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a1m’s Diary よろづ天道まかせで このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-04-11

こつじきぶくろ

喜多村信節の『嬉遊笑覧』巻之六上に、儒学者の用に立たぬ話が引かれた後で、こう語られている。

「学者は神書も仏書も歌書物語ばけものばなしの類までも多くよみて 入用次第取出すこそ好ましきことなれ 柳川幽齋の学問することは乞食袋のやうにするがよし よきもあしきも一ツに入置て用に従て使ふべしとの給ひし」

こつじきぶくろっていうのは、頭陀袋ともいうそうで、乞食や托鉢に歩く僧侶が首からさげて、貰い物をなんでも入れておく袋だそうだ。学ぶ者は、とにかくなんでも幅広く読め、そうして一つの袋に入れておく。そして、「用に従って」、取り出して使え、と。

柳川幽齋は戦国時代のころ、その教養で随一と言われたひと。やはり教養ある人は、どんな道を歩む者にもいいことを言っている。

・幅広く読め

そして

・学んだことを一つ袋に入れておけ

というのは、ポイントだなあ。中身に応じて分類し、利用するとき便利にしておこうなんて思って整理整頓に煩わされると、たいがい後から必要なときに使えなかったりする。

・「用に従て使うべし」

これも大事だなあ。

どんな知識も役立ててナンボかもしらんし。

で、考えてみれば、この二つ、いまや、ネットでみんながしてることなのかもしれない。ネットというこつじきぶくろになんでも入っていて、必要なとき検索して、知識を役立てる。入れ物をじぶんの首にさげておく必要もない。とてつもなくデカイ、こつじきぶくろがあって使える。

2016-04-06

紙餅

もう4年くらい前になるけど、餓死する人が頻出して問題になった折に

https://www.dropbox.com/s/pmba0799x9boii0/sankei20120226-gasi.jpg?dl=0

飢饉と餓死の歴史を調べてみたことがある。

まあ、こんな世界ではあるので、役に立つ知識、考えさせられる史実も多かった。

もちろん、へえ〜、なるほど、そうなのか〜という話もあった。

佐藤信淵も『経済要略』で、そこで紙餅というものを初めて知ったんだけど、こう書いていた。

「昔在(むかし)天明年中に、奥・羽両州連年飢饉にて、人民餓死せること幾千万人と云ふことを知らず。然るに我家貧なりと雖も、幸に故紙多かりしを以て、乃ち此れを水に漬け、又此を蒸し、能く擣(うつ)て些許(すこしばかり)の糠(ぬか)こごめ(米ヘンにキツ(乞)の字)を調和し、餅と為して此れを食せしに、予が十二・三歳の頃なりしが、頗る飢たる時なれば、甚だ甘(うま)く覚へたり。此れより親族皆紙餅を食ふことを知り、村内六曲庵なる『一切経』、宝泉寺の『大般若経』を始め、儒書も悉(ことごとく)食て、一郷の男女六・七百人、終に餓殍(がひょう;餓死の意味)の大難を免るゝことを得たり。故に古(いにしえ)名将の城内に多く紙を貯るは深慮ありと云ふべし。」

書類、書物のたぐいが貯まってミニマリストとしては毎日ダンシャリに悩んでいるけど、いまの紙は洋紙だから昔の和紙のようには食えないだろうなと思い、名将のように深慮はかなわぬなあと思いながら、なにが起こるか知れぬ時代だから、いざとなったら食えるものはあるかと周囲を見回しながら考えたことがある。

天明飢饉のときは、信淵の父が秋田藩蝦夷地開発の献策をして無能な藩老にうとまれ、秋田の地を追放されることになり、父と一緒に足尾の銅山を目指したころだ(足尾で父は銅精錬法研究中死す)。道中、累々たる餓死者をみながら、追放される父子。若き信淵、そうした人々を救済すべく経済学の研究に熱く志を抱いたころでもある。そうして、信淵、まだわずか12,3にして江戸に出て蘭学者、宇田川槐園(かいえん)の門をくぐるんだ。稀代の天才の活躍は紙餅で生きながらえたからなんだなあ。

