Hatena::ブログ(Diary)

a1m’s Diary よろづ天道まかせで このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-05-23

産霊神

まあ宗教的なことにすぎないかもしれないが、日本人のふつうの心像風景にある神道的な世界が、いかに万物を掌る八百万、こんにちふうにいえば環境かもしれない、それを大事にしているかが、佐藤信淵の『経済要録』から理解できる。佐藤は平田神道の人間であるが、宇宙論から天の巧みを人為が開く天工開物の経済論まできわめて体系的な統治の理論を構築している。ここではうぶすめのかみとやおよろずに言及している箇所のひとつをメモしておこう。

「・・・抑々(そもそも)皇祖(こうそ)高皇(こうこう)産霊神(うぶすめのかみ)この大世界(だいせかい)を造(つく)り、伊弉(いそう)諸神(しよしん)に命(めい)じて此(こ)の天地(てんち)を修固(つくりかため)成(なさせ)給(たま)ひしことは、総(すべ)て是(こ)れ篤(あつ)く蒼生(さうせい)を愛(あい)し、此(こ)れを蕃息(ばんそく)せしめんことを欲(おもほし)給(たま)ふが為(ため)なり、故(ゆえ)に万物(ばんぶつ)を生(しよう)じて、世上(せじよう)を豊(ゆた)かにするも、皆(みな)是(こ)れ人民(じんみん)の衣食(いしよく)して、性命(せいめい)を保全(ほぜん)すべき日用(にちやう)の需(もと)めに備(そなへ)給(たま)へる所(ところ)なり、是故(このゆえ)に八百万(やおよろづ)の神(かみ)等(ら)に命(めい)じて万物(ばんぶつ)の化育(くわいく)を掌(つかさど)らしめ、諸神(しよしん)各々(おのおの)其(その)職(しよく)を分(わか)ち、山沢よりは金・銀・玉・石・草木・禽獣等を出し、海河よりは真珠・珊瑚・龍蛇・魚鼇・薀藻等を出し、平地よりは百穀・百果・諸菜・諸絲・綿・紙・茶・油・薬物・染料等を出し、其他雲を作し、雨を降し、風を吹し、水を流れしむる等に至るまで、諸神皆各々皇祖太神の敕命(ちよくめい:みことのりの意)を奉りて、己が職司る所の物を発生し、以て国君の百姓を養ひ、性命を保ち、児孫を産ましむるの料(りやう)に給(つヾ)けて、恆(つね)に余裕あらしむ、故に上下の神祇(しんぎ)は大抵人世日用諸物の化育に勤労して、日夜片時も怠る事のなき者なり、是を以て国家に長たる者は、己れが領内の百姓を将ゐて其賚(らい:賜物の意)を拝受し、此れを採る法と、製造する術とを講明し、食物・衣類を始として、種々器具貨物等を作り、自国に用ひ余る物をば、此を他邦に運送し、有旡(ゆうき)交易の利潤を収め、境内富盛にして益々人民を和楽蕃息なさしめ、永く泰平ならしむる、此れを天地に代て蒼生を済ふと云ふ。国君能く右の如くすれば、上天の寵遇を受るに耻(はじ)ること無しと云ふべし、故に国家を領する者は、必ず経済の学を脩(おさ)めて国土を経緯するの術を精密にし、天工開物の法を講明して政事を勉強せずんばあるべからず、・・・」(佐藤信淵、『経済要録』)

2012-05-22

冗員

官僚を削減するというのはいつの時代も難しいようだ。明治6年、木戸孝允(きどたかよし)が大久保利通(おおくぼとしみち)と仲が悪くなって、そのあてつけに、新政府に辞表を出したが、そのとき、三條實美(さんじょうさねとみ)に宛てた書翰のなかに下記の一文がある。なかなかカッコよいが、要は辞めてやる、という口上。政治的掛引で、そんな気はさらさらなかったというのが本当のところだろうが、「冗員(じようゐん)を被為省候(はぶかれさふらふ)は、今日の御一急務に付(つき)」は、省いてしまいたい政治家官僚のいるご時世に使える文かも。

