特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『GDPの下方修正』と『原発避難者支援活動のリーフレット』、映画『トム・アット・ザ・ファーム』

今日も初めに日本人ジョークから。



先月発表された7〜9月のGDPの成長率が今日、下方修正された。年率換算の名目値は11月発表の速報値-3.0%から-3.5%へ、実質は11月発表の速報値-1.6%から-1.9%へ。前回11月の発表はまさにショックだったが、それより悪化したのだ
7~9月期の実質GDP改定値、年率1.9%減に下方修正 :日本経済新聞
殆どのエコノミストが予測を外すくらい低かった11月のGDP速報値は、わざと低めの数値を発表して選挙直前の発表で成長率を上げてくるという説すら、まことしやかに流れていた。そうでもなかった(笑)。霞が関はそこまで陰謀で動いているわけでもないらしい(笑)。

●年率換算のGDP成長率推移

上記のグラフを見るとわかるようにアベノミクスとか偉そうに言ってても(笑)、まともに成長したのは最初の3か月、2013年1〜3月期だけということが判る。それだって民主党政権の時と比べて、そんなに良かったわけでもない。そのあとは消費税前の駆け込みがあっただけで落ち目の一方(笑)。これを見ただけでもアベノミクスが経済成長に結びついていないか明確に判る。円安の物価高で実質成長率が下がるのは判るけど、7〜9月期は-3.5%と名目成長率すらマイナスになったのは如何に経済が悪いかを示している物価は上がったけど、それ以上に経済が落ち込んでいるということだからだ。
大事なのは将来のヴィジョンを見せてアベノミクスはプラシーボ(偽薬)といえども、それを提示したことだけは意味があった)実体経済=国民の暮らしを良くするための政策を打つことだ。それを野党に望んでもムリなんだろうか(笑)。少なくとも今のままアベノミクスを進めていっても経済は好転しないのではないか。マスコミや政治家は色々言うけれど自分の眼で実態を見極めようないとやっぱり怖いや。それは自分の身を守るためだけでなく、自分に対する責任でもある。
                                                                                                                                                                                                  
さて、『お母さんを支えつづけたい: 原発避難と新潟の地域社会』というリーフレットを頂いたので感想を。

原発事故で乳幼児とともに福島から新潟へ避難してきたお母さんたちを支援する活動を記録したもの。宇都宮大学で行われている『福島乳幼児・妊産婦支援プロジェクト』の一環ということらしい。このリーフレットの前半には新潟で支援活動を行っているNPOの代表者のインタビュー、後半は避難してきたお母さんたちの手紙(肉声)と解説がまとめられている。
前半のインタビューをさらっと読むだけでも、避難してきたお母さんたちも支援する側の大変さが伝わってくる。机の前で考えているだけでは決してわからない類の話だ。NPOの代表者が『支援の方法もたえず変え続けていかなければならない』と言っていたのがとても印象的だったんだけど、避難者の人たちは非常にセンシティヴな事情を抱えている。子供の安全のことだけでなく、夫や親せき、周辺の人たちとの関係。それぞれの事情を抱えたお母さんたちが独りで直面している困難は読む側の想像をはるかに超えている。そういう人たちに寄り添うと口で言うのは簡単だけど、そのためにはどれだけの苦労があることか。このリーフレットを読むことでその一端を知ることができる。
今の時代にこういう思いをしている人たちがいるということを知るだけでも自分の想像力の貧困さが思い知らされる。と同時に、原発に何の関係もなかった人たちがなんでこんな思いをしなければならないのかという原発事故の不条理を改めて感じる。
支援する側、支援を受ける側の肉声が詰まった、このリーフレットに触れることはひとつの『体験』だ。本で触れた知識は往々にして忘れてしまうことが多いが、『体験』に触れることは身体性を伴い、心に傷を残す。きっと、そういう『体験』こそが世の中の理不尽さに対峙する力になると思うのだ。
 
                                                
                                        
新宿で映画『トム・アット・ザ・ファーム映画『トム・アット・ザ・ファーム』公式サイト

モントリオールの広告代理店に勤務するトムは親友ギョームの葬儀に出席する為に、親友の実家がある田舎町にやってきた。実はギョームはトムの同性愛の恋人だったのだ。実家の農場に泊まったトムはギョームの兄、フランシスから理不尽な暴力を受ける。憤るトムだが、理不尽な暴力を受け続けるうちに次第に離れられなくなっていく。

性転換した男性と女性との10年以上もの恋愛を描いた昨年の傑作『私はロランス知的で過激、そしてシャイ(笑):相対性理論『幾何1』と映画『私はロランス』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)グザヴィエ・ドラン監督の新作。心理サスペンスの今作は監督が主演も務めている。
●左からフランシス、フランシスの母、主人公のトム。題名からして法廷劇かと思ったら農場の話だった(笑)。


                                        
ボクはサスペンスって苦手なので、ボクは上映時間の2時間、もっぱら監督の演出を楽しむことにした。怖い映画は嫌なのだ(笑)。主人公がたどり着いた空っぽの親友の家。そこで出会う老婦人。空虚な会話。その家で主人公が下着姿でひとりでベッドへもぐりこむシーンはざらざらしたシーツの感触まで伝わってくるようだ。 ここには直接的な暴力シーンは殆どない。だけど演出は巧み過ぎて充分に怖い(笑) 逃げ込んだトウモロコシ畑の葉でトムが怪我をするシーンなんか、実に見事なもんだった。
●画面には驚くくらい濃厚な死の香りが漂っている。20代前半の監督が作ったとは思えない。

                                                            
お話を見ていて、弟の同性愛の秘密を知っているらしい兄の理不尽な暴力に、主人公はなんで逃げないのかと観客は思うだろう。実際、トムは何度も逃げようとする。逃げようとしても逃げられない静かな不気味さは、何もない田舎の保守的な雰囲気とも相まって全体を支配するトーンになっている気がする。
●粗暴なフランシス(左)が結構 男前であるのも映画のポイント(笑)

                                                                 
深夜のダイナーのシーン。泥酔する主人公。何故かそこで流れる80年代のテクノ音楽も含めて、『耽美』という言葉がぴったりくる。 この映画で監督の美青年ぶり堪能する人もいるだろう。マゾヒズムと言っちゃうと単純すぎちゃうけど、理不尽な暴力に自ら屈服していく彼の演技は説得力があった。目つきが変わっていくのだ。ここに共感しちゃうのはボクもマゾっ気があるからだろうか?(笑)。
グザヴィエ・ドラン監督の表情は素晴らしかった。

                                                                            
この映画は『私はロランス』のような普遍的なお話になっているとは言い難い。だけどパーソナル色が濃くなっている分だけ、監督の演出は冴えまくっている。 特に町に戻るトムの姿を俯瞰するラストシーンは前作にも通じていて、もう、ぞくぞくするほどかっこいい。こういうシーンがあるから、この監督の作品からは目が離せない。

ということで、次作に期待。面白い作品ではあるし、直接的な暴力シーンもないんだけどサスペンスは個人的にはつらかった。良くできている分だけ、怖いんだもん(笑)。