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2007-01-06

[]敷島大和心解説 23:19 敷島の大和心解説 - 我が九条 を含むブックマーク

前回も書いた通り、吉田中佐というのは故豊田穣氏の創作したキャラクターである。吉田中佐が必要とされた理由をここでは考察したい。

吉田中佐が果たした役割は菅野直大尉が特攻に強い思い入れを持っている、ということを表すことである。しかし実際に菅野大尉が特攻隊の悪口を言われてキレたという事実は今のところ見いだせない。むしろ菅野大尉は特攻隊にはかなり消極的であったようで、「自分は行く。自分を差し置いて他の隊員を行かせない」と言い続けていたようだ。結局菅野大尉の列機で特攻に赴いたのは菅野大尉が留守中に志願させられた隊員だけだったようだ。343空になってからはもちろん343空自特攻とは無縁だった。一度打診があったが、結局志賀少佐の反対意見を受け入れる形で特攻は見送られている。志賀少佐が特攻隊に反対した内容はほぼ連載物の中で引用した通りである。菅野自身「関は雄々しくフィリピン沖に特攻攻撃をかけて散った行った。しかし僕(菅野は親しい友人には俺といわずに僕といった)は特攻はかけない。敵を攻撃し、絶対に生きのびて反復攻撃をくり返す自信があるよ」と語っていたり、久しぶりに再開した友人に特攻への批判を口にしていたりしたらしい。しかしその友人はすでに特攻に志願した後で、菅野大尉に言えなかった、ということであるが。

豊田氏の小説の中ではその死にあたっても「死」に執着を持っている人物として描かれる。菅野大尉の強気な先方も、最後の「壮絶な」死に方も「死に場所」を探している姿として解釈される。しかし実際には菅野大尉は「死」の影をほとんど持っていなかった人物だったようだ。

菅野大尉は終戦直前の八月一日、B24迎撃に飛び立った菅野大尉の飛行機主翼破損の損害を受ける。原因は翼に装着している20mm機銃の弾丸が暴発したことである。豊田氏の小説『新蒼空の器』所収の「春の嵐」では菅野大尉は「鴛淵先輩のところに行くんだ」とあくまでもB24に向かおうとして、しかし力尽き、空中分解するとされている。しかし実際に菅野大尉の掩護を務めた堀兵曹長の回想では少し異なる。「われ機銃筒内爆発す」という無線を受けた堀兵曹長が菅野機を見つけると、菅野大尉は「しまった」という顔をしていたという。そして菅野大尉はB24を指さす。あくまでも攻撃続行せよ、という意味である。しかし堀兵曹長は「頑是ない子供を『よし、よし』とあやすように、大きく二、三度うなずいて見せた」。指揮官機を失うのは列機搭乗員の大きな恥と考えていたからである。すると菅野大尉は「飛行眼鏡の中から、キッと私を睨みつけている。完全に怒りだした表情である。私は、少し前、大村の料亭でいくらかの酒が入った隊長が、どこかの隊の軍医少佐と口論になり、ついポカポカなぐりはじめた様子を思い出した。それならば隊長の命に従うより仕方がない。私はバンクしながら目礼を送った。怒った隊長の顔がやわらいだ。思えば、このとき隊長の顔を見たのが最後となったのであった」ということである。どこにも菅野大尉が死に場所を探していたとは思えない。さらに直後に「空戦ヤメ。アツマレ」と指令が入る。すぐに堀兵曹長は菅野大尉との集合場所であった屋久島上空に向かうが菅野大尉の機の姿は全くない。結局菅野大尉は行方不明となった。菅野大尉が戦死と認定されたのは敗戦後である。

菅野大尉はそもそも撃墜されたことがある。343空の初期の松山時代である。エンジンに銃を受けて撃墜された菅野大尉はパラシュートで脱出し、顔面にやけどを負ったという。着地すると赤い顔面のためにアメリカ兵と間違われたが、結局日本パイロットとわかり、大歓迎を受けていたという。

仲兵曹がB29と衝突してしまったことがあり、B29を撃墜できたものの、仲機も墜落、仲兵曹は帰還できたが、菅野大尉から「我が隊は体当たり禁止だ」として三日間の飛行停止処分を受けたという。体当たりに対する菅野大尉の嫌悪感がうかがえるエピソードだ。

