おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

いよいよ開幕 (20世紀少年 第470回)

 ようやく猛暑が和らいできた。この季節、近所にはツクツクボウシの声が響き渡る。うちの近くに住んでいた正岡子規の句にこんなのがあります。おそらく子規に鳴き声を聴かせた法師蝉の子孫の声を私は聴いている。

 つくつくぼーしつくつくぼーしばかりなり


 先日、フクベエ少年らが「せいぼのこうりん」の発想をどこから得たのかと悩んだのだが、そういえば、ファティマ第三の謎というのがあった。あれは、いつごろ日本で話題になったのだろう? ファティマでは聖母が降臨したらしく、一説によれば、それを読んでローマ法王が卒倒したという第三の予言は、法王暗殺であったという。やはり、マネしたかな。


 ケロヨン達がルート66を北に走り去った絵に続いて、舞台は万博会場に移る。テレビ中継らしきナレーションによると、会場は「未だかつて経験したことのない」不思議な興奮に包まれているらしい。未だかつてないのは当然だろう、初日なんだから。「全人類の祈りをこめた祭典」であるらしい。立案者は死んでしまったが。

 どうも最近、この感想文が今一つ冴えないのを自覚している。話題にしている第15集が暗いのだ。法王の暗殺だのバチカンの陰謀だの殺人ウィルスだのと陰険な話題が続くので、私の筆力では盛り上げようがないのです。それに、頼みの綱の道化役コイズミも登場しないし、ケンヂたちの少年時代も出てこない。しかも、最もうんざりする狙撃の場面はまだこの先に出てくるのだ。第16集は面白いので、我慢我慢。


 万丈目と高須は正装して、なぜか通用口の階段に立って開幕式を見物している。中谷が法王のご到着を告げた。「いよいよね、あなたが頂点に立つ時が来たわ」と高須は言った。ワイフになった甲斐があったと思ったのだろうが、彼女にとって意外なことに万丈目は「違うよ」と元気なく否定している。

 いわく、「おまえや私が考えていた頂点など、山のふもとのようなものだ...。彼は、私の手のとどかない高みにのぼろうとしている」らしい。なかなかの詩人だが、実はピエロだったのです。高須には意味が分からない。どういうこと、彼って、何が起きるのと質問しているのだが、万丈目はそれに応えず、「さあ、ショーの開幕だ」と言った。全人類の前で(全人類が好きな人達だな)、あのニセモノがホンモノに変わる瞬間だと万丈目は言う。


 続く第11話「ばんぱくばんざい」は、このあと会場で起きたことをカンナが回想する形式で語られる。オッチョおじさんは、観客席の最上部に陣取って、無線機と双眼鏡で警戒の指示をしている。血の大みそかのトランシーバーよりも性能がずっと良さそうな無線機だ。カンナは受信用のイヤフォンを左の耳に当てている。

 春さんと共に会場に到着したマルオは、「防毒マスクをつけたスーツ姿のセールスマンに気を付けろ」とカンナに言った。説明不足だと思うが、彼も何かと忙しいので仕方がない。マルオの懸念は、この会場でウィルスがばらまかれるというものだったろう。

 幸い、外れた。なんせ、生きた”ともだち”がいたんだもんね。この日のお客が頂戴したのはウィルスではなくて、ワクチンのほうだった。なお、無銭入場したヨシツネやカンナやオッチョには郵送されなかった(はずだ)。

 
 カンナの隣には、ユキジが座っている。ユキジはイヤフォンを付けていない。彼女はカンナの守り役に徹しているのだろうか。総理や国連の挨拶が終わった後、ユキジはカンナの手をそっと握った。カンナによると、ユキジおばさんの手はかすかに震えていたらしい。ユキジが震えるとは余ほどの事態。これから法王のスピーチが始まるのだ。

 卵を縦に割ったような「奇妙なドーム」が、静かに静かに開いた。”ともだち”が横たわっている。棺や花はヤックンのときと同様だが、周囲に水晶の柱のようなものが、ニョキニョキと立っている。ただし、水晶は六角柱なので、これはガラスか何かだな。あまり趣味が良くないと思う。


 法王のスピーチが始まった。我らが主なるキリストは、人々の罪を一身に背負い、十字架にかけられ、しかし再び、天の父により永遠の命を与えられたのです。「マタイによる福音書」によるとイエスの最後の言葉は、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」となっている。聖書がこの壮絶な遺言の記録を残した意図が何だったのか、私は知らない。

 そのあとイエスは復活したことになっている。「マグダラのマリアとほかのマリア」が墓を見にきたところ、大きな地震があった。仁谷神父のごとく、「神の使い」が訪れたためである。かくして、彼は一度死んで、また蘇ったのだ。

 ところで、法王は続いてこう言っている。「”ともだち”よ、あなたも...」。法王は、”ともだち”をイエスに擬しておられる。そのころ不吉な背番号の男が、神をも畏れぬ仕業の準備をしているのをご存じなかったのだ。




(この稿おわり)




わが家のゴーヤの実。小さいが黄色は熟した証拠とか。
(2012年9月3日撮影)




















































































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