司馬遷の書を読んでみよう8

その7(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160619/1466265916)の続き。



以為李陵素與士大夫絶甘分少、能得人之死力、雖古名將不過也。身雖陷敗、觀其意、且欲得其當而報漢。事已無可奈何、其所摧敗、功亦足以暴於天下。僕懐欲陳之、而未有路。
適會召問、即以此指推言陵功、欲以廣主上之意、塞睚眦之辭。未能盡明、明主不深曉、以為僕沮貳師、而為李陵游説、遂下於理。拳拳之忠、終不能自列、因為誣上、卒從吏議。
家貧、財賂不足以自贖、交遊莫救、左右親近不為壹言。身非木石、獨與法吏為伍、深幽囹圄之中、誰可告愬者!此正少卿所親見、僕行事豈不然邪?李陵既生降、隤其家聲、而僕又茸以蠶室、重為天下觀笑。悲夫!悲夫!
(『漢書』巻六十二、司馬遷伝)

僕が思うに、李陵は士大夫と足りなくても分け合おうとし、人々が死力を尽くすようにすることができ、古の名将たち以上と言ってもいいほどであり、敵に降伏したとはいえ、いずれ漢に報いようとしていたものと思われるので、どうしようもなくなって降伏したといえどもその功績は天下に知らしめるべきである。


その思いを開陳しようと思ってもその手段がなかった。


しかし陛下のご下問があってこのことを述べて陛下の視界を広げ、陛下の怒りに火を注ぐ讒言を防ごうとしたのだが、十分に伝えきることができなかったため、いくら聡明な君主とはいえ深く理解することができず、僕が貳師将軍李広利の軍事行動を阻害しようとし、李陵と結託して弁舌を振るっているのだとの容疑で獄に下されることとなってしまった。


真心からの忠誠心も言葉を連ねることができず、陛下をたばかるものとされて遂には刑を受けることとなった。


家は貧しかったため罪を贖うための金銭を揃えることもできず、交友関係にあった者にも助ける者は無く、陛下の左右の臣下も僕のために一言も発することはなかった。


この身体も木や石ではないのだ。獄吏だけが仲間という状態で牢獄の奥深くに閉じ込められて、誰がそのことを訴えることができるというのか!


これは任少卿も自ら見てきた事だったと思うが、当時の経緯はこのようではなかったか?


李陵は降伏したことで家名を大いに損ない、僕もまた手術を受けることとなって大いに笑いものになった。なんとも悲しい限りである。





司馬遷はついに核心に触れる。



「家貧、財賂不足以自贖、交遊莫救、左右親近不為壹言」と、自分の生命か男性器のいずれかの危機に際しても、助けようと言う友人もいなかったのだ、と言い放つ。



おそらく、司馬遷を助けなかった友人の中には任少卿(任安)自身も含まれるのだろう。





任安がどうやら獄にいて、ことによると処刑されるかもしれない身の上であるということは先に述べた。



この箇所は、処刑を待つ身である任安に対する司馬遷からの「僕を助けてくれなかった君の事を助けるつもりはない」という通告なのである。


いや、怨みの籠った痛烈な一言、と言うべきかもしれない。