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2017-08-16 194組の3732555

[][]『魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢の中の輪舞』

 以下は、2011年春に観たときの感想です。例によって、まとまりきらないで下書きのまま放置していたものを、諦めて公開するものです。

 *

 大人になりたい心をその魔法の源とするモモに対して、子供のままでいつづけたい心の魔法のペーター(ピーター・パンをモデルにしたキャラクター)を置き、両者の、対決という仕方ではない邂逅と交差を描こうというのが、本作の発想の端緒であろうと思う。

 ペーターの作った子供の国には、大人になりたくない子供たちと、子供に戻りたい大人たちが、ペーターによって集められ住まっている。子供に戻りたい大人たちは、この国ではペーターの魔法で子供の姿に変えられている。そうして、この国の入り口は、大人には通れないようになっている。すなわち、この国には子供しか入れない。だからこその子供の国。そのはずだった。のであるが。

 モモの地球でのパパとママは、くじで当たった南極旅行の途上、ペーターの力で飛行機ごと子供の国に連れてこられる。そこで、他の搭乗者はみな子供の姿へと変えられるなか、パパとママの二人だけは大人のままにとどめおかれる。二人に、子供の国の子供たちみんなのパパとママになってもらおうと、ペーターは考えたのである。

 この子供の国がパパとママを必要とすることは、仮に、本作で扱われるところの大人の世界との争いが起こらなかったとしても、自分を慈しみ育んでくれるパパやママのような大人になりたいという心をいずれは子供たちの間に生み、子供の国を破綻に追い込んだように思われる。

ペーター「どう、シンデレラ姫?」

モモ「こんな! あなた魔法が使えるわけ?」

ペーター「子供の魔法さ」

モモ「でも、どっから見ても、あなた子供じゃないみたい」

ペーター「子供さ。決して大人にならない子供」

 翻ってみれば、モモと最初に出会ったときから実は、ペーターは半ば大人のような青年の姿をしていた。子供の国の子供たちを守るためにはそうならざるをえなかったのだろうが、ペーター自身そのことを自覚していたかどうか、それは分からないことだ。ただ、ペーターの願いは、どうしても矛盾に行き当たる。そのことは言えそうだ。

 さて大人との争いの果て、次の世界を求めて飛び立つときのペーターは、再び子供のような姿に戻っている。ペーターを中心に見たとき、『ピーター・パン』の原作にもかなったこれは円環の物語。

 だがモモは? モモの物語の形とは? 大人になりたい心の魔法に頼っている限りは、その力の庇護のもとにある限りは、子供でいることから抜け出せないのではないか。一点の翳りがそこにある。

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2017-08-13 わたしミント

[]今村夏子『こちらあみ子』(ちくま文庫

 愚直だ、一途だ、という言葉であみ子を賛美する向きもあるようだが、こういうのは物心が付いていないと言い表すべきものだと思う。だからまた、あみ子に憧れるというのも筋違いだ。ただ各自の過去を見つめさえすればいい。過去の自分の声を聞けばいい。求めるものはそこにあるはずだ。生まれてこのかた物心しか持ったことがありません、という種の人のことは知らない。

 友達を大切にしなくてはという思いがある。休日の度に顔を見せにやってくるさきちゃんはきっと、あみ子のことが好きなのだ。あみ子も同じように、さきちゃんのことを好きだ。(……)

p.13

 中学時代までを過ごした家を離れ、祖母の家で暮らすようになったあみ子は、友達を大切にしなくてはという思いを抱いて日々を生きている。あの時代を経てあみ子なりに掴んだ、これは物心の形だ。

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2017-06-20 誰も何かができる

[]『キャプテン』#12まで

 BS12で『キャプテン』と『美味しんぼ』を見ることが週のうちの最大の楽しみになっているこの頃。『キャプテン』の放送は、谷口キャプテン時代の終わりまでやってきた。

 丸井の存在のありがたさをつくづく思う。

 *

 たとえば、#6「ピンチ!墨谷ナイン」。

 青葉学院との決勝戦で窮地に立たされた墨谷ナインは、マウンドの松下の周りに集まる。控え選手の丸井は、じっとしていられずタイムを告げてベンチから駆けつけるが、ナインの重い空気に掛ける言葉がない。そこで、苦し紛れに番組の主題歌を朗々と歌えば、一人また一人と声を重ねて、思わぬ大合唱となる。

 ナインの気持ちが吹っ切れる、そのきっかけを丸井が作る。こんな主題歌の使い方があったかと、今見てもなかなかに洒落ている。

 *

 また、#12「新キャプテンは誰に?」。

 いつもの神社で練習をしていない谷口を咎める丸井。谷口は、先の試合で骨折した指が野球選手としてはもう使い物にならないことを告白する。俺はもう駄目なんだ、そう弱気を見せる谷口に、丸井の叱咤が飛ぶ。

丸井「なんでえなんでえ、キャプテンらしくもない。右手が駄目なら左手があるじゃないすか! 俺だって、何度野球やめようと思ったかしれないすよ。で、でも、一生懸命努力すればやれるんだって、教えてくれたのはキャプテンじゃないすか! そ、そのキャプテンが弱音なんか吐いちまって……」

#12「新キャプテンは誰に?」

 丸井の言葉がうれしくて、谷口は丸井を神社へ誘う。「一緒に、練習を付き合ってくれないか」

 虫すだく夜の神社。投球練習を始める二人。谷口が左手で投げたボールは、てんで丸井に届かない。丸井は涙を止めかねる。しかし谷口は、晴れやかな顔で、一つの決断を告げる。

