みんなの耳から白い物が

Shipbuilding2004-05-31

わたしの乗り込む電車は、ディズニーラント関係の中国と韓国の人の乗車率が高い。って、もう、満員電車の車両の中が、北京語は広東語やハングル語でいっぱいになるのだ。で、今日も、鼠野郎のバックを抱えた韓国の若者達が何組か乗り込んできたのだけど、その半分以上の耳から白い物が垂れているの。えっつ。中耳炎?とは思わなかったが、あれね、iPodよ。iPodのイヤフォンを耳から垂らしている。そんなんだから、している人が音楽を聴いて、していない男子らが、所在なさげに窓をみたり。所在ないなんて言葉が韓国にあるのだろうか。いや、そもそも英語でなんていうの?without knowing what to do。
いや、そういうことじゃなくって。このイヤホンをしている人としていない人の間を見えない線が引かれているよ。とか思うわたしは、プレイリスト「フジロック」の中にある「OZOMATLI 」とかを聴いていたらしいのだけど。いやっつ。おそろい?みたいな視線で精一杯の微笑みで、iPod仲間の人に視線をやると、拒絶された。もう視線で、「あんたとお揃いなんて恥ずかしい」みたいな視線。これって、被害妄想?そんな視線を送られると、逆に、しつこく、大胆に、彼らの音楽が気になるよ。もう、自分のiPodの音量を最小にして、いや、音を消して、彼らの音楽を知りたくなった。って、無理じゃん。少しも音漏れしないよ。さすが日本旅行のエチケットをわきまえてるね。きっと、日本旅行のしおりには、電車の中で音楽を聴く時は音量を下げろ。ってキムさんは書いたんだね。
が、どうも、一人からのイヤホンから微かに音がシャンシャン漏れてくるよ。ウォークマンの音漏れから曲名を当てようコンテストで準優勝した実績があるわたしが、勝手に思うに。あの曲は森山直太郎の「生きとし生ける物へ」だったね。そんな風に思うと聴いている韓国の若者の顔も森山直太郎に見えて、なんだか濃いい、朝の時間を過ごしたのだった。で、そんなことを瞬間に考えながら、読んでいたのが、舞城王太郎阿修羅ガール」。そして、こんなことを考えた。

舞城王太郎は女性作家である

ISBN:4104580015
とか、もう書いてしまうよ。三島賞の授賞式にも出ないという、徹底した覆面作家ぶり。そもそも、「煙か土か食い物」で賞をとったというのが、不思議だった。普通、って何が普通なのかわからないけど、一応、メフィスト賞だってミステリー小説の新人賞なのだからここらへんは下読みみたいなところで落とされるんじゃ?という危うい小説が大賞を受賞して、その後も順調に純文学へシシフトしたところで、あっというまに三島賞をとってしまった小説。
今まで舞城王太郎小説で、皮膚感覚的に、ゴソゴソとこそばゆい思いを感じていたのは、ミステリ小説としてのあまりな不合意性とか、死と生を深刻に描いているようであまりに表層的なところが、そう感じさせているのだろう。とか考えていたのだけど、そうではなくて、この人の書く、ぼくやおれの男文体に、ごわごわしてしまっただけなのではないだろうか。と、どんな作家でも、男には男文体があって女には女文体があって、それはどんなに似せて書いたとしてもわたしの目は偽れないわよ。と思っているのだけど。わたしの舞城王太郎アレルギーも、この前半分を読む限りは、全く感じなかった。今まで、リアルさを感じないごころか、不自然なアニメキャラのような男子達が、この愛子の登場をもって、はじめて、ありうる人として読むことが出来た。
死と生の間で起こる愛子の世界は面白いし。ミステリ小説のようにはじまって、全く無視していう到達点は素敵なのだけど。しかし、しかし。それでも、ここでも、この決着の仕方は何なんだろう。生の世界へ戻ってきてからの、いつものような教訓じみた到着点。これからは好きな子としか寝ないことにしよう。とか。なんか、づるい。そして、それが、ほんとに唐突なのだ。突然じゃあない、「唐突」って、英語でなんていうのだろう。いや、そんなことはどうでもいいよ。でも、こんなに「つーか」を使うことに惜しげもないというのは、逆に女ではないのか。いや、もしかして、小説と関係ない、どうでもいいことばかり考えているのか。わたしってば。

PJ Harvey

わたしの中でのPJ Harveyは、アルバム「To Bring You My Love 」で止まっていた。そもそもの出会いは、「Rid of Me 」で、いつも、こう髪の毛が垂れてるひと?みたいな感じで聴いた初ポーリーの声だった。今回、期せずして同じステージに立つ、ピクシーズが好きであった、ポーリーが頼み込んだというプロデューサーのスティーヴ・アルビニによって作られた、硬質な音。きっと、苗場プリンスでは、感動の酒盛りが行われるに違いないのだけど。そんなこともどうでもいい。そして、「To Bring You My Love」は、「Rid of Me 」の印象とまた違った、優しげな声で包まれたのだけど。それからのPJ Harveyは、どうなったのか、聴いてなかった。巷ではレディオヘッドトム・ヨークとの共演もしている「Stories From the City, Stories From the Sea 」が傑作らしいよ。6月には新譜も出るらしいし。聴くよ。聴きますよ。というわけで、今年のフジロックは、PJ Harveyにどれだけ逢いたいか。という思いを高められるかどうか。それにつきるね。と、自分だけに言い聞かせる。
ポーリーはよく、パティ・スミスと比べられるけど、初めて、苗場でパティ・スミスに逢えたときは、もう逢えた。というだけで、こみ上げてくるものがあったのだけど。二回目は、そのあまりにステージ慣れしたパフォーマンスにおなかいっぱいになった。もういいです。というあの満腹感っていうのは、なんなのだろう。きっと、男子がしたくてたまらなかった女子とついに思いをあげたくせに、女子があまりに床上手だったので、ちょっとひいてしまったみたいな?これも全然関係ないって。もう、何も考えずに勢いだけで書いてるよ。