不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

笑い犬/西村健

笑い犬

笑い犬

 銀行マン芳賀陽太郎は、不良債権処理の渦中、銀行を庇い、言い掛かりに近い罪状(過失致死および詐欺)により懲役刑に服した。忠勤に励んだ会社に裏切られたのだという実感、家庭の崩壊に文字通り手も足も出ない現実が、塀の中で彼を蝕んでゆく。だが彼は、囚人同士の交流の中、何とか人間らしさを繋ぎ止めていた……。
 第一部は作品の四分の三を占め、終始獄中が舞台となる。そして、回想という形で、芳賀が入所した原因となる事件を描いてゆく。会社や家族、そして人生への思い入れをたっぷりと注入しているので、静的なシークエンスなのに、禁欲的とか晦渋といった印象を残さない。若干浪花節ながら、権力に翻弄される弱者や、公権力と敵対する仁義をきった反社会勢力などへのシンパシーを盛り込み、読みやすく、かつ読み応えのある物語にしているのはとても良い。そして第一部で溜まった《ダイナミズムへの欲求》を、西村健は第二部で一気に解き放つ……。
 全編がのべつまくなし、超ハイテンションのお祭り状態だった大傑作『劫火』に比べると、確かに、そして遥かにおとなしい作品だ。だが、土臭い野趣に富む味わいは、俗っぽくて浪花節かも知れないが、この作家独特のものなのである。西村健ファンには、こういうものも書ける作家なのだと確認いただければよろしいかと。しかしそれでも割とバカ話な辺り、私は大好きですけどね。

太平洋雷撃戦隊/海野十三

海野十三全集3

海野十三全集3

 昭和○年、大元帥陛下は×国に宣戦の詔勅を発せられた。×国は、ハワイ島パール軍港を一大要塞とすべく、パナマ運河経由で大量の物資を大商船隊で運ぼうとしていた。五隻の潜水艦がこれを撃滅すべく、ハワイ〜パナマ運河の間に勇躍出撃するのであった。
 第八潜水艦の活躍を主に描く作品で、1933年8月に《少年倶楽部》に掲載された、著者初の少年小説であるとのこと。潜水艦という兵器の活躍を、メカニカル面でマニアックに強調するのではなく、あくまで戦意高揚の感興をベースに、お子様向けに強調する。オタク心をくすぐるのではなく、一般の少年の心を掴むことが目的なのだから、この措置は当然のことであろう。一部沈む艦もいるなど、味方に犠牲を出すことも忘れない。
 北朝鮮が核実験をおこなった今日という日に、戦意高揚にエンタメ文壇から積極的に参加した海野十三(その真意を私はまだ知らない。そもそも故人の真意など知る時など訪れようか?)の全集を読み始めることには、ある種特殊な感慨もある。二度と再び、エンタメ文壇のあの不健全な状況(時局に探偵小説が相応しくないとして出版が差し止められる、作家が大挙して従軍記を書く等)が訪れることのないように願いたいものだ。