谷口「泣くな、丸井。野球部を頼むぞ、次期キャプテンとしてな!」

丸井「えっ?!」

谷口「俺にやる気を起こさせてくれた、その気持ちでみんなを引っ張っていってくれ!」

 思うに、神社へ向かう道すがらの、一歩ごとに、この決断は不抜のものとなったに違いなくて。

 この回の冒頭、指を骨折している谷口に、厭うどころか進んでユニフォームを着せてあげる丸井の懐かしさがあって、そうしたい丸井の谷口を慕う気持ちがあって、それがこのラストの場面の美しさにまでつながっている。

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2017-01-29 強がりではない強さ

[]『カードファイト!! ヴァンガードG NEXT』#7-8

ミゲル「広いねー、世界は」

トコハ「そうだね」

ミゲル「この広い世界に僕たちは飛び出した。輝く未来を求めて」

#7「開花する私の未来」

 毎日が楽しい、広い世界に出たいという夢が叶って充実してる、留学先の学校の友達にはそう嘯いていたトコハだったが、その先の、目指すべき未来を思い定めることが出来なくて不安に思う気持ちを、ふっとミゲルに打ち明ける。

 不器用でも、どんな不運にもめげないミゲルの憎めなさ、頼もしさ。同じネオネクタール使いだという共通点もあり、友達になったばかりのミゲルの前で、トコハは素直だ。

 ミゲルは言う。「トコハは自分の可能性を信じて、広い世界へ飛び出したんだ。トコハは強い。トコハなら大丈夫。僕はトコハを応援する」

 *

 ところが。そう励ましてくれたミゲルが死んだ。

 たった二日間でも深く心を通わせ合った友達が死んだ。「トコハは強い」と何度も請け合ってくれたミゲルが死んだ。

 悲しみと失意で先の見えなくなったトコハは一人、パリの街をさまよい歩く。いつしかエッフェル塔のそばに座り込んでいたトコハに、ボランティアガイドの男性が話し掛ける。パリ市民に受け継がれるエッフェルの思いについて。

 死んでも思いは受け継がれる。

 能動的には、思いは、受け継ぐことができる。

 そう気付いた時、トコハは走り出す。今の自分が戦えるのか、また前へ歩き出せるのか、それを確かめるために、トコハはハイメにファイトを挑む。

 *

「ちょっと思い出さない? この景色、浅草の……」ファイトを終えて、パリの夕暮れ、セーヌ河岸を歩きながら、ハイメはトコハに言う。トコハの目に、懐かしい景色がダブる。「隅田川ね」「そう!」

 たったこれだけのやりとりが嬉しい。迷いの晴れたトコハに世界は優しい姿を見せる。強がりではない強さを、トコハは取り戻す。

 *

 戦い続ける限り、進み続ける限り、ミゲルはトコハと共にあるだろう。それが、ミゲルの言葉を本当にすることだ。

「僕がトコハのこと、ずっと見守るよ」

PantselPantsel 2017/01/30 00:20 「たったこれだけのやりとりが嬉しい」というのは、つい紛れ込んだ私の主観です。というか、それだけのことを記しておきたくて書いたあらすじです。

PantselPantsel 2017/01/30 18:05 ネオネクタールの自分のデッキを見るたびに、トコハはミゲルを思い出すだろう。トコハはミゲルを感じるだろう。

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2016-12-26 さくらニュータウンではトキドキクジラが空をとぶ

[][]『映画 妖怪ウォッチ 空飛ぶクジラとダブル世界の大冒険だニャン!』

 アニメ世界と実写世界(毛穴世界)との間を行き来させようという発想の面白さを、損なうことなく一作に纏め上げられていると感じた。『妖怪ウォッチ』の映画として満点の出来と言ってよい。

 イナホらしき怪しい女をもっと映して欲しかったという憾みはあるが、ハライチ澤部の序で登場したような岩井の更に序のようにして諏訪太朗が瞬間現れたことで、私の中では帳消しになった。

 武井咲はなかなかのバレエスクールの先生っぽさだった。

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2016-12-14 ミクロの一勇士

[]『グッバイ、サマー』

 旅の終わり、後ろ向きに飛ぶ旅客機について。

 あのような不思議さを通過しなければ戻れないような旅だった。ともかくはそう思える。

 パリへ帰ることは、今や後退することでしかないのだ、このイメージは成長の結果なのだ、とは考えたくない。

 この夏を終えてダニエルは、それまで思いを寄せていた同級生を振り返ることをしなくなる。それはもちろん、ある部分における変化だ。しかし私は確信するのだが、時に不安で寝付かれず、身体をゆさゆささせる夜は、これからもダニエルに訪れるだろう。

 だから言うとすれば、容易には抜け出せない、置き去りに出来ない状況の引力が、ダニエルに働いた。そういうことではないか。

 旅客機から電車に乗り換えたあと、この電車も後ろ向きに進んでる、と言うダニエル。それを聞いて、向かいに座っていたテオは、ダニエルと席を交替する。

 前進も後退も、成長も馴化も、言い切れないところで生きているのだし、生きていくのだし。

"MICROBE et GASOIL" を『グッバイ、サマー』なんていう邦題にするからややこしいのだ。何ともグッバイなんかしちゃいない。

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2016-11-19 春日狂想

[]『orange』

 わさびドラの映画定番ネタで「温かい目〜」というのがある。翔を囲む面々が揃いも揃ってそんな訳知り顔の温かい目をしはじめてからは、とにかくいたたまれない気持ちになった。逃げて、翔、と思った。

 作中言われるような形でパラレル世界が分岐生成されるのだとしたら、より悪い結果に至った世界だってありえたはずで。その中から都合のいいパラレル世界の夢を見せられたに過ぎない、そんな印象をどうにも拭えない。

 手紙の言いなりに振り回されることは、現在を無みするようで、何よりそれがつらい。ツァラトゥストラ的肯定を、とまでは言わないにせよ。

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