夫人諡号問題

永和十一年、彭城國為李太妃求諡。博士曹耽之議「夫婦行不必同、不得以夫諡諡婦。春秋婦人有諡甚多、經無譏文、知禮得諡也。」胡訥云「禮、婦人生以夫爵、死以夫諡。春秋夫人有諡、不復依禮耳。安平獻王李妃・琅邪武王諸葛妃・太傅東海王裴妃並無諡、今宜率舊典。」王彪之云「婦人有諡、禮壊故耳。聲子為諡、服虔諸儒以為非。杜預亦云『禮、婦人無諡』。春秋無譏之文、所謂不待貶絶自明者也。近世惟后乃有諡耳。」
(『晋書』巻二十、礼志中、凶礼)

晋代、諸侯王である彭城王*1の太妃(王母)のために諡号を贈ってほしいという申し出があった。



これまで、諸侯王本人の死に際しては皇帝から諡号が贈られているが、諸侯王の太妃にたいしては贈られていなかったのである。




それについて、博士の曹耽之という者が「夫婦で行いが同じとは限らないので、生前の行いによって決まる諡も同じというわけにはいきません。『春秋』では婦人に諡号が贈られているケースも多いですが『春秋』経で非難されてはいません。つまり婦人にも諡号を贈る礼があったということなのです」と持論を述べた。




だが、胡訥という者は「夫人は夫の諡に従うのが礼です。それに安平王・瑯邪王・東海王のような大物の妃にも与えられていません」と反対する。



更に王彪之という者は「婦人に諡号が贈られているのは、礼が破壊された時代だったからです。(魯の隠公の母)声子の諡号については、服虔ら儒者たちが非難していますし、杜預も「礼として、婦人に諡号は無い」と言っています。『春秋』経で非難していないのは、余りにも明白で非難するまでもないものであるからです。近代でも后(皇后・皇太后)にしか諡号はありません」と反論したという。




その後の事が無いところを見ると、この件は反対意見が採用されて諡号は与えられなかったのだろう。






それまでやっていなかったことについてもこのように風穴を開けてみようと試みるチャレンジャーはいつの世にもいるものだなあ。

*1:司馬懿の弟司馬馗の血筋。