特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『はじめてのおもてなし』

今日の東京は大雪です。予報では今晩は関東でも積雪は5センチとも20センチとも言われています。
窓の外を見ている分には良い景色ですが、ボクのような軟弱な都会者は雪道の歩き方も知りませんから、積もったりしたら文字通り通勤が命がけになってしまいます。やだ、そんなことで死にたくない(笑)。今日は早く帰ってきたのですが、帰り道に見かけた融雪剤などの準備をする鉄道やサービス業の人などは大変だと思いました。
●午後四時の自由が丘。マジで降っています


さてソニーの新型AIBOをTVで見かけました。なるべく持ち物は少なくしたいと思っているボクは、デジタル・ガジェットとか嫌いですけど、CMで見る分には心の琴線に触れるものがあります。AIBOくんが起こしに来てくれる、っていうのは泣かせるじゃないですか(笑)。


ソニーの製品はすぐ壊れるというイメージがありますし(ソニータイマー)、もともとこの会社なんか大嫌いですけど、コトリンゴの歌まで使って可愛さを売り込むCMは確かにイメージがいい。人の心に付け込むインチキ商売と思わないでもないですが、可愛い物には弱いんですよね。昔は『ペンは剣よりも強し』でしたが、今はイデオロギーよりカワイイの方が強い』(笑)


一方 昨日 評論家の西部邁が自殺したニュースにはびっくりしました。と同時に、『やっぱり』とも思いました。


この人は所謂 保守派のイデオローグですけど、急進的な変化に反対する、まともな保守主義に立脚していた人です。安倍晋三ネトウヨなどの自称保守とは正反対の立場です。ポピュリズムに対する反感を隠そうとしない人でした。そんなに詳しく知っているわけではありませんが、考え方は全く違っても、この人の言ってることにはボクは半分くらいは同意できました。身体のこともあったみたいだし、死に臨んで彼の考えていたことはわかりませんけど、右も左もポピュリズムマンセーの世の中で、彼が自ら死を選ぶのは判らないでもない。ボクは三島由紀夫なんてバカじゃねーのと思ってますけど、それと近いかも。今のような世の中、ナイーヴな人間ほど死を選びかねない。それだけは判ります。もちろんナイーヴなのは自分自身の問題なんで、他人や社会環境の問題ではないんです。だけど 世の中、国民も政治家も余りにも幼稚ですから、ものが見える人ほど嫌気がさすのだと思います。


ということで、銀座で映画『はじめてのおもてなし映画「はじめてのおもてなし」オフィシャルサイト

ミュンヘンの住宅街に住む医師リヒャルトと元教師のアンゲリカの裕福なハートマン一家。エリート弁護士の長男は妻に逃げられシングルファーザー、長女は31歳になっても自分探しと称して大学生をやっている。ある日 アンゲリカが難民を一家に受け入れると宣言、ナイジェリアから来たディアロという青年を連れてくるが- - - -


家に難民を迎えたドイツ人家族のてんやわんやのドタバタコメディです。ドイツで400万人を動員した2016年最大のヒット作だそうです。コメディとはいえ、難民をテーマにした作品が興収1位になるのですから、ドイツにとって難民問題は身近なこと、また市民の意識が進んでいることに驚かされます。
●ハートマン一家はナイジェリアからの難民を家に迎えることにします


母親の独断で難民を家に迎えることに決めたハートマン一家。医師と教師の一家は裕福で幸せそうです。
しかし それぞれがいかにも現代的な問題を抱えています。病院で医長を務めるリヒャルトは年齢的に周囲からは引退を進められていますが、頑として受け入れません。ガミガミと周囲に当たり散らすばかりか、フェイスブックを始めて若い女性をナンパしようとしたり、美容整形でしわ取りを始める始末です。
妻のアンゲリカは元教師。元来校長まで務めた彼女は能力もあるのに今は子供たちも巣立ってしまい、やることがない。ワインをがぶ飲みしては泥酔し、たまに家に帰ってきた夫に当たり散らします。
●年齢的にも周囲から引退を薦められる医師の夫と元教師の妻。喧嘩が絶えません。


