君はSFが好きか?

 私はSFが好きである。
 特に、科学考証が綿密に成されたハードSFが好きである。
 よくある間違いだが、SFとは「Space Fantasy」だと思ってる人がオタクの中にもいる。
 なので、時々私が短編を書いて
「よっしゃ! 今度はSFファンタジーだぜ!」
 と意気込んで話したら
「SFファンタジー? つまり、スペース・ファンタジー・ファンタジー? なんでファンタジーが二つ?」
「FuckIn` !! おどれぶち殺したろか! なんやねん、SFはScienceFictionの略やろうがこのスットコドッコイ!! 関西舐めんなや!」
 とぶち切れる事があったりしてSFをスペースファンタジーなんて言う人は「Scienceの綴りを書かせて、Sienceと書いたらスクリーンショットに保存して末代までの恥さらしの刑」にしてやりたいと思ったり思わなかったりします。
 思うだけです。

オタクはうんちく好き

 オタクってのは大抵がうんちく好きの人間です。
 オタクってのは要は好奇心が強く、そして新しく知識を得る事に歓喜し、知識を得るたびに自分が偉くなった賢くなった、なんて気になってくる人種です。
 自分が興味を持った事に対してとてつもなく惹かれ、その対象の事をどこまでも知りたくなる。
 それは恋の感覚に近い。
 要は、オタクは事物に簡単に惚れて、その惚れた対象に対して過剰の知識欲と独占欲を抱く訳である。
 そんな訳で、設定が緻密で綿密なものほどオタクには好まれる。
 ところが、そう言う設定はやはり架空なものなのでどうしようもない穴がある時がある。
 「魔法なんてあるわけないジャン」とか突っ込まれたら興ざめである。
 だから、そう言う現実との乖離がなるべくない作品、あるいは理路整然となっている世界観が好まれる。
 奈須きのこ氏の作品が好まれるのは現実の中に上手く魔法的・伝奇的要素を取り込み、融合させているからだろう。
 特に、「概念武装」とか「魔法と魔術の違い」などの設定は秀逸である。
 まあ、こういう設定が大好きな人達にとっては、設定が緻密になりやすい「ScienceFiction」はとても好まれやすい。
 つまり、重度のオタクはSFを好む傾向がある。
 ただし、SFはその名の通り「科学」を重視する、科学考証などの理系知識が要求されたりするのでそこら辺がいやな人達には嫌われるし、敬遠される。
 つーか、オタクって実は勉強好きな奴らが多い。自覚はないが、好きな事に関してはずば抜けた記憶力と集中力を発揮する。数式とか全然覚えられない癖にアニメ作品の声優の名前と経歴を暗記してたり、何かの作品に出てくる台詞やシチュエーションなどの膨大な情報を軽々と記憶する。
 それは、本人が無自覚に「好きな作品」について勉強してるからであって、勉強が嫌いなオタク達は、結局「クソ作品の事を無理矢理覚えるのはヤダ」と言う心境を勉強に対して抱いてるのである。だから、日本史だけ異様に得意なヤツや、難しい漢字が馬鹿みたいに得意なヤツが出たりする訳だ。
 日本教育に英語を浸透させたかったら、良質の英語コミックとか、英語のライトノベルを教科書に導入すべきなのである。

SFはメジャーじゃない?

 でまあ、そんな訳でSFってのはうざったい知識が必要になってきたりするのでオタク界でも敬遠される。

 「新吼えろペン5巻」にて、主人公である漫画家「炎尾燃」がマンガ雑誌を作る話がある。その時は親友である「流星」と以下のような会話がある。

炎尾「やはり巻頭はこの人だな!
    バシーッとハードSFアクションで!」
流星「いや、冒頭にSFを持ってくると読者が離れる……」

「いや、冒頭にSFを持ってくると読者が離れる……」

「いや、冒頭にSFを持ってくると読者が離れる……」

「いや、冒頭にSFを持ってくると読者が離れる……」

 orz←最近SFものばかり書いてる。

 まあ、それでもSFを巻頭に持ってきたい炎尾に対して流星は

流星「――だったら単なるアクションモノではなく――
   背後にちょっと宗教色の感じられる、壮大なスケールっぽいものならいいんじゃないか?」
炎尾「ちゃんとエンターテイメント性の強いやつな!!」

 やっぱ島本先生は偉大だな、と思った瞬間。
 なんにしても、SFは膨大な知識の垂れ流しになりやすいので、そういうのをなるたけ食い止めて、ストーリーの面白さとエンターテイメント性で読者を引っ張っていかないといけないのである。
 ちなみに、私が最近書いてる「Gaia Fragments」だが、知り合いに感想を求めると

「ああ、面白いよ。ちょっと説明多いけどね
「あー、説明文が長いけど面白いよ」
「面白いんじゃない?説明文長いけど

 お、お前らぁぁぁ!

でもSFで頑張るモン(涙)

 まあ、それはともかくとして、私はSFが好きである。
 もともと、私はスレイヤーズ繋がりで富士見ファンタジア文庫に入っていったせいか、昔はファンタジー小説ばっかり書いてた。
 今でもファンタジーは大好きである。
 まあ、最近富士見ファンタジア文庫は落ち目らしいが。
 とはいえ、ここ数年はSFを書く事の方が多い。
 それで、その昔、ドラゴンマガジンに連載されていた「ロケットガール」という小説がある。
 私は、ドラマガに連載されていた「私と月につきあって」しか読んだ事なかったのだが、この度奇跡の再版が起きたので先月から出るたびに買っている。
 さっき二巻を読み終えたばかりだが……面白い!!!
 スラップスティックSFとか言いながら、設定考証がみっちりなされてて燃える燃える。
 世界観的には近未来のハードSF。
 最近のマンガだと、プラネテスに近い。この作品もかなりのハードSFである。
 無論、大好き。アニメも面白かった。
 このプラネテスと「ロケットガール」に共通するのは科学者達が力を合わせて宇宙へと向かおうとする所である。こういう技術屋達のプロジェクトX的なものは凄く面白い。
 でも、やっぱり人を選ぶのだろうなぁ。
 しかし、「ロケットガール」みたいな作品は是非もっと多くの人に読んで貰いたいと思う。宇宙開発ってのはとても大変で、難しいけれど、とても夢のある仕事だと思うから。

ロボットの意義

 さてさて、冒頭に話した通り、やはりオタクはうんちくが好きで、だからこそ設定が現実と矛盾することを嫌う。んで、最近はロボットものを書いてる訳だが、ロボットの意義を考えるのは大変だ。
 ロボットってのはみんな知ってる通り二足歩行で歩くものだ。
 けれど、二足歩行なんてのは非効率で、そんなロボットを兵器に使うなんてどうにも非効率である。
 戦車を使った方がいいとか、宇宙で作業するなら足をつけず、胴体に複数のアームをつけた方が効率的だとか……。
 まあ一応、今書いてる小説でも何故ロボットが兵器になっているか、も考えている。
 けど、そこら辺をいかに自然に説明するかってのは難しい所だ。
 ほら、私って説明多いらしいから。