「かつ」と「しかし」

記号論理学的には「かつ」と「しかし」は同じものとして扱われる。「pかつq」も「pしかしq」も、pという命題とqという命題がともに成り立っている状態であると考えるわけである。
日常言語的にはこの考え方には違和感がある。「かつ」と「しかし」では明らかに意味合いが違うからだ。記号論理は科学を表現するための人工言語なので、「しかし」といったような話者の価値判断が入ってくる表現を考慮に入れていない。「かつ」だろうが「しかし」だろうが命題がともに成り立っているという状態には変わりがなく真理値も同じであるとして等しく扱われる。
ここで「しかし」をあえて記号的に扱ったらどうなるだろうか。
「pしかしq」とは、pでありかつqでないことが期待されるが実際にはpかつqが成り立っている、と考えてみる。
命題xが期待されるをH(x)、命題xが実際に成り立っているをG(x)と表すとする。すると「pしかしq」という関係は
(1) H(p∧¬q)∧G(p∧q)
と表せる。
これは命題自体を変項とする二階以上の論理ということになりそうで、そうだとすると難しくなる。あるいは関係を表す論理定項の一種と考えることはできるだろうか。(たとえば「しかし」を◎という記号で表し「pしかしq」をp◎qと考えてみるなど。この場合どう真理値を割り振ればいいのだろう。)
(1)が真になるのは、H(p∧¬q)とG(p∧q)がともに真になる時である。つまり話者がpかつ¬qであると正しく期待しつつ実際にはp∧qが成り立っている時である。定義からして当然である。
期待するとはどういうことか。実際に成り立っているとはどういうことか。どうもここにモダリティの要素が入ってきて様相論理的になりそうである。「しかし」が話者の価値判断といった信念に係わることだとすればそうなるのが当然だろう。
これ以上はうまく考えがまとまらないので、とりあえずここまでをメモとして。