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混住社会論16 菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)

「幸せ」の戦後史


この連載としては初めてのことだが、出たばかりの新刊の紹介と書評を兼ねた一編を挿入しておきたい。その新刊は菊地史彦の『「幸せ」の戦後史』である。彼はこの著作において、「私もまた昭和と平成を生きてきたひとつの社会現象」という認識のもとに、「自分の生きてきた時代」を描いている。その認識にしても時代にしても、菊地と私は同世代ゆえにバックヤードを共有しているし、『「幸せ」の戦後史』も「戦後社会状況論」に他ならないので、拙論との併走を確信しているからだ。

しかも菊地は長年の友人で、元筑摩書房の編集者でもあり、またこれはまったく偶然だが、前回の大友克洋『童夢』のところでふれた、芹沢俊介『家族の現象論』の企画編集にも携わっている。菊地と筑摩書房に関しては「出版状況クロニクル59」で既述しているので、これ以上ふれない。

童夢

それらのことから類推できるように、この『「幸せ」の戦後史』なる平易なタイトルに惑わされてはならない。ここでは敗戦から始まり、六〇年代の高度成長期を経て、七〇年代後半からの高度資本主義消費社会とバブル時代、そして九〇年代のバブル崩壊から3・11までを戦後史と捉え、そこから時代とともに歩んできたそれぞれの「幸せ」の位相が浮かび上がる仕掛けになっている。言うまでもなく、私も戦後史が現在まで続いていることを疑っていない。

そのために菊地は敗戦から3・11までの六十余年を幾度も往復し、労働、家族、アメリカの夢と影、自己の問題などを蛇行しながらたどり続けた。それは二〇〇九年八月に開始され、一三年二月に終了する長い旅でもあった。私見によれば、この『「幸せ」の戦後史』は戦後世代による、現在まで続いている「戦後史」と「幸せ」なるもののアルケオロジーの試みに相当するのではないかと思われた。

それを菊地は「六十余年にわたる日本の〈社会意識の変化〉を捉える試み」と想定し、見田宗介を始めとする社会学の成果を援用する。「〈社会意識〉とは社会そのものの自己意識」で、人々の様々な欲望に一定の形式とその成就や達成の基準を与える「自己編成的ふるまい」によって、「〈社会意識〉は社会に奥行きや広がり、さらに景観を与え」ることになる。このような視座に基づく『「幸せ」の戦後史』にあって、必然的に「〈社会意識〉が溢れ出したと思える行動や言動を、社会事象や文化現象から取り出し、その背景を探るというやり方」が採用され、菊地はそれを「〈社会意識〉事象の発見と分析と言い換えてもいい」とも断わっている。

これらの記述を含んだ序章の「〈社会意識〉とは何か」の最初のサンプルとして、流行歌である「フルサトの歌の変容」が言及されていく。菊地にしてみれば、「しょっぱな」の十ページ足らずの小論にすぎないかもしれないが、彼と私の戦後史における位相の差異をくっきりと示しているので、こちらも「しょっぱな」から立ち止まってしまい、深い感慨を覚えざるを得なかった。

それこそ戦後史の一面とは、ここに描かれた見取図の中で進行したのであり、その視線は東京の団地で少年期を送り、そのまま都市生活者であり続けた菊地ならではのもののように思われる。そこに農村で育ち、地方で暮らしてきた私を置いてみると、同世代でありながらも、当然のように異なる「フルサト」だけでなく、都市や街、地方や村の社会意識をたどることができるのではないだろうか。

菊地は東日本大震災を背景とする二〇一一年のNHK紅白歌合戦において、犠牲者への悼みと失われたフルサトへの思いをこめて歌われた新旧の「フルサトの歌」のことから、この『「幸せ」の戦後史』を始めている。そして戦後の「フルサトの歌」についての二つの転換点を挙げ、最初は一九五〇年代半ばから六〇年代にかけての、地方から大都市圏への大量の人口流入によって、彼らを主人公とする望郷の歌が生まれたと指摘する。それらの望郷歌謡曲の代表作は「別れの一本杉」(春日八郎)、「りんご村から」「哀愁列車」(三橋美智也)、「逢いたいなァあの人に」(島倉千代子)であり、そこにはサブテーマとして男女の別離が含まれていたが、戦前と異なるのは出郷した男の都会の孤独ではなく、村に取り残された娘の孤独が歌われ始めたことに注目する。

これらの戦後望郷歌のかたわらで、都会への憧れの歌も多く歌われ、出郷者たちは家族や恋人を残してきた心の痛みは感じているが、もはや帰郷の強い動機を失い、都会に出た者の優越感を秘め、これが高度成長期にあった出郷者たちの成功物語の表象だと見なす。そして先の紅白歌合戦で歌われた、六〇年代半ばの「帰ろかな」(北島三郎)に至って、都会の優位は決定的になる一方で、村は牧歌的な世界のように理想化され、村の暮らしの重苦しさは隠蔽されてしまう。これが第一の転換点である。

第二の「フルサトの歌」の転換点は、高度成長期が終わった七〇年代半ばで、それらの代表作として「ふるさと」(五木ひろし)、「望郷」(山崎ハコ)、「ホームにて」(中島みゆき)が挙げられ、これらはそれまでの望郷歌と異なるトーンをしのばせ、「歌われているフルサトはもうそこにはなく、失われている。帰りたくないのではなく、もう帰るところがない」という地点を迎える。それは望郷歌の主人公がかつての「出郷者」から「棄郷者」、あるいは「無郷者」に至る過程を物語っていることになる。私のほうに引き寄せれば、この時代から「フルサト」は村から郊外へ、混住社会へと移行し始めていたのである。

