PENGUINS PROJECTの作詞講座「第2回:多分それは『恋』じゃない」

PENGUINS PROJECTの作詞講座
第2回:多分それは『恋』じゃない


※前回のまとめ:


・自分の個性と作品は別物
・歌詞と文学は別物
・音楽という制約を活かせば、スムーズに作詞できる
・書き出せば、内容はあとからついてくる


※今回のなかみ:


・因果関係から歌詞を導き出してはいけない
・これは歌詞になる、ならないと決めつけてはいけない
・ポッと出て来たフレーズは、大抵最後まで残る
・ありがちな言葉は別にOK。ありがちな考えこそが恐ろしい


* * *


 ちわーす、PENGUINS PROJECTです。
 先日お届けした第1回に多くの反響を頂きました。
 ブログのはてなスターとか、はてなブックマークとか、嬉しかったです。
 全部チェックしてます、ありがとうございます。
 ただ読み返してみて、若干紙媒体の文体というか、webで読んで頂くことを想定していない印象を与えていたかなと反省しました。
 もうちょいwebはwebらしく、TIPSを紹介する軽い感じでいきます。


1/歌詞っぽい言葉が一番危険


 さて第2回目では、実際に「こ れ は ひ ど い」という歌詞をわざと私が作詞して、その歌詞を元に何がまずいのか考えます。
 とりあえず私の楽曲の中で今のところ最も原曲をご存知の方が多いものが良いと考え、「チョコレート・トレイン」に犠牲になってもらうことにしました。
 これをDONKANZ PROJECT「チョコレート・バレンタイン」という既にゲロ以下の臭いがプンプンするタイトルに変更して、1コーラスだけ駄目な歌詞を作ってみました。どうぞ。


なお原曲のカラオケ版を用意しました。
D


チョコレート・バレンタイン - DONKANZ PROJECT -


(Aメロ)
汚れた電車のつり革が揺れる
夕日が綺麗な街並 満員電車が行く
今日も君のカバンが重たい
それは大事なレシピを沢山入れているから


慌てて君はケータイ取り出す
混み合う車内 彼氏にメールを書いているの
気付けば君のあしもとに空き缶
邪魔だから蹴飛ばしたいけど迷惑だから出来ない


(Bメロ)
毎日同じで君は退屈
だけど明日はバレンタイン
大好きなあの人だけのため
チョコレート作る


(サビ)
Lovin' you 何を入れて作るの
カカオ? ピーナッツ? 市販の素材?
彼のためならば頑張れる君のバレンタイン


(以下どうしようもないので省略)


 いかがでしたでしょうか?こ れ は ひ ど いですね。何故こんなことになってしまったのでしょう。歌詞の最初から順を追って見て行きましょう。
 まず「汚れた電車のつり革」と「夕日が綺麗な街並」について。これは非常によくある失敗です。「電車のつり革」=「汚れた社会」「夕日が綺麗」=「理想の姿」という安易な二項対立。歌詞を理屈で書いてしまうとこうなります。
 因果関係はもちろんある程度必要なのですが、「因果関係」から先に書くとダメです。
 さて、実際にはここで「つり革」という可愛さのないイメージに「おそろいの」という言葉を持ってきました。「ガタンゴトン おそろいのつり革揺れる」…どうでしょう、多少はつり革の好感度がアップしたかも・・・?
 さらに「夕日が綺麗」も問題です。夕日が綺麗と歌詞に書くことで初めてそれに気付く人はいません。夕日が綺麗であることは分かっています。何故なら、理屈通りだから。
 そこで夕日に染まった街並のことを「チョコレート色の街並」と表現するとどうでしょうか。色彩だけでなく、夕暮れの甘い雰囲気が感じられるようになりました。
 さらにそれ以降の歌詞もひどい。「カバンが重たい」のは「レシピを沢山入れているから」、「ケータイ取り出す」のは「メールを書」くためで、「迷惑」だから空き缶を蹴飛ばせない・・・。全て因果関係です。みな分かっていることです。「カバンが揺れてる」のは「まるできょう一日の不安をつめこんだみたい」、「空き缶」は「まるでみんなの気持ちのやり場を背負ったみたい」ともう一歩想像力を働かせて、踏み込んだところに、歌詞の面白さが出て来ます。(特に「迷惑だから出来ない」って歌詞、最低だよね。歌詞の中だよ? 気を遣ってどうすんの。歌詞にモラル持ち込むなよ)


 因果関係を分かった上で、わざと壊す努力が必要です。
 華やかなイベントだけが歌詞の材料ではありません。あなたのすぐそばに歌詞の材料は転がっています。


 それからもう一つ。この歌詞全体に漂う根本的な問題があります。それはBメロに顕著です。
 「毎日が退屈」だけど、明日はバレンタイン「だから」チョコレートを作る、という発想そのものです。
 これは非常に危ない。
 別にバレンタインを否定しているのではありません、退屈な毎日と幸せなバレンタインという「イメージ」を、まったく無自覚に受け入れて、対立させて歌詞を書いてしまっているのです。しかし、これは適切でしょうか。
 「チョコレート・トレイン」の実際の歌詞では「百年たってもラッシュは同じ」とまで極端に日常を拡大しています。しかし、そこに日常を否定する意味はありません。百年経った未来都市でも「また汚職? オー、ショック」のAERAの見出しは変わらない。人間は相変わらずつまらない欲望で生きている。でもだからこそ私たちはAERAの見出しに思わずニヤニヤしながら、家族の写真を胸にどうにか家路に着くわけですね。
 歌詞になるもの、ならないもの、という区別を勝手につけてしまわないことが必要です。退屈な毎日の中に何かを発見する精神は、とても大切です。歌詞に限らず、私も持ち続けて行きたいと思っています。


2/ふと出来た下らない替え歌、だがそれがいい


 だいぶ長くなっちゃいましたね。先を急ぎましょう。次は「ふと浮かんだ、到底使えそうにない歌詞のフレーズ」について考えます。
 ニコニコ動画をご覧の方ならば「空耳」はご存知ですね。ハリウッド映画の緊張感溢れる場面も、台詞に大ウソの字幕を付ければたちまち腹筋崩壊の爆笑MADになります。前回たくさん引用した兄貴動画もそうです。「Now, even score(さあ、これで五分五分だ)」が「ナウい息子」です。最悪です。
 だけどここには、歌詞を書く上での非常に大きな学びのチャンスがあります。それは「言葉を意味ではなくオトで捉えることの素晴らしさ」です。これこそが文学と異なり、歌詞に与えられた強力な武器なのです。
 歌詞を作るためにメロディを「フンフンふーん」と鼻歌で口ずさんでいる時に、不意に自分でも思いがけない替え歌、あるいは空耳のようなことをしてしまうときがあります。これを見くびってはいけません。これはかなり重要な作詞のヒントです。
 何故なら、メロディに合わせて自然に出てきた言葉は無理がないのでうまく「ノる」んですね。ポット出てきたフレーズは無理がないので、そこをきっかけに書き始めましょう。何を隠そうチョコレート・トレインの「ガタンゴトン」もそうやって誕生したフレーズです。全ては私の空耳でした。ガタンゴトン、ガタンゴトン、オトンオカン、つるんぺたん。
 あれ?

 
3/きれいな言葉に気をつけろ!〜多分それは「恋」じゃない


 最後にもう1つ大切なポイントを。さっきのBメロの話に通じるものです。
 「ケータイ」「彼氏」「メール」「バレンタイン」うわあ。
 「lovin' you」ぎゃああ。
 …この感じはなんでしょう。そう、「手あかにまみれた言葉」ってやつです。
 メールという言葉を使うなとは言いません。それは無理です。でも私たちは「バレンタイン」の日に「彼氏」に「メールする」という状況を、当たり前のものとして捉え過ぎなのではないでしょうか。むむむ。それだったら「究極の出会いサイトへGo!!!」「秘密厳守、地元で逢えるサイトです」という出会い系のSPAMを見て「そんなことは大事じゃないよ」と気付くほうが、まだ新鮮なのではないでしょうか(手前味噌ですが拙作「あめあめ」より)


 ちょっと一般論で説明しますね。例えば「切ない」という言葉。
 歌詞登場率で単語帳を作ったら多分TOP100に入ると思いますが、気付いてほしいことがあります。それは「切ない」という言葉が追いやってしまった無数の感情の機敏です。「切ない」が濫用された結果、「めまいがするような嬉しさ」も「ため息付きながら笑った」も「ひとり瞳を閉じた」も全部どこかへ消えてしまったかのようです。うわーマジ「切ない」。超「切ない」よー。


 ひとつの定型表現は、無数のマイノリティを吹き飛ばすのです。


 「切ない」という単語を使わずに歌詞を作れとは言いません。私も使います。「恋」だってそうです。「愛してる」も「想ってる」もそうです。良い言葉です。
 でもあなたが今感じている気持ちを歌詞にするとしても、その気持ちは「恋」の一言で言い切れてしまうような単純なものなんですか? もっと悩んでたり、苦しかったり、だけど気持ちよかったりしませんか?
 それは「恋」という名前を付けて安心しているだけじゃないですか? それ、もっと他の言葉で表したほうが、もっと「そのもの」に近づきませんか?
 そのことを忘れないでほしいと想います。


 次回(第3回)は引き続き歌詞の世界で陥りがちな失敗を論じます。多分また言葉の重さについて語ると思います。最近の世の中における語彙のパターン化のひどさは異常だと思います。みなさんが歌詞以外でも「俺の彼女がツンデレなんだけど、最近スイーツばっかり食べてるからメタボになってきて、デトックス試してんの自重w」とか言わないことを願うばかりです。