菅野大尉の意外な側面をうかがわせるエピソードは他にも色々ある。

2007-01-02

[]神風の風景第一章解説 10:03 神風の風景第一章解説 - 我が九条 を含むブックマーク

今回の「神風の風景」に出てくる吉田中佐は架空の人物である。もともとは豊田穣氏の小説紫電改戦闘機隊」(『オール読み物』一九七二年五月号収載、原題「最後の撃墜王」)に出てくる人物である。役柄は「特攻なんて犬死」という発言をして菅野に殴られ、四月十二日の喜界島上空の特攻直掩で負傷した菅野の手術を麻酔無しでする、という役柄である。

実際に菅野直大尉は軍医少佐を殴り倒しているそうだが、それは大村基地でのことで、それも酒の席でささいなことが原因と菅野の部下だった堀兵曹長が書いている。麻酔無しの手術はセブ島で負傷した時に見栄を張って「麻酔はいらん」と言い、しかし手術が始まると「痛い、ちょっと待ってくれ、やれというまで待ってくれ」と言い、実際に気合いを入れてから麻酔無しの手術に臨んだ、というものらしい。四月十二日の戦闘では、菅野中隊第二小隊隊長松村大尉が空戦に深入りして菅野の引き上げ命令に従わずに帰還後に菅野に大目玉を喰った、という話が残っている。菅野は撃墜にはやって無理な空戦をすることをかなり嫌っていたようで、できる限り生き残る、というのが軍人の任務と考えていた節がある。

あと梨山中佐というのも架空の人物である。志賀淑雄少佐が特攻反対の意見を述べたのも大村基地でのことで、これは志賀少佐自身のインタビュー記事にもある。従って吉田と梨山がからむシーンは基本的に架空の出来事になる。

関行男大尉が最後に言い残した言葉報道班員が聞いた通りである。「家族のため」特攻に行く、というのは最初の特攻隊隊長だった関大尉が自分に言い聞かせるために使った論理であり、しかも関大尉自身は納得していないのは、彼の言葉を見れば容易に看取できるだろう。ドラマに出てくる特攻隊員は関大尉よりも物分かりがいいようだ。しかし私は関大尉の方に真実味を感じる。特攻に行かせた側は例えば「紫電改のタカ」のように「家族のために」という言葉ででも納得して死んでくれれば罪悪感も薄らぐというものだ。しかし現実には関大尉は納得しては死ななかった。他の特攻隊にもそういうケースは多かったはずだ。

文中にも出てきた角田和男少尉の回想も鮮烈だ。

角田少尉菅野大尉に言われて特攻隊に加わった夜のことだろう。菅野大尉から一人を特攻隊として残すように言われ、自分が残ることにした角田少尉だったが、結局角田少尉のようなベテラン特攻に回すことは意外としなかったらしい。角田少尉も結局直掩に回されたのだが、その晩、角田少尉は飛行長の音頭取りで宴会をする司令部になじめず、士官室を抜け出し、搭乗員室に向かう。そこで角田少尉が見た光景は異常なものだった。

暗闇の坂道を山裾の搭乗室に向かう。搭乗員室とは名ばかりで、道端の椰子の葉で葺いた掘っ建て小屋、土間に板を並べただけのものである。その入口に近づいた時、突然、右手の暗闇から飛び出して来た者に大手を広げて止められた。 

「ここは士官の来るところではありません」と押し返してくる。

 私はその声に聞き覚えがあってむっとした、それは二○三空の倉田上飛曹であった。厚木の教員時代、同じ分隊におり、同じラバウル帰りの長野山本の同年兵である。三人組で私の下宿へ押しかけて来ては、妻の酌で飲んでいった奴である。

「何だ、倉田じゃないか、どうしたんだ」

私の声に彼も気がついた。

「あッ分隊士ですか、分隊士なら良いんですが、士官がみえたら止めるように頼まれ、番をしていたものですから」

不審に思ってわけを聞いてみると、

「搭乗員宿舎の中を士官に見せたくないのです。特に飛行長には見られたくないので、交代で立番をしているのです。飛行長がみえた時は中の者にすぐ知らせるのです。しかし、分隊士なら宜しいですから見て下さい」

 というのでドアを開けた。そこは電灯もなく、缶詰の空缶に廃油を灯したのが三、四個置かれた薄暗い部屋の正面にポツンポツンと十人ばかりが飛行服のままあぐらをかいている。そして、じろっとこちらを見つめた眼がぎらぎらと異様に輝いている。左隅には十数人が一団となって、ひそひそと何か話をしている。ああ、ここにも私たちの寝床はない、と直感して扉を閉めた。

