某教授訓告余波

某教授の訓告とは震災以来積極的な発言でとくにネット界でオピニオン・リーダー的な位置にいた某教授が、その発言内容と言うより、その表現方法に問題ありとして度重なる注意の後に大学から訓告処分を受け、さらに非公開であった訓告処分を受けた事を自ら公表したお話です。どうも某教授支持派というか、シンパの方は多いようで、訓告処分の是非についてあれこれ論議が賑わっていました。

ところで最近の私のミニ・シリーズで、

これは最後のお話のためにその前の2話が前フリと言う形態になっています。実際は結論となる3つ目の構想がまとまりきらず、とりあえず前フリとして2話目的な話を考え、そのなかの例外例に近い「非常時に便乗する人」の話が膨らんで、前フリの前フリとしてまず挙げています。それでもって時期的に微妙ですが、1話目は某教授訓告の前に挙げています。某教授の訓告のお話が「非常時に便乗する人」の直後に出て私が驚いたぐらいです。

ただ非常に近い時期であったので、私のエントリーと某教授訓告の話を関連づけて引用される方もおられました。ま、内容的に合うと言えば合います。その程度は別になんという事はありません。そういう関連で某所(フェースブックらしい)にも私のエントリーが紹介されていたそうです。私はフェースブックをやってませんから、どういう形態で紹介されていたかは不明です。

ところがそれは削除されたそうです。どういうシステムで削除が行われるかよく分からないのですが、とにかく削除されたそうです。理由は不明ですが、読みようによっては某教授を猛烈に皮肉っていると受け取られる方がおられても不思議ないとは思います。そういう方々が不快と感じて削除要請が出されたんじゃないかと推測されています。

その程度の事は気に障る事でもないのですが、別の意味の興味だけ私にかきたててくれました。


ごく自然に考えて削除要請を出されたのは某教授シンパの方であろうは推測以前の問題です。状況的に他の方々及びそのシンパの方がそこまで能動的になる動機が無いからです。シンパならばそれぐらいの支援活動を行なわれても理解の範囲ですが、一方で某教授の支援の大義はなんだったけ? と言うところに行き着きます。

某教授についてはあんまり興味も関心もないのですが、問題になったのはとくに表現方法でヘイトスピーチとか言われるようなものだそうです。どんな内容か知りたい人がおられるなら、wikiとしてまとめられているのがありますから、興味があればお読み下さい。

某教授シンパの方々の主張の基本は、こういう表現法による発言を容認すべしです。人には様々な考え方がありますから、そういう意見もあっても良いとは思います。ここで大学は学問の府であり、学問の自由、言論の自由に話題を拡散させる論法が多かったですが、話を単純化して某教授シンパの方の基本主張は某教授発言の容認であるとしているとして良いかと思っています。

容認するしないは立場や考え方で変わりますし、容認する主張自体はそれこそ言論の自由の範疇に入ります。ですから容認主張の存在自体は問題としません。ただなんでも基準と言うのがあります。某教授の表現・発言が容認されるのなら、当然ですが某教授基準の類似の発言は容認される必要が出てきます。まさか容認派の主張は、某教授だけの特例として容認の主張とは思えないからです。

一般論として某教授基準の表現発言は「容認される」でないと話の辻褄が合わなくなります。でもって、私のエントリーは某教授基準でも容認されないと認定されたようです。えらい長い解説でしたが、面白味がわかって頂けたでしょうか。


もちろんフェースブックに削除要請を出したのが某教授シンパである確証はありませんし、削除理由もまったく別の理由であったかもしれません。さらには仮に某教授シンパであっても考え方は様々でしょうから、総意の認定ではないとも言えますが、論理の遊びとして楽しめるエピソードになりました。エントリーの埋め草が出来た事に感謝しても良いかもしれません。