「孝允(こういん)儀(ぎ)は、先年来申上置(せんねんらいまをしあげおき)、猶此度(なほこのたび)も逐々(おひおひ)言上仕候通(ごんじやうつかまつりさふらふとほ)り、免職之処(めんしよくのところ)、偏(ひとへ)に奉歎願候(たんぐわんたてまつりさふらふ)、短才微力(たんさいびりよく)、不堪其任(そのにんにたへず)、上於朝廷(かみはてうていにおいて)も、冗員(じようゐん)を被為省候(はぶかれさふらふ)は、今日の御(ご)一急務(きふむ)に付(つき)、平生(へいぜい)の宿志(しゆくし)被聞召候(きこしめされさふら)へば、・・・」

2012-05-11

泰きに居ても

二條教基のよく知られた一首に

君が世の泰きに居ても苦しきはあやふき民の心なりけり

がある。

じぶんは大君の御代のおかげで地位安泰であるが、心苦しいのは民の心のあやういのを思うからだと詠うわけだ。なにがあやうい民の心かといえば、嚮背反覆(こうはいはんぷく)というが、従ってみたり背いてみたりと常なき人心の信じがたさをいうのだろう。

南北朝の昔ならずとも、もしかしたらこの歌が身に染みている政治家先生もいるやに違いない。国会議員という安泰で恵まれた地位にまんまと付いてはみたが、それは場合によっては政治上のボスやマスコミのおかげなのかもしれないが、たとえば増税論議で我が身も削るといっておきながらポーズだけ。さぞや人心の嚮背反覆を感じているにちがいない。

こちら民としては選挙が待たれるところだ。選挙があれば、あやうき民の心を心苦しく思わなくてもすむように、民の一員に返してあげられるからだ。政治家の安泰を失って民の不安に身を置いてみるのもよいことだろう。

2012-05-10

公議輿論

新聞を購読するのを止めた。ネットで読むように変えたから。しかし有料のところは敬遠して無料の情報を読みあさる流儀。それでも、特段、不都合は感じない。

加えて、ネットでは実に様々な見解が流布されていて、おもしろいし、参考になる。

大手のマスメディアの流すものより、これこそ、公議輿論というべきなのかなとさえ思うときもある。

そういえば、板垣退助愛国社再興趣意書で、それを再興する所以の第二として、こう言っていたなあ。

「新聞雑誌は世に其<額少な>〔類鮮〕からずと雖ども、その議論たる一社若くは一都会の議論にして、真正に公議輿論と認むべきもの無し。故に今政府をして公議輿論の在る所を知り以て、失政なからしめんと欲せば、各地人民相互に会合し、国政の利害得失を協議し、国会に代ふるの議会を起立せざるべからず。」

たしかにいま、ネットが「国会に代ふるの議会」になりつつあるのかもしれない。

2012-04-27

一個人の味を知らず

福沢諭吉は『文明論之概略』で、日本の人間交際では「独(ひとり)一個人(いちこじん)の味を知らず」と言っているが、好きな言葉だ。

「日本の人間交際は、上古の時より治者流と被治者流との二元素に分れて、権力の偏重を成し、今日に至るまでも其勢を変じたることなし。人民の間に自家の権義を主張する者なきは固より論を竢(ま)たず。宗教も学問も皆治者流の内に籠絡せられて嘗て自立することを得ず。乱世の武人義勇あるに似たれども、亦独一個人の味を知らず。乱世にも治世にも、人間交際の至大より至細に至るまで、偏重の行はれざる所なく、又偏重に由らざれば事として行はる可きものなし。」

治める者と治められる者のふたつに分けられて、その一方、つまり権力ばかりが重んぜられて偏重されている。個人の自立が大事と言ってしまえばそれまでだが、統治される者が己が権義を主張し確立するには、なによりも独り一個人の味を味わえているのかどうかだと思う。今日、政治的権力にとどまらず、いろんな権力があるのかもしれない。たとえばマスコミなど、人々を操作する対象にしているかの感があるようにみえる。口に入るものから身にまとうものまで、アタマのなかの考え方、好み、好奇心の向かう先まで、マスコミという権力に籠絡されて、人は己が生活や人生を自存し自立したものとして味わうことができないでいるのではないかと思う。他者によって単に扱われる対象から抜け出すために、個人の味を味わう姿勢をなくしたくないものだと感じている。