「たまゆら」監督と美術監督の講演会に行ってみた
4月24日、「たまゆら」の聖地である竹原で行われていた「たけはら国際芸術祭」の最終日
『「たまゆら」監督佐藤順一・美術監督田尻健一講演会〜アニメーションで描く竹原の魅力を語る〜』
と題して「たまゆら」に関する講演会が行われました。
3ヶ月ぶりの更新ということで、早速それについてレポしようと思います。
AM10:15 たけはら美術館
この日、10時ぐらいに友人と待ち合わせをしたのですが、来る最中に地元で事故渋滞に巻き込まれ大幅に遅れてしまいました。
これじゃあさすがに無理か、と半ば諦めながらたけはら美術館へ。
早速中にはいってみると、だいたいこんな感じでした。
整理券が配られているわけでもなく、列が形成されているわけでもなく、ただひたすら開場を待っているようです。
待ち時間の間、大きなボード片手にどこから来ましたか?と言うアンケートをしている人が。
暫くいろんな人に声をかけられていたようですが、開場直前になるとひとしきりアンケートをとり終わったのか、大きな声で謝辞を述べてからどこからともなく消えさってゆきました。
その時はスタッフの人かとも思ったのですが、あとで開場してみるとすぐ近くにお客さんとして座っておられたので、おそらくどこかの団体の調査なのでしょう。
AM10:30 開場
さて、30分前になったので開場すると、少しでも良い席を確保しようと我先にとドドっと人が入ります。
自分はたまたま入口近くで待っていたため、このように2列目中央のよい席を確保。
開場直後はこのぐらいでしたが、開演直前には後ろの数席を除いてほぼ満席に。
それから、mixiの舞台探訪コミュの昼行灯さんに名刺を頂いたりツイッターを見ながら待っていると程なく講演会が始まりました。
以下、講演の内容要旨。(乱文・順不同)
儀武さんが前説のアナウンスで初っ端から3回噛む。
しかし、そのあとは緊張がほぐれたのかそつなく司会進行役を務める。
万雷の拍手の中佐藤監督、田尻美術監督入場。
監督と美術監督の役割について自己紹介を交えつつ解説。
・なぜ竹原を選んだか?竹原の魅力は?
条件があった(ロケーション)
・海が見える田舎
・ローカル線が走ってる
・海側に太陽が昇る(つまり日本海側はNG)
そのほかに重視したのは「住人がこの街を愛しているか否か」
どことはいえないが、若者が外へ出てしまい、老人たちも早く出ていきたいと愚痴ってる街もあった。
そんな中、竹原は町のどこがいいかを聞くとあそこがいいここがいいと地域の人が言っていたことから、地域に愛されているんだなぁ、と実感。
地域の人や町の雰囲気は画面を通して出てくる。
逆にそういう雰囲気がなくただ背景として出しているだけだと、借り物みたいで魅力にかける。
また、京都や尾道では街のイメージが付いているため、その街を舞台にする作品は「街のイメージに作品が乗っかっている」ようなところがある。
だが、竹原にはまだそういうイメージが定着していないので、アニメを通して街を体感してもらうことができるのも選んだ理由であり、魅力の一つ。
佐藤監督曰く「竹原には五回か六回か七回か八回来てる、四季毎に来ているから、これでちょうど一回り」
ちなみに、今年の新年は竹原で駐車した車の中でこごえながら迎えた。
一方、田尻美術監督は2回でいずれも春。
昔から日本の建物をやってみたいと思っていた。こうして竹原の背景を書くことは新鮮でとても楽しいし、
これまでに手がけたことがないため資料を漁って読み込むのも大変いい勉強になっている。
・作画について
背景については、基本的に佐藤監督が「こういうイメージのものを」といったのを田尻監督が絵に起こし、それをもとに世界観を理解してもらって上で美術スタッフが製作している。
田尻美術監督曰く、「この時の注文は「とりあえずいい感じで」というのが多くて困ることが多い」とのこと。
これに対し佐藤監督は「とりあえず作ってもらってそこから注文をつけることが多い。実際に書かせてみると自分では気づかなかった工夫や演出があるので、それがよければそのままそれを取り入れることも多い。これは声優さんの場合も同じ。」
→つまり、自身のイメージに固執するのではなく、美術監督や声優のイメージを取り入れることによってよりよいものにしていくのだそう。
また、作画そのものに付いては背景よりも写真の中のほうが手間がかかっている、、絵で表現している以上背景と同じように書いたのでは潰れてしまうので、奥から手前のものを別々に書いてピント感を出したり、四隅を暗くしたりして写真としての雰囲気を醸し出している。
さすがにワンシーンごとに書いているわけではなく、同一の写真ならばエンディングで大きく写せるよう少し大きめに作った上であとではめ込み処理をする。
・竹原を描くときに気を付けていることは?
