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■全盛期の支配人
・1試合3ソウルチャージは当たり前、1試合5ソウルチャージも
・グッとガッツポーズしただけで5枚ぐらいソウルチャージ
・支配人がソウルチャージといえばソウルチャージに
・試合をしてないときでも2ソウルチャージ
・ペイルムーンじゃないユニットがライドしても余裕でソウルチャージ
・ヒールトリガーも余裕でソウルチャージ
・じゃんけんをしてマリガンが終わるよりもソウルチャージする方が早かった
・支配人のソウルチャージによる衝撃波でデッキに戻ったロゼンジがいた
・ファーストヴァンガードにするだけで対戦相手が爆笑した、腹筋崩壊を起こす対戦相手も
・実は一度リアに下がったあとソウルに戻ってる
・ライドせずに自分で殴って勝ったことも
・一回のトリガーチェックで支配人が三枚見える
・ファーストヴァンガードの支配人と目が合った対戦相手は被クリティカル100000と同等のショックを受けた。廃人になった者も
・あまりにソウルチャージし過ぎるからペイルムーンのG1も他クラン扱い
・そのG1ライドでもソウルチャージ
・「今日のカード」でペイルムーンでは一番最初に公開される予定だったが部下の《スカル・ジャグラー》に一番手を譲った
・ヴァーミリオン・ゲートキーパーは支配人に憧れて能力を真似した
・ヴァーミリオン・ゲートキーパーは支配人のクローン
・ばーくがるの規制は支配人が押し込んだ
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■ 今までにない力
《要塞の覚醒者ルナ・アレグリア》は本当に素晴らしい
重たい使用条件と引き換えに、ゲームへ大規模な影響力を持ちうるカードは数多い。だがその中でもこのクリーチャーの素晴らしさは格別だと思うのだ
覚醒させるためには3体の小型クリーチャーとパワー5000のサイキッククリーチャーという、他の行動のついでで手軽に相手に対処されるような布陣で場を固めるという苦行を強いられ、覚醒前の能力もデッキを確認するだけで盤面構築の手助けはしてくれない
最早このクリーチャーでブン殴ること自体が壮大な贅沢*1であり、壮絶な無駄である。実に素晴らしい
■どちらかのプレイヤーがクリーチャーを召喚した時または呪文を唱えた時、カードを1枚引いてもよい。
能力のほうもエレガントだ。ただドローするだけのこの能力は大規模広域破壊を引き起こす他の重量級に比べると地味に思われるかもしれないが‥‥考えてもみてほしい
呪文を唱える、クリーチャーを召喚する――ゲームを形作るほとんどのアクションで手札が増える能力
そして手札とはイコール知識である*2
一度この能力が機能し始めれば、1,2ターンのうちに自分の場には思うがままの軍勢が展開されているだろう
これはゲームを支配する神にも等しい行為であり、そこにあるのは"完全"になろうとする意思だ
無限にも等しい手札から"完全"を創出する行為――これを芸術と言わずして何と言おう。そう 《要塞の覚醒者ルナ・アレグリア》こそデュエルの中に作品を産み出そうとする芸術家なのだ
無駄とさえ感じられる覚醒条件も全ては芸術のため*3
ああ素晴らしい
我々もこの芸術家に敬意を表し、自己を磨いて協力するべきではないだろうか、ドロー時の指芸あたりから始めるのがグッド
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■新弾の
本日発売の40弾を1箱ほど購入すると出てきた《レグルス・ギル・ドラゴン》 なかなか地味面白そうな能力を持ち、7マナ8000の恵まれたスペック、そして素敵なイラスト
これはデッキを組むしかないと思い立ち、そして組みあげたデッキがこちら
動かし方は単純、《時空の花カイマン/華獣の覚醒者アリゲーター》《ガントラ・マキシバス》もしくは《覇翼 フェアリー・アクセラー》をクロスしたクリーチャーを場に用意してから《レグルス・ギル・ドラゴン》を立てて殴るだけ
デッキの4分の3以上が緑のカードなのでレグルスのスペースチャージがほぼ確実に発動、マナを一気に伸ばしつつ追加ブレイクでシールドを叩き割ることが出来るだろう
- 《密林の総督ハックル・キリンソーヤ》 お馴染み、相手の計算を大きく狂わせるマナ進化 SF能力で《撃滅の覚醒者キングオブギャラクシー》対策にも
- 《タイタンの大地 ジオ・ザ・マン》 このデッキ影の主役。唯一のハンドアドエンジンとしてデッキの屋台骨を支えるクリーチャー。無駄死にさせないように運用していこう
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更新再開宣言してから一週間。実にいいタイミングである。*1
しかしこの一週間デュエルマスターズにたいして真っ当なアプローチをしていないのでその方面での更新はできないという始末。*2
■今日の一冊
ここで今日の更新を終えてもいいと思っているのだけど、さすがに140文字にも満たない記事ではツイッターでやれ状態なので本の紹介でもしてみようという必然性0のコーナーである。
【まったき動物園/著:エドワード・ゴーリー 訳:柴田元幸】
独特の作風でファンの心を捕らえて離さないエドワード・ゴーリーの作品のひとつ。
僕もまたゴーリーの一ファンであり、ゴーリーの著作のいくつかについて触れたことがある。
その中でもこの「まったき動物園」は格別の味わいを持った作品だろう。
AからZに対応した26匹の不可思議な生物が独特の音韻の紹介文付きで並んでいるという、ただそれだけの作品なのだが、なぜか、何度読んでも飽きが来ない。
1ページ目から順番に26匹を目に入れても適当なページを開きその一匹を堪能しても――飽きがやってこない。*3
では、ゴーリーの他の作品(例えば、ウエスト・ウイングなど)のように、読者の想像力を搔き立てる「意味ありげ」な匂いを持っていて、どうとでも解釈可能な世界観が(多くのゴーリー作品がそうであるように)魅力になっているのかというと‥‥そういうわけでもない。
幻獣たちの動作は珍妙だったり、あさましかったり、情けなかったりするものの、そこにはむしろ「無意味」という味付けが徹底されているように見えるのだ。
この作品は「解釈」や「理解」や「共感」といったものを読者に要求しない。作品そのものが「無意味」だから、である。*4
それでいてこの作品は「なにも無い」わけではないというのが実に珍妙で面白い。意味が無いが故に、ゴーリーの微細な筆致で描かれた幻獣たちと、その幻獣たちの小気味いい紹介文を100%楽しむことができる。「無意味」という味付けでもって奇妙な幻獣たちの世界観が完成されるというわけだ。
ゴーリーの世界観にどっぷり嵌れる一冊。