した、政治履歴だけは豊富に積みし安倍政権閣僚陣と比べ、特に、執政能力だけを取って比較してみても、恐らく、宰相を含む彼等との間には遜色など全く無く、其れどころか、教育全般や文化等に関わる、或いは、人間社会関係を含む、多岐に亘る社会的習俗や慣習(慣行)をも治めし、且つ、務めし中での知識力や経験則等の積み重ね、基より、永きに亘って国務に従事して来た事をも加味すれば、斯かる広範に亘る知識や経験則等の積み重ねこそ、”政治的良薬”にはなっても”毒”にはならずのもの、此れほどに国家的指導者として相応しい人物は、他にも沢山の人物群が在野には埋もれても居るのだろうが、如何せん、メディアを通してしか見られない、狭く、且つ、限定されし時間内に於いて。彼前川喜平氏が強烈にする印象を以って、我が目に留まったと云う事は、此処半世紀に在ってすら無かった感情の昂ぶりと云うもので、彼を措いて他には、日本国家社会をして、理性的条理ある国家社会に戻し得る人物は居らず、見当たる事も無いと、再確認しているからでもある。

 何れ彼前川喜平氏が、野党陣営、即ち、立憲民主党日本共産党、乃至は、自由党社民党あたりの政党から、厚き参集要請を受け、リクルートが為されても、決断して呉れる保証は全くの皆無には措くもので、未知数にも在るのだが、よしんば、引き受けて呉れるにせよ、与党陣営からのバッシングこそ覚悟しなければならずのもので、其れこそが斯かるバッシング事案たる、所謂、禁じられていた(国家公務員として在職中の)就職斡旋行為に関しては、現に自発的に処罰を科し在野に下ると云う、謂わば、”禊”として十二分に済ませ、自己制裁を決断してもいれば、ルール違反の内容から推し量れば、十二分に過ぎる措置と云うもの、勿論、更なるバッシングなど不要と云うもので、若し、為にするバッシングが作為されれば、其れこそが思う壺と為す所で、即ち、正義心の顕しは勿論の事、静謐さに措かれることを最も好む日本国家社会(国民)の為、在ってもならぬ不条理極まる政権を即刻に於いて斃すべく、国政の場に参加したなる趣旨を開示、メディアを通じて淡々として述べ、日本国家社会をして条理ある国家へと戻すべく、国政参加への思いの丈を、其れも、単純明快に国民に訴え掛ければ十分にするもの、一を知る事で十をも知る、理知的日本国民が大多数を占める日本社会で在れば、必ずや、日本国民は受け容れて呉れる筈である。日本国民から、推挙されずに措かれる等の不安は全く無い。

 其れより、不安に措く事が何かと云えば、やはり、上述せし野党陣営から、厚く、而も、三顧の礼を尽くして参じられ、政党への参加要請をして乞われたにせよ、未知に措く様々なる状況を持ち出されては固辞されると云う、憂いる場面少なからずにも在れば、其の方をこそ危惧するだけのもの、此処は野党陣営で在る各党の代表より直々に、国家社会が現に措かれている不条理なる状況と其処からの脱却の為、基より、国家社会(国民)をして救い、進むべき道をして誤らせぬべく、国民を理性に唱導し、条理在る道へと牽引誘導すべきが、御身に課せられし役割であり義務ですらある事を、諄々として説いて見せるべきが先決では在るのだろう。即ち、米国ともども此の日本国は、国家社会が小躍りして突き進む中で、健全性自体は反比例的に縮小、一億二千六百万人を擁する社会体制が、今や脅かされつつ在る状態に措かれ、特に、政治経済的に見ても、そら恐ろしさが紛う事無く入り混じる、暗闇の世界へと繋がってもいる現状に在る事をこそ、再確認して貰う必要も在れば、聡明にして社会正義心旺盛なる彼の事、三顧の礼を尽くされて迄、固辞される事も無いと考えるのである。

 基より、何れかの野党陣営への参加を決め、メディアを通じて表明に至れば、各行政機関の中で、現行自民党安倍政権(政策)に対する異議を抱え、不信感を強く抱く、憂国の志士たる官僚群もいれば、今は最大の国難として手を挙げ、自薦他薦を以って多く参集、明治維新(革命)ならぬ列島独立すら遣って退ける可能性無しとしないのである。基より、野党に拠る其れは権力の改めと云うもの、三度目の正直と成して欲しいものである。