竹原の美観地区は基本的に白や茶やグレーといった色が多いため、その中に下手に自然色を入れると浮いてしまう。特に、花などのグリーンは微妙な色付きで生花にも造花にも見えてしまうから大変難しい。
それに、写真のとおり書いてしまうとすごくごちゃごちゃしてしまうので、キャラクターの動きのじゃまにならないよう、実際より格子の数を減らしたり、邪魔な物をとっぱらったりもする。
また、光や色使いにも大変気を付けている。
夕日と朝日では現象的には同じだが、夕日は活動の余韻が残っているのに対し、朝日は止まった時が動き出すような空気感がある。また、光の表現も朝日は光が差してくるイメージで書くのに対し、夕日は光が吸収されるようなイメージで書く。
夕日にしても子供向けの場合は分かりやすく「昼はこう、夜はこう」と色使いをパターン化しているが、たまゆらのような心情に訴えかける作品の場合、同じ夕日でもまだ陽が高い時ととっぷり暮れている時を区別して色使いを細かく変えたりしている。
→つまり、「画面全体で演技をしている」
・取材の時の写真について
作成時の資料は写真が一番多く、これが一番使いやすい。
仮に1日取材したとしたら大体2〜3000枚ぐらい撮影する。
しかし、例えばドアの向こうからやってくるシーンを書こうと思っているのにその肝心のドアの写真がなかったり…と、いうこともよくあるし、撮影が不可能なアングルというのもあるので、その辺は美術監督の想像力で補う。
写真の撮り方ひとつとっても、監督と美術監督では傾向が違う(どのように違うかは失念)
作中で楓が使っているローレルのカメラでも撮影を行なっている。
これは、ローレルが単焦点カメラなため、ズームの効くデジタルカメラとは違いアップに撮ろうと思えば寄らないといけないし、大きくとろうと思えば自分が離れるしかない。
そういうところで微妙に絵作りや構図に違いが出るため、楓の写真についてはこのカメラで撮影されたものを用いるとのこと。
ちなみに出来は[お察しください]
佐藤監督が儀武さんに曰く「構図がだいたいわかればそれでいいのであって人に見せるものじゃないからいいんです。現像しなければ分からないので、現像に出した後見せてこなければそういう事だったんだなということで、空気を読んでください」
また、ローレルのみならず一眼レフで撮影している時でもアングルにこだわるあまり、作中で楓がとっているようなポーズそのままの状態になることもある
(ここで儀武さんが「楓ちゃんならかわいいですけど、監督じゃあ…」とツッコミを入れ、場内爆笑)
ARIAの作画のためにベネチアへ取材旅行に言った際にも、同じようにアングルに腹ばいになって必死で撮影していたため現地の人が不審がり、「こいつは何をやっているんだ」と通訳の人に聞いてきたらしい。
ここまたすかさず儀武さんが「日本人といえばメガネにカメラですが、そういう怪しい東洋人に思われたんですね」といわれ佐藤監督苦笑い。
ちなみに、使ってるカメラは、田尻美術監督がコンデジと一眼レフ。何がこだわりがあるのと思いきや「普通の時は一眼レフ、飯屋みたいなところでは一眼を振り回すわけにはいかないからコンデジ」と至極まっとうな理由。ちなみに佐藤監督はコンデジの代わりに携帯のカメラを用いているとのこと。
・今までいろんなところが出ていていますが、松坂邸(景観地区にある邸宅)とかは出さないのですか?
松坂邸はたしかに地域の人にとって重要なものかもしれないが、日常風景に入って来ないものはどうしても使いづらい。
人との関わり合いのある場所が日常を描く上では重要になるので、そういう意味では松坂邸よりも商店街のベンチなどのほうが自然。
佐藤監督曰く「もしも松坂邸が女子高生にとってハンバーガーを持ち込んで食べるような場所なら使えるかもしれませんが」(ここで会場に笑い)
・地名とかは普通ならもじるのに、この作品では普通に竹原って言い切ってます。これって珍しいのでは?
普通のテレビシリーズの場合、話を続ける間に本来舞台となった場所にないものを出さないといけなくなることもある。なので、「ここは現実の場所をモデルにしてますが、そのものじゃないんですよ」という「言い訳」のためモジることはある。
また、名前についても出してほしくない人もいるから、そう言うのに配慮する意味でも名前を変えることが多い。
ただ、今回ははOVAで話も短かったから実在する施設や土地の中で話を作ることが出来たし、テレビと違ってみる人も限られるので、あえて変えるような事はせずそのまま出した。
・監督・美術監督になった理由
佐藤監督
もともと高校生ぐらいの時からそういう関係の仕事につきたいと思っていた。だが、アムロやらハイジやらを書いてみても全然似ないためアニメーターの道を断念して、演出の方を目指してそういう学部のある大学で学んでから就職した。
最も、キャリアパスはこれだけではなく、アニメーターから演出に行くこともあれば美術から監督に行くこともあるし、極端な話ツイッターで有名な監督にお近づきになって、その人から学ぶのもアリ。とにかく自分から動いてみることが大事。
田尻美術監督
高校の頃はとにかく目の前のことに一生懸命でそういう事は考えてなかったし、部活も吹奏楽部だった。
その一方で、模型屋のチラシやガレージキットの説明書のイラストなどを書いていくうちに意識するようになり、そういう学部のある大学へ。
そこは商業アニメというより「一本のひもで映像作品を作る」といったアート系が主で、「一人で一本作品が作れる」ようにさまざまな技術の触りを学んだ。
背景に行った理由は、「背景の求人があるが誰か行かないか?」と先生から呼びかけられても誰も手を挙げなかったので、「じゃあ俺が」ということで行ったのがひとつ。
もうひとつはアニメーターだと絵コンテを切ったあと色を塗るなど、複数の人を経るため厳密に自分の書いた絵が出てくるわけではない。だが、背景は自分の書いた絵がそのまま作品に出てくるので、その点でより魅力的だった。
ここで監督が「だからといって自分の書いた絵コンテがそのまま放映されたらそれはそれで大問題なんですが」といったところでこの日一番の笑いが起きる