任那の滅亡

日本書紀 巻第十九

  欽明天皇 天国排開広庭天皇

 二十三年春一月、新羅任那の宮家を打ち滅ぼした。――ある本には、二十一年に任那は滅んだとある。総括して任那というが、分けると加羅国・安羅国・斯二岐国・多羅国・率麻国・古嵯国・散半下国・乞食国・稔礼国、合して十国である。
 夏六月、詔して、「新羅は西に偏した少し卑しい国である。天に逆らい無道で、わが恩義に背き、官家をつぶした。わが人民を傷つけ、国郡を損った。神功皇后は、聡明で天下を周行され、人民をいたわりよく養われた。新羅が困って頼ってきたのを哀れんで、新羅王の討たれそうになった首を守り、要害の地を授けられ、新羅を並み外れて栄えるようひきたてられた。神功皇后新羅に薄い待遇をされたろうか。わが国民も新羅に別に怨があるわけでない。しかるに新羅は長戟・強努で任那を攻め、大きな牙・曲った爪で人民を虐げた。肝を割き足を切り、骨を曝し屍を焚き、それでも何とも思わなかった。任那は上下共々、完全に料理された。王土の下、王臣として人の粟を食べ、人の水を飲みながら、これをもれ聞いてどうして悼まないことがあろうか。太子・大臣らは助け合って、血に泣き怨をしのぶ間柄である。大臣の地位にあれば、その身を苦しめ苦労するものであり、先の帝の徳をうけて、後の世を継いだら、胆や腸を抜きしたたらせる思いをしても奸逆をこらし、天地の苦痛を鎮め、君父の仇を報いることができなかったら、死んでも子としての道を尽せなかったことを恨むことになろう」といわれた。
 この月、ある人が馬飼首歌依を讒言した。

 秋七月一日、新羅は使いを遣わして調をたてまつった。