「これはどうしているのだ」

倉田兵曹に聞いたところ、彼の説明では、

「正面にあぐらをかいているのは特攻隊員で、隅にかたまっているのは普通の搭乗員です」

という。私は早口に質問した。

「どうしたんだ、今日、俺たちと一緒に行った搭乗員たちは、みんな明るく喜び勇んでいたように見えたんだがなあ」

「そうなんです。だが、彼らも昨夜はやはりこうしていました。眼をつむるのが恐いんだそうです。色々と雑念が出て来て、それでほんとうに眠くなるまでああして起きているのです。毎晩十二時頃には寝ますので、一般搭乗員も遠慮して彼らが寝るまでは、ああしてみな起きて待っているのです。しかし、こんな姿は士官には見せたくない、特に飛行長には、絶対にみんな喜んで死んで行く、と信じていてもらいたいのです。だから、朝起きて飛行場に行く時は、みんな明るく朗らかになりますよ。今日特攻隊員と少しも変わらなくなりますよ」

 私は驚いた。今日のあの悠々たる態度、喜々とした笑顔、あれが作られたものであったとすれば、彼らはいかなる名優にも劣らない。しかし、また、昼の顔も夜の顔もどちらも本心であったかも知れない。何でこのようにまでして飛行長に義理立てするのか。

 割り切れない気持ちを残して、私たちはまたトボトボと坂道を明るい士官室へと引き返して行った。

『二〇一空戦記』

次回はその「飛行長」が描き出した菅野直像と、菅野直の実像の乖離を検討する。

2006-12-31

[]神風の風景 敷島大和19:16 神風の風景 敷島の大和心 - 我が九条 を含むブックマーク

杉田上飛曹と宮沢二飛曹の処置に追われる吉田の元に菅野が入ってきた。

軍医長、飛行許可を下さい」

「ん?わしが禁止してもどうせ飛ぶじゃろ?」

菅野は苦笑した。

「はい、しかし一応傷を見ていただきたいんです」

吉田菅野の手術跡を診察した。

「まあ、傷口の縫合はうまくいっているし、大丈夫じゃろうて」

というと吉田は言いにくそうに切り出した。

杉田君は山本長官戦死後の扱いについて何か言っていたのか?」

山本長官戦死後、やはり搭乗の頻度が増えた、ということは言っていました。ただ戦闘状況も激化していたということではありますが」

「しかし聞くところでは懲罰的に死地に赴かせた、ということじゃが」

「確かに二ヶ月の間に五人がいなくなっていたそうです。残ったのが杉田一人で」

当時、海軍飛行隊員の間では山本長官の掩護を担当した搭乗員は殺された、という噂が流れていた。懲罰として激しい前線においやられ、全て殺されたという話だ、事実山本長官が戦死したのが四月一八日、日高義巳上飛曹と岡崎靖二飛曹が六月七日にルッセル島攻撃で戦死し、柳谷健治飛行兵長が右手首切断の重傷を負う。そして六月一六日のルンガ泊地攻撃で隊長だった森崎武中尉が戦死、七月一日のレンドバ島攻撃で辻野上豊光上飛曹が戦死、残ったのが杉田飛行兵長だった。

杉田はずっと責任を感じていたんでしょう。だから真っ先にいつも飛び出していった。それが今日事故につながったのでしょう」

吉田には返す言葉もなかった。

翌日午前六時三五分、343空は再び特攻隊の進路を確保するための喜界島上空に出撃した。菅野の掩護を担当する二番機は加藤勝衛上飛曹である。菅野隊が最後に発進し、その後、自爆兵器桜花を付けた一式陸攻が飛び立って行く。一式陸攻の発進を見ながら、吉田は何も出来ぬ己の無力さを噛みしめていた。菅野にしても必ずしも特攻には賛成ではない。しかし関中佐を背負う菅野には特攻隊を鼓舞する役割が否応なく与えられているのだ。そもそも大西瀧治郎中将は噂では軍令部が立案した特攻には否定的で、しかし早期終戦を目指して特攻隊司令長官を引き受けたとも言われている。特攻しなければならないほど日本が追いつめられている、ということを大元帥である天皇にアピールするつもりだった、というのだ。しかしその作戦は失敗に終わり、今や日本は狂気の「一億総特攻」を呼号している。完全に日本戦争の終わらせ方を誤った。政府の無能無策のツケを若者が負わされている。それに対し何も出来ない己の無力さを吉田は噛みしめていた。

