おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

コンビニ     (20世紀少年 第10回)

 
 第1巻の19ページ、主要登場人物たちの顔見せの場面は、コンビニ店の「酒」の看板と、カンナの泣き声で始まる。


 3年ほど前、タバコの販売は成人識別の手続きが必要となり、タバコを売っているコンビニがしばし売上を伸ばしたのは記憶に新しい。しかし、20世紀においては、タバコなど子供でも買えたのに対して、コンビニでは酒を売っていない店が今よりずっと多かった記憶がある。

 推測だが、酒類の小売は許可が必要であるため、コンビニ業界が急速に店舗数を増やしていた時代は、その手配が遅れ気味であったり、なかなか許可されないような事情があったのかもしれない。このため、酒を売っているというのが、その店の「売り」になっていたと思う。


 ケンヂの店の前にある「酒」の看板も、おそらくこうした販促のためのものだろうが、それのみならず、元酒屋としての意地もあろう。もっとも、この看板は後にお店の硝子戸を破る凶器にされてしまった。

 店はどうやらフランチャイズ制度の下にあるらしく、その名は22ページ目に出て来る「King mart」である。これを見ると私は、グアムに旅行にいくたびに買い物に立ち寄った「K Mart」という、車のタイヤから睡眠薬まで無造作に売っている巨大スーパーマーケットを反射的に連想する。

 しかし遠藤コンビニ店はこれとは無関係で、店名はおそらく「サークルK」と「ファミリー・マート」からの造語、ケンヂの制服のデザインは「ローソン」から拝借したものだろうな。

 
 店内で親子がいさかいを起している原因は、まず、お母ちゃんが商品を勝手に食ったり読んだりすることについてであるが、後半は赤子を置いて出て行ってしまったキリコについてである。

 キリコがカンナを預けるシーンの母と弟の驚きの表情がユーモラスである。漫画家には、わずかな描線で表情を上手く書き上げる腕前が大切で、これに欠けると線が増えて絵が暗くなるか、説明的な台詞が増えて、いずれにしろ、くどくなる。

 私がビッグ・コミック・スピリッツを毎回購読しては「パイナップル・アーミー」などを読んでいたころ、連載時期は前後するかもしれないが、相原コージの「コージ苑」が人気であった。ここでのケンヂとお母ちゃんの驚愕の表情は、コージ苑風と呼んで差し支えあるまい。ケンヂ自身の表現を借りるのであれば、「まぬけヅラ」ともいう。


(この稿おわり)


ご近所のコンビニ屋さん。感じの良いお店です。 (2011年6月18日撮影)

キリコの失踪     (20世紀少年 第11回)

 
 手塚治虫の代表作の一つ、「ブラック・ジャック」は、私が小学生のころ週刊少年チャンピオンに連載されていたもので、とびとびではあったが(マンガ雑誌を毎週買う金はなかった)リアルタイムで楽しむ幸運に恵まれた。のち学生時代、パチンコで稼いだ金をつぎこんで単行本を買いそろえた。今も実家にあって、長年にわたり息子や甥たちに読み継がれている。

 キリコという名のドクターは、安楽死の専門医という妙な得意技の持ち主として、ブラック・ジャックに登場する敵役の一人である。「20世紀少年」を読み始めて、ケンヂの姉がキリコという珍しい名前であることを知ったときは、キャラクター設定が違いすぎるので、両者は無縁ではないかと疑った。

 とはいえ、浦沢さんがドクター・キリコを知らないはずもないし、この二人の医師が、大往生とは言い難い人の死に方と関わっているという共通点があるのも確かなのだけれど4...。


 浦沢作品の主人公は、たいてい顔立ちの引きしまった人物だが、20ページ目にお目見えするケンヂの顔つきは、どう見ても普通の兄ちゃんであり、しかも赤ん坊を背負いながら母親を怒鳴りつけているシーンから始まるので、まさかこれがヒーローなのか?というのが、偽らざる第一印象であった。

 しかし、次の場面では、娘をなじる母親に対して、ケンヂは姉をかばう心やさしい弟として描かれている。その理由はあとから詳しく出て来るので、ここでは避けて、会話の中から別の気になる点を挙げておく(例によって疑問点の指摘だけで、得意の問題先送りです)。


 お母ちゃんによると、「バカ娘」のキリコは、「誰とつくったんだかもわからない子供、置いていくし」、ケンヂの話では「突然帰って来て、この子をお願いしますって...また、消えしまうなんてよ」という経緯があって、カンナはケンヂの背中で泣いている。

 このやり取りから、キリコは母と弟に対してさえ、自分が結婚または同棲した相手の名前や素性を伝えていないことがわかる。そして、同居も出産も男の家かどこか別の場所で行われ、どうやら、そもそも赤ん坊がいることさえ実家は知らなかったのではないか。


 では、キリコは突如として蒸発し(古いかな、この表現は)、音信不通のままだったのであろうか。しかし、ケンヂは「警察に捜索願まで出したんだ」と言っているものの、その後の会話の展開からして、どうやら捜索願はキリコが家出した時点ではなく、カンナが置き去りにされた後に届出されたらしい。

 家出してから「この子をお願い」するまでの間、電話なり手紙なりの手段で、キリコは住所を告げないまでも、連絡ぐらいは取っていたのかもしれない。これらの描写あるいは推測を延々を書いているのは、ともだちの成り立ちに何らかの関係がないはずがない、と思うからだ。


 キリコはキー・パースンであるにもかかわらず、登場場面はあまり多くないし、しかも断続的、断片的にしか出てこない。それらを丁寧に追いたいので、今日はその第一歩としては小さいが、偉大な躍進のための足がかりとして書き残しておきます。

(この稿おわり)