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2018-04-13 おっこ若おかみなのよ

[]『若おかみは小学生!』#1「なんでわたしが若おかみ!?」

 両親を事故で亡くしたおっこ(織子)は、街を離れ、温泉旅館を切り盛りする祖母のもと、母が少女時代を過ごした部屋で暮らすことになる。

 その部屋が、空の机とカラーボックスがあるきり、母の名残などおよそない殺風景さで描かれており、やや悲しい。おっこが落ち込みくじけたときに、この部屋だけは優しく守ってくれるような、少女時代の母が一緒に悩んで励ましてくれるような、そんな部屋ではあってくれそうもない。そのかわりに幽霊のウリ坊という寸法なのだろうが。

 モンゴメリのエミリーブックスを最近読んだばかりなので、ついそんなことを思ってしまう。

PantselPantsel 2018/04/14 18:51 この机とカラーボックスにしても、元の家でおっこが使っていたものが引越荷物として先に届いていただけのように見受けられる。

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2018-04-12 兜率の天の酒

[]天上のI.W.ハーパー

ハーパーを生まれて初めて飲んだ

強いお酒だ笑

あれをバカスカ飲むなんて気がしれない笑

追悼ライブを終えた気持ち|有坂愛海公式BLOG『ありのまま有坂様』

 言うことはない。胸に迫る。私の胸に迫るかなんてどうだっていいことだけど。

 追悼ライブをすること。ハーパーを生まれて初めて飲むこと。なしうることをなし尽くしてしまえば、終わりさえも終わり、あとに来るのは決定的な、取り返しのつかない、以後だ。それでも、終わらせ続けているあいだは、それはまだ続いているってことだ。やがてはそれも終わる。それでも。

 そうしてほんとうには、終わらせきれないのだ。死は。

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2018-01-30 零下堂キアン

[]『平成細雪

 平成蒔岡四姉妹の没落、ある一時代の終焉を、完膚無きまでに決定づける象徴としての阪神淡路大震災。しかしそれが起こるのは、なお一ヶ月先のことで。ドラマはあくまで、次なる時代を待たせたままに、栄華の残香のうちに終わる。

 思ってみれば、本家の調度品、骨董書画から果ては邸宅までを、売却しおおせたというのは、ある意味では強運であったとも言える。再出発のための荷物は軽いほどよい。

 ナレーションは言う。「長い、長い、失われた時代の、始まりです。」

 それでも四姉妹の行く手を暗いものとしないのは、彼女達の逞しさと、それに加えて、震災後の神戸の復興の力強さを我々が知るためでもあろう。

 *

 なかあんちゃん(高岡早紀)が平静を装い面は取り繕ったままで「えーー! ○○やん」とモノローグツッコミを入れるのが楽しかった。

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2017-11-23 人間到る処

[]『ご注文はうさぎですか?』『ご注文はうさぎですか??』

 映画公開に合わせて、この一週間ほど『ご注文はうさぎですか?』『ご注文はうさぎですか??』を見ていた。

 木組みの街にココアが持ち込んだお姉ちゃん概念が、徐々に伝染し、定着していく。そこが私には見どころで、だからそのココアの姉が木組みの街へやって来る第2期#5「ひと口で普通のもちもちだと見抜いたよ」、同#6「木組みの街攻略完了」を、一つのピークと感じた。

 シャロの家が小さい、慎ましやかだ、馬小屋だ、等のネタを繰り返すのは、悲しくなった。

 あっちの喫茶店、こっちの甘味処、どこにでも出没する青山ブルーマウンテン先生。人間到る処、とはこのことかと思った。

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2017-10-22 じーく菜

[]『Fate/Apocrypha』#15まで

 何者かでありすぎるサーヴァントたちが、何者でもなかったはずのホムンクルスに、託したり、構ったり、してしまう。あるいは魔力の塊である聖杯に対して、あやうい器であり、それゆえに可能性であるようなホムンクルス

 ジークだけは、現在進行形で生まれつつある英雄だと、そのようなつもりで見ている。

 真綾ちゃんにえこひいきされたい。

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2017-08-27 「がんばっぺー!」

[]大好き東北アニメ『想いのかけら』

 女川中バスケ部のアニメの放送に迫られて、録画したきりになっていた『想いのかけら』を慌てて見た。

 仮設住宅での父娘二人暮らしのディテールの説得力。一方で、地震が、とか、津波が、という直接的な言葉は敢えて使われていなくて、それがためにかえって、すでに起こってしまった何かの決定的であることを、我々は汲み取ることになる。

 我々はもちろん、あの震災を知っている。ただし出来事として。震災を生き、また震災後を生きることが、一体どういうことであるのか、それは当人以外には想像するほかないことだ。それでもその一端を、しかし多くのことを、このアニメは教えてくれているようだ。

 大人として生きること。子供として生きること。

『想いのかけら』は想像のかけらでもある。

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2017-08-16 194組の3732555

[][]『魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢の中の輪舞』

 以下は、2011年春に観たときの感想です。例によって、まとまりきらないで下書きのまま放置していたものを、諦めて公開するものです。

 *

 大人になりたい心をその魔法の源とするモモに対して、子供のままでいつづけたい心の魔法のペーター(ピーター・パンをモデルにしたキャラクター)を置き、両者の、対決という仕方ではない邂逅と交差を描こうというのが、本作の発想の端緒であろうと思う。

 ペーターの作った子供の国には、大人になりたくない子供たちと、子供に戻りたい大人たちが、ペーターによって集められ住まっている。子供に戻りたい大人たちは、この国ではペーターの魔法で子供の姿に変えられている。そうして、この国の入り口は、大人には通れないようになっている。すなわち、この国には子供しか入れない。だからこその子供の国。そのはずだった。のであるが。

 モモの地球でのパパとママは、くじで当たった南極旅行の途上、ペーターの力で飛行機ごと子供の国に連れてこられる。そこで、他の搭乗者はみな子供の姿へと変えられるなか、パパとママの二人だけは大人のままにとどめおかれる。二人に、子供の国の子供たちみんなのパパとママになってもらおうと、ペーターは考えたのである。

 この子供の国がパパとママを必要とすることは、仮に、本作で扱われるところの大人の世界との争いが起こらなかったとしても、自分を慈しみ育んでくれるパパやママのような大人になりたいという心をいずれは子供たちの間に生み、子供の国を破綻に追い込んだように思われる。

ペーター「どう、シンデレラ姫?」

モモ「こんな! あなた魔法が使えるわけ?」

ペーター「子供の魔法さ」

モモ「でも、どっから見ても、あなた子供じゃないみたい」

ペーター「子供さ。決して大人にならない子供」

 翻ってみれば、モモと最初に出会ったときから実は、ペーターは半ば大人のような青年の姿をしていた。子供の国の子供たちを守るためにはそうならざるをえなかったのだろうが、ペーター自身そのことを自覚していたかどうか、それは分からないことだ。ただ、ペーターの願いは、どうしても矛盾に行き当たる。そのことは言えそうだ。

 さて大人との争いの果て、次の世界を求めて飛び立つときのペーターは、再び子供のような姿に戻っている。ペーターを中心に見たとき、『ピーター・パン』の原作にもかなったこれは円環の物語。

 だがモモは? モモの物語の形とは? 大人になりたい心の魔法に頼っている限りは、その力の庇護のもとにある限りは、子供でいることから抜け出せないのではないか。一点の翳りがそこにある。

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