2014-01-05

節制

正月、さほど贅沢をし、ご馳走を食べたわけではないが、それでも普段に比べれば、それなりによい料理も食べたし、酒もたらふく飲んだ。

さて、アスから普段の生活が戻ってくるし、節制しなきゃならんと思う。

そこで、二宮尊徳の『万物発言集』にある言葉を噛み締めておく。

「若人珍味を食すと雖も、而も節(せつ)あるに如かざるなり。人皆以て謹行(きんこう)せざる可らざるなり。故に珍味と雖も飽食(ほうしよく)を為す莫(なか)れ、其の甚しきに及びては腹に満ちて安からざるなり。卒(つい)に以て病の根を設け死亡に至るなり。亦蔬食(そしよく)と雖も、食せざれば飢渇(きかつ)して安からざるなり、終に設けて以て病の根と為さしめて死亡に至るなり。所謂(いわゆる)天理にして遁(のが)るゝ能はざるなり。」

節制するに越したことはないな、食べ過ぎれば食いすぎで苦しくなり、病気になって死ぬこともあるというわけだ。また、素食がいいからといって、食わなければ腹が減って苦しいし、病気を起こして死ぬこともあると。これは天地自然の道理だから逃れることはできんと。

2013-07-03

カミ

神は漢字である。国語にてはカミ。

篤胤は『俗神道大意』でこう言う。

「漢字の神は、御国のカミと更に違(ちが)はぬ事もあれど、大かたは、謂(いは)ゆる虚字で、用(よう)の言に多く云ふて、御国の如く、実物の体言に云ふことは少いぞや。」

また『古道大意』にては、

御国で加美(かみ)と申すは、キツト其実物(じつぶつ)をさしてのみ申て、紛(まぎら)はしいことはない。然るを唐(から)で神の字の用ひ様(さま)は、実物の加美(かみ)を指て申すばかりでなく、唯、其物を称(たゝへ)て霊異(れいい)と云ふやうな心ばへにも用て、譬(たと)へば神剣(しんけん)と云時(いふとき)は、あやしき剣と云ふこと、神亀(しんき)と云へば、あやしき亀といふことになる。」

したがって、不可思議に人に思われることを指す神という漢字は我が国のカミを指示するに充分ではないというわけだ。

人にそう思われるのではなく実物の体言として使われるカミが指すのはそれ自体が霊妙さを具備する存在でなければならないが、人知はこれを測り知ることはできず、またそうすべきではないとしている。

なるほどなあ。漢字から国語の意味を考えてしまうことには注意しておかんといかんなあ。

2013-05-15

もれさりて残れるはかすのみ

おそらくは大事なことが書いてあるにちがいない書物を読んだり、教訓にあふれた人様のお話をお聞きしたりするが、どうもどんどんざるからもれて、残るものがないようなアタマなのだなと思うことがある。

そういえば、二宮翁夜話の福住正兄(ふくずみまさえ)による自序は、こう始まっていたなあ。

「おのれ翁(おう)のみもとにありしこと七年(とせ)なれば、折(おり)にふれ、翁の論説教訓をきゝたること、いと多かり。洪(おほい)なる鐘(かね)も、ちいさきしもともて、うちたらんには、その響(ひゞき)かすかなるを、いかにかはせむ。そのうへに、おのが耳は、世に云ふ、みそこし耳にしあなれば、道(みち)の心の深遠なる甘味うまみ)なるは、皆(みな)もれさりて、残(のこ)れるは、かすのみなり。・・・」

福住正兄のような尊徳の高弟にして、ずいぶん謙遜な言い方だけれど、それだけ尊徳の教えが偉大ということであるのだろう。

ここで、「しもと」とは若い小枝をいう。尊徳の教えは大きな鐘のようなもので、小枝で打っても響かないという意味かなあ。「みそこし耳にしあなれば」、とは、たぶん、みそをみそこしでこすとカスしか残らず、そうしたカスをみそっかすといってものの数に入らない者のたとえでいうわけだけど、そんな耳で大事なことを聞いてもカスしか残らないような耳だといっているのであろう。

しかし私たちは福住が夜話をまとめてくれたので、おおいに勉強になっている。じぶんの場合は、残れるかすを読んで、それさえアタマからもれていってしまうけれど、何度も繰り返し読むうちに、そうかなるほどと納得する経験ができることを期待している。