そして菊地は最後に「この曲こそ、七〇年代の望郷歌に連なりながら、このジャンルそのものに引導を渡した歌」として、筒美京平作曲、松本隆作詞「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)の分析に取りかかる。このよく知られた「都会に出ていった青年がしだいに街の暮らしになじみ、故郷の少女から遠ざかっていくという物語」が、紛れもなく「棄郷者」や「無郷者」に他ならぬ東京人たちによって送り出された歌であることを確認した後で、歌詞に見られる青年から少女への贈り物の指輪と、少女の望む木綿のハンカチーフの対比構造の表象分析を行なう。それを要約すれば、次のようなものになろう。

七〇年代後半の高度消費社会の大都市にあったスーツ姿の青年は、「流行の指輪」というモノを介して故郷の少女とのつながりを維持しようとするが、彼女はその欺瞞に気づいて拒み、彼を断念する代わりに、ありふれた「木綿のハンカチーフ」を望む。青年のスーツと「指輪」が象徴するのは未来の社会的成功と婚姻を約束するものであり、このふたつは「男が村から街へ出て組織に仕え、その稼ぎで伴侶を迎え、家庭を営むに至る、昭和戦後のなじみ深い『上昇の物語』」だと菊地は述べ、そして続けている。

 とすれば、少女が青年の提示する「未来」を決然と否定するのは、戦後日本のメジャーな物語の否定と等しい。松本は、出郷する恋人を想うストーリーを再現した上で、これが「最後」だと少女に言わせ、その系譜を自分自身で終了させたのである。

それゆえに「木綿のハンカチーフ」は「このジャンルそのものに引導を渡した歌」とされるのだが、菊地はそこに「もうひとつの絵」を重ねている。そこに投影されるのは作詞者の松本隆の位相である。彼は「棄郷者」「無郷者」であるけれど、すでに都会人として安定を得た者、相対的に優位に立つ者の立場にいる。もちろんそれらをことさら主張しているわけではないが、彼は「村の少女の側」に立ち、少しばかり「新参の出郷者に対する侮り」を混入させ、「都会へ出た田舎の青年の高揚感をたしなめる方へ旋回している」。その青年に対する都会人によるシニカルな描写は「不思議なことに」少女のまなざしと重なることで、「木綿のハンカチーフ」は成立したことになる。そして菊地は言う。

 もちろん意図されたシニシズムではない。七〇年代に就職し、家庭を築いた団塊世代が大都市圏(郊外)を拡張していく中で、このマジョリティが生み出した〈社会意識〉に、ソングライターの方が対応しているのだ。この新都会人たちはすでに「棄郷者」であり、「無郷者」であるが、同時に「木枯らしのビル街」の過酷を知っている。わずかな優越感と大きな無力感の両方を携えた彼らは、村からきた青年の挫折を予感し、村の少女の別れの決意の方に共感したのである。

菊地のこれらの「木綿のハンカチーフ」における〈社会意識〉の発見と分析は、かつて「都会に出た田舎の青年」の一人に他ならなかった私に様々な感慨を強いるし、これを書いている菊地の長きにわたる都市生活者の位相に対して、想像力を逞しくせずにはおられない。

しかしここはそれらに言及する場ではないので、「木綿のハンカチーフ」も「団塊世代が大都市圏(郊外)を拡張していく中で」のひとつの、まさに郊外の物語の照り返しであったことを確認するにとどめよう。後の消費社会を論じた章において、それに対応するように、菊地は団塊の世代のマイホーム幻想についてもふれていて、そこでは私の『〈郊外〉の誕生と死』も引かれているからだ。

〈郊外〉の誕生と死
だが七〇年代の「木綿のハンカチーフ」で、菊地の「フルサトの歌」への言及は終わっているわけではない。それは「註」の部分に引き継がれ、七〇年代後半の社会的変化によって生じた「亀裂」に起因する山口百恵や井上陽水の歌から、八〇年代以後の歌も挙げられている。

そしてもう一度本文に戻ると、二〇一一年に嵐が歌った「ふるさと」は望郷歌の定型的な要素がすでに消えてしまい、村の風物も待つ少女ももはや存在せず、それは3・11以後の「根こそぎ押し流され、汚染されたフルサト」に対する強烈な断念を求めているようで、その時代の〈社会意識〉を見せつけていると菊地は記す。

しかし前述したように、望郷歌に関する論述は始まりにすぎず、同様の〈社会意識〉分析を通じて、九〇年代からゼロ年代にかけての労働現場で起きたリストラ、非正規雇用、職場の変調といった社会事象を扱い、六〇年代から九〇年代にかけての戦後家族の意識変容を、日本映画やオタク文化やオウム真理教を素材として描き、さらにアメリカとの接触で進行した労働と消費と文芸の構造的変化を追っている。それらを広範に横断して、最後に「受け入れられない自己」の問題へと至り着く。それは菊地自身が「生きてきた時代」の〈社会意識〉の変容の歴史でもあり、繰り返すならば、同世代の私自身の「生きてきた時代」ともそのまま重なり、併走しているのである。

このような文章を綴っていて、菊地と知り合った四十年近く前のことが様々に思い出された。それらのことをひとつだけ挙げれば、吉本隆明の近代の歌曲分析をベースとする「日本のナショナリズム」(『ナショナリズム』所収、筑摩書房)について話し合ったことがあり、それが彼のこの望郷歌分析にもつながっているのだろうと想像できた。

さらにこれは言わずもがなのことかもしれないが、音痴の私とちがって、彼は歌がとてもうまい。今度会ったら、カラオケで「木綿のハンカチーフ」を聴かせてもらおうと思う。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年)
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1