デモ

私が大学生の頃、一応左傾化していた(今でもだが)。しかしその割にはデモに参加したことが無かった。主要な理由は私自身がヘタレだったから、ということにつきるが、もう一つ、運動としてのデモの有効性に疑問を抱いていた、ということも、口実、というか、デモに行かないことへの言い訳としてはいた。もっともこういうことを口外すると「反動主義者」とレッテルを貼られるのでヘタレであることだけが公言できることだったが。まあそのころの私の周囲と言えば、非マルクス主義者の佐藤進一氏の論文の学習会で佐藤説への賛同を口にするだけで「この人、非マルクス主義なのに」ということで、右派のレッテルを貼られる、という雰囲気だった。
しかし実際デモにはドン引きはしたものだ。機動隊に鼻くそをつけて殴られてデモ隊の参加者からも「あれは殴るよな」という声が漏れた、というのは、象徴的なものだが、あれをみて当時の市民達はどういう目でみていたのだろうか、と思わざるを得ない。いや、一応左傾化していた、と自分では思っている私でもドン引きしていたのだから、別に左傾化していない人々からすれば奇異の目でみられていたのではないだろうか。厳しいことを言えば、自己満足でしかないのではないか、という気がしないでもない。もちろん当時彼らは彼らで真剣だったのだろうし、その真面目さにいささかの疑いもさしはさむつもりもないし、そもそも参加しなかった私に彼らを批判する資格などありはしないのだが、有効性という面では、市民社会から遊離させる働きしかなかったのではないか、と言えば言いすぎだろうか。
この前、教組のデモがあった。真っ赤な幟を立てて、年配の人がぞろぞろと警察に護衛されながら(昔のデモと違って警察は本当に護衛している)、歩いてくる。「教え子を戦場に送るな」というおなじみのスローガンも、私が某歴史学界の「教科書裁判担当」の委員としてかかわっていた十数年前と代わらない。で、ここでもデモの有効性には首をかしげざるを得ない。教職員組合の人々は至極真面目で、彼らは退潮する護憲運動を支えようと必死なのだ。彼らの行動には頭が下がる。しかし彼らのデモが護憲にどれだけ有効か、と言えばやはり疑問符を付けざるを得ない。申し訳ないが、あのデモを見て「そうだ、憲法を守らなければならない」という気持ちを新たに奮い立たせる気にはなれない。せめてもう少しまともな服装をすればどうだ、とか思う。いや、そもそもデモという手法が有効性があるのかどうかが問われているのだ。厳しいことをあえて言えば、現在ではデモは自己満足でしかない、という気がする。デモと言う方法論が問われているのではないだろうか。

インフルエンザ

仕事先がついに全市立学校休校。ということで塾も休業。今週の仕事がなくなった。もともとテストがあったので、二日しか吹っ飛んでいないわけだが、授業やった分しか給料が発生しないシステムなんで減収。やばい・・・。
追記
ひま・・・。いや、やらないといけないことが一杯あるんだけど。まだ水曜日の古文書学の講義の準備は終わっていないし、行政書士資格の試験勉強もあるし。行政書士試験、調子が良かったのは憲法のところだけ。民法も初めはまだ何とか行けたけど、物権論・債権論になるとかなり苦労をした。特に抵当権。そして行政法は楽そう、と思ったらとんでもなかった。難しい・・・。ひまな間にがんばって詰めよう、ネットで遊んでばかりいないで(汗)。