「どうせ負けなりゃ特攻隊なんて犬死にみたいなもんよ」

吉田はつぶやいた。今なら菅野にも分かってもらえるだろうか、と思いながら。

第一章 完

2006-12-29

[]神風の風景 第一章 敷島大和00:10 神風の風景 第一章 敷島の大和心 - 我が九条 を含むブックマーク

二日後、鹿屋基地に種子島から連絡が入った。

「敵艦載機の編隊、佐多岬より鹿屋に向かう」

すぐに発進命令が出され、Z旗がスルスルと上がる。吉田は医務室からZ旗を見ていた。しかしその時には山の向こうにグラマンF6FとコルセアF4Uが来ていた。離陸直後の戦闘機には空戦能力がない。

指揮所では源田司令が「発進中止!避退せよ!」と必死の指令を出していた。搭乗員達は飛行機から飛び降り、退避する。しかしすでに二機が離陸を始めていた。後ろからグラマンがぴたりと追尾する。

「あぶない」と吉田が思うまもなく菅野が病室から飛び出してきた。

杉田!不時着しろ!すべりこめ!」

しかしその声は届くはずもなかった。後ろからグラマンの銃撃を受け、滑走路の外れに杉田機は消えた。続いて発進していた宮沢豊美一等飛行兵曹の機も落ちていった。

二人の遺体を収容したのは鹿屋基地の庶務関係を担当していた第八根拠地隊であった。宮崎勇飛行兵曹長が遺体の確認に行くと二人の遺体は壕に安置されていた。

「もっと何とかなりませんか。この人たちは我々の隊にとって大事な人なんだ」

結局遺体の引き取りに志賀淑雄飛行長が来て、二人の遺体は343空に運ばれてきた。

病室に運ばれてきた二人の遺体と対面した菅野の憔悴ぶりは激しかった。特に杉田菅野の二番機として菅野をずっと護衛してきただけに、菅野の衝撃も大きかった。

「判断が遅れてしまったために杉田を死なせてしまった。申し訳ない」

源田司令は菅野に頭を下げた。

「代わりに優秀なパイロットを補充する」

吉田は何か違和感を感じていた。と言っても源田司令の言葉にではない。胸騒ぎといってもよかった。杉田が生前吉田に語った言葉が耳に残ったのである。

山本長官に申し訳ない」

杉田がしばしば口にしていたらしいこの言葉吉田は今、はっきり何かを感じていた。

続く

2006-12-27

[]神風の風景 第一章 敷島大和23:59 神風の風景 第一章 敷島の大和心 - 我が九条 を含むブックマーク

菅野は第二神風特別攻撃隊の忠勇隊の直掩を務めていた。第二神風は艦爆(いわゆる急降下爆撃機)中心の編成であった。とりわけ忠勇隊は新鋭の彗星艦爆で編成されていた。

対空砲火がすさまじく、また雲も多かったため突入には手間取り突入する特攻隊と一緒に降下し、引き起こすと編隊を組んで帰還しなければならない。直掩は撃墜されては使命が果たせないのである。しかしそれに手がいっぱいで特攻機を見る暇はない。敵戦闘機との戦いもある。しかしそのような困難な中、菅野はしっかり三機の突入を確認した。戦艦巡洋艦駆逐艦各一隻を撃破したことは確認した。

菅野は帰ってくると杉田らに言う。

特攻に行って、しかもあの激しい対空砲火の中でやり直しをスルのは大した度胸だ」

帰還後菅野は司令部に報告を行なった。

「忠勇隊は敵戦艦巡洋艦駆逐艦突入、これを撃破しました」

「して敵艦を撃沈したのか」

「猛烈な対空砲火と敵戦闘機の妨害で沈むところまでは見ておりません」

それに対し飛行長が何気ない不満を漏らした。

「最後まで戦果を見届けずに帰るとは・・・」

その瞬間銃声が響いた。周りは驚いたが、報告は続けられた。帰ろうとすると菅野杉田らに声をかけた。

「おい、ちょっと肩を貸してくれ。足が痛くてな」

見ると菅野のつま先から血が出ている。飛行長の発言に激高した菅野拳銃で自分の足を撃ち抜いたのだ。

この話をする吉田に梨山が聞く。

「その話を誰から聞いた」

杉田上飛曹です」

その瞬間梨山の表情が少し動いたのを吉田は気付かなかった。

続く

朱色会朱色会 2006/12/29 09:12 毎日愛読しています。。正直、「作家」になってください。年末のご挨拶でお邪魔しました。よいお年を。

WallersteinWallerstein 2006/12/29 23:01 実は私、小説には全く興味がないんですよ。読まないし、書かないし。これはある必要があって、実験的に書いているだけです。よいお年を。