長男はエリート弁護士、企業買収を手掛けています。仕事人間で妻には逃げられ、残された息子は放置したまま。息子はヒップホップに夢中で、12歳にも関わらず マリファナを買い込んだり、学校にコールガールを呼んでラップのプロモーションビデオを作ったりする始末。
●長男(中央)と息子(左)。息子は母親ではなく父親を選んだのですが、最近は父親は仕事に夢中で全然息子を気にかけません。


長女は様々な学校を転々としながら、漫然と毎日を過ごしています。仕事もなければ恋人もいない31歳。
●長女(右)は31歳になっても自分の進む道を決めかねています。


その中に家族をボコ・ハラムに皆殺しにされて逃げてきたナイジェリアの青年ディアロが入ってきます。家族がいないディアロにしてみれば、全員そろっているにも関わらず幸せそうに見えないリヒャルト一家が不思議でなりません。


ま、お話としては先が読める展開ではあります。それでも後半はだんだん面白くなってきます。小さなエピソードが積み重なってくるうちにハートマン一家が抱えている問題はいかにも我々が抱えているような問題だなーと思えるようになってくるからです。あまり技巧を凝らしたような脚本ではありませんが、クライマックスでリヒャルトとディアロの境遇が重なるところはうまいなーと思いました。
●リヒャルトの部下の医師は当たり前のように難民施設でボランティアをしています。彼も他国から渡ってきました。


この映画でボクが面白かったのは、現代のドイツ社会の描写です。豊かで自由、物質的に恵まれているだけでなく、たいていの人は難民に対して差別意識を持たないだけの知性と良識がある。が、厳しい市場競争の中で除け者にされ、自分たちの不満を難民のせいにしようとする人たちもいる。格差が広がる中でそういう排他的な連中の数が増えてきているのも事実。もちろん難民のせいにしても何も問題は解決しないんですけどね。それだけではありません。良識的なハートマン一家の中にある無意識な差別意識まで抉り出そうとする。コメディにも関わらず、この映画、社会を描く視線は結構辛口です。だから説得力があるのだと思います。


映画を見ていて、日本が抱えている少子高齢化や閉塞感などの問題は難民や移民の人を積極的に受け入れることで解決できる部分は大きいのではないかと思いました。ドイツ社会にはすでに大勢の移民や難民が受け入れられて、一部のバカを除けば、当たり前のように受け入れられている。いろいろな肌の色の人が当たり前に暮らしている社会を描くこの映画を見てドイツの活力はそういうところからも来ている と思ったからです。なんといっても今のドイツは輸出で食っている国です。この映画の中でも弁護士の長男は息子を中国の一流校に転校させようとしています。


一方 日本はどうでしょうか。農業も漁業もコンビニも福祉も外国の人がいなければ成り立たないのに、技能実習生とかインチキな制度で安い給料で酷使している。移民も難民もまともに受け入れようとしない。でも、爆買いが良い例で、我々はもう、外国の人がいなければやっていけないんです。何よりも自分と考え方や習慣が違う人たちを受け入れることで、不愉快なことも愉快なことも含めて我々自身が問い直されるし、良いところは学べるし、何よりも社会の活力が出てくるとボクは思います。今の日本の閉塞感は視線が内向きになってるからでしょ。皆 自分と同じでなければならないと思いこんでいる。本当は全く違うのに。だからどうでもいい他人のことに文句を言いたくなるんですよ。要は日本人だけでつるむとろくなことがない。


ドイツ映画らしいゆるーいギャグなので、あまりげらげら笑うという話ではないんですけど、よくできています。笑って泣いて考えさせる、非常に後味の良い映画です。観客席もほぼ満員でしたし、面白い作品だと思います。