「ALWAYS 三丁目の夕日」

先週の土曜日に東京タワーに行ったのに触発されてか、妻が映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のDVDを貸しビデオ屋から借りてきた。公開時に観逃したまま、気になっていた映画だ。夜、妻と二人で観る。心温まるいい映画だった。脚本はよく練られており、出演者は、大人から子供まで、主役級から端役まで、皆いい味を出している。大ヒットしたのも頷ける。微に入り細に入った昭和33年当時の風物の再現がややくどいが、昭和30年代を知る人には一見をお勧めする。
ALWAYS 三丁目の夕日 通常版 [DVD]

いくつかのエピソードが未完だな、と思ったら、やはり続編が制作中で、今年11月に公開されるという。楽しみなことである。

この映画を観ると、名古屋テレビ塔*1通天閣*2に続き、昭和33年12月23日に竣工した東京タワーがまさに復興の象徴であったことが理解できる。現在に至るまで自立式鉄塔では世界最高を誇る東京タワーは、当時の東京の人々をどんなに勇気づけたことだろう。昨年11月以来の半年足らずの間に、これらの3塔*3を登ってみて、改めてその意義を感じる。
タワー―内藤多仲と三塔物語 (INAX BOOKLET)

*1:昭和29年6月19日竣工。

*2:昭和31年10月28日

*3:いずれも工学博士・内藤多仲の設計である。

「ALWAYS 三丁目の夕日」の都電

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」には、都電が数多く登場する。これらの映像を手掛かりにわかることは何か。

【夕日町三丁目はどこか。】
この映画の舞台となっている「東京の下町・夕日町三丁目」は、実際の場所のどこに相当するのだろうか。建築中の東京タワーが見えるので、その近傍であることは間違いない。手がかりは、都電の走る表通りである。劇中、同じ通りを3系統(品川駅前・飯田橋間)と8系統(築地・中目黒間)の都電が走っている。この2つの系統の路線が重複しているのは、赤羽橋・虎ノ門間だけである。すなわち、この表通りは桜田通りであることがわかる。

それでは、夕日町三丁目は、東京タワーの南側なのか、北側なのか。冒頭、一平たちが飛び出していく表通りは、正面に東京タワーが見え、画面右から左にビルの影が差している。一平たちは下校後なので、時は夕方。すなわち、夕日町三丁目は、東京タワーの北側にあることがわかる。これらのことから、夕日町は、現在の港区虎ノ門1丁目または3丁目のあたりであることがわかる。
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F39%2F33.653&lon=139%2F44%2F53.989&layer=0&sc=3&mode=map&size=s&pointer=on&p=&CE.x=370&CE.y=201

しかし、青森から上京した六子が則文の運転するミゼットで鈴木オートに向かう場面の描写は、この設定と矛盾する。桜田通りを走りながら、東京タワーを左手に見上げているので、飯倉交差点を通過し、赤羽橋の方へ南下していることになる。行き過ぎである。その後、桜田通りから右折して夕日町に入っていく場面が続くので、どこかでUターンしたとしか考えられない。合理的な解釈としては、外見とは裏腹に心優しい則文が、六子にわざわざ建築中の東京タワーを見せてやるために、赤羽橋まで行って折り返したのだろう。

【一平と淳之介はどうやって高円寺まで行ったのか。】
彼らが最初に乗るのは、桜田通りを走る3系統6152号車*1だ。直後に13系統(新宿駅前・水天宮前間)6153号車が映るので、3系統で終点・飯田橋まで行き、13系統に乗り換えて新宿まで行ったのだろう。新宿からは14系統(新宿駅前・荻窪駅前間)に乗ったのは間違いない。往路で下車する6155号車の系統番号は不明だが、復路、馬橋二丁目の停留所で14系統6175号車を見送る場面がある。往路は、一平が25円、淳之介がせいぜい36円しか持っていなかったのに、2回乗り継ぎができたのか、という野暮は言いっこなしである。

*1:実車は、現在、あらかわ